粗品 父親。 霜降り明星粗品の結婚相手や彼女は?モテる理由や好きなタイプも!|トピグーチャンネル

霜降り明星・粗品の『家族』~実家は焼肉屋…母親と亡き父に捧ぐM

粗品 父親

霜降り明星 粗品の本名は? 1993年1月7日生まれの粗品さんは、高校時代からお笑い活動をしていました。 同志社国際高校に在学中から「 粗品」という芸名を使っています。 「粗品」の本来の意味は、粗末な品物、人に贈り物をする際にへりくだって使う言葉とさています。 粗品さんはまさにそういった意味で、つねに謙虚な姿勢といった意味合いも含めて芸名を「粗品」にしたとされています。 しかし、粗品という芸名は幼い頃から考えていたそうなので、芸名の理由に関しては、もしかしたら後付けなのかもしれません。 そんな粗品さんですが、本名は「 佐々木 直人(ささき なおと)」さんといいます。 シュッとしたイケメンの風貌にはぴったりの名前ですよね。 むしろ、本名の方がしっくりとくる感じがします。 M-1の王者になったので、粗品を止めて、 本名に戻しても良さそうですよね。 しかし、M-1王者になったからこそ、謙虚な姿勢を忘れないためにも「粗品」という芸名を使い続けていくことでしょう。 参考記事: 霜降り明星 粗品の生い立ちは? 粗品さんの実家は、大阪の心斎橋で焼肉屋を経営しています。 店の名前は「 味希」といい、カウンター席が12席というこじんまりとしたお店です。 外観はかなり年季が入っていますが、リーズナブルで味には定評があり、塩タンが人気メニューとなっています。 そのような環境で育った粗品さんは、幼い頃から芸人になることを妄想しており、 妄想の中で粗品としてM-1で3回連続で優勝しているそうです。 想像力が豊であるのと同時に、妄想を現実のものとして捉えていたのですね。 中学校からは京都府にある、同志社国際中学校・高等学校という中高一貫校に進学しました。 結構難しい学校なので、粗品さんは妄想しつつも 勉強もしっかりとやっていたのですね。 Sponsored Link 高校在学中に幼い頃からの妄想を現実化させるための行動に出ます。 それまで温めていた「粗品」という芸名を使用し、お笑い活動に本格的に乗り出しました。 お笑いの才能に長けており、当時組んでいた「スピード」というコンビで、ハイスクールマンザイ2009では、 決勝進出を果たしてしまいます。 周囲からの粗品さんに対する評価もうなぎ登りで、お笑いの天才と称されるまでになっていました。 翌年のハイスクールマンザイ2010で、お互い別々のコンビでしたが、現在の相方である せいやさんと巡り合うことになります。 そこでお互いの存在を強く意識することになりますが、二人は別々の大学に進学し、粗品さんはピン芸人として活動を始めることになりました。 ピン芸人としての活躍もめざましく、「2012オールザッツ漫才」の若手芸人の登竜門である「foot cutバトル」で番組史上最年少の19歳で優勝に輝いています。 そこで完全にお笑いの世界に舵を切った粗品さんは、芸人として生きる 決意を固め、大学を中退しました。 幼い頃の妄想に着実に近づいていくことになります。 Sponsored Link 霜降り明星 粗品のM-1優勝までの軌跡 ピン芸人としての地位を固めつつあった粗品さんでしたが、せいやさんとコンビを組むことにより、さらに高いレベルのお笑いが出来ると確信します。 しかし周囲からは、どこの馬の骨ともわからない、大学生のせいやさんとのコンビ結成に関しては、 批判的な声が多く集まりました。 そのような声には耳を貸さずに、粗品さんはせいやさんを熱心に誘います。 当時のせいやさんは教師を志しており、お笑い芸人になることは全く考えていませんでした。 しかし、あまりにも熱烈な粗品さんからのラブコールに、せいやさんの考え方も徐々に変わり、2013年1月に「 霜降り明星」を結成することになります。 結成直後はせいやさんにたいする風当たりも強く、周囲は冷ややかな目で「霜降り明星」を見ていました。 しかし、「霜降り明星」の実力を徐々に見せつけていくことになります。 M-1グランプリ2016では準決勝進出を果たしますが、決勝進出を逃した二人は、 来年こそは絶対に決勝に進出してやる!と心に決めます。 そして臨んだM-1グランプリ2017では準決勝まで進出しますが、決勝進出のコンビに「霜降り明星」の名前はありませんでした。 そこには、呆然とする粗品さんと、泣きすぎてふらふらになったせいやさんの姿がありました。 二人の中では決勝進出は 大前提だったので、その現実を受け入れるまでに時間がかかります。 しかし、落ち込んでばかりもいられない二人は翌年に向けて動き出しました。 決勝進出を賭けて臨んだM-1グランプリ2018では、史上最年少で 優勝を勝ち取ってしまいました。 決勝進出で頭がいっぱいだった二人の中では、優勝の二文字までは考えていなかったようです。 決勝進出を決めたことで二人は大満足し、本番では楽しむことを優先した結果、変な緊張感も無く、優勝が転がり込んできたのでしょうね。 おわりに 粗品さんは高校3年生の時に父親を亡くしており、母親を残してお笑いの道へ進んだことに葛藤の日々を送っていました。 後ろ髪をひかれながらも、幼い頃からの 妄想を現実のものにするという、精神的な強さも持っていたのですね。 そんな粗品さんは、M-1優勝後に真っ先に母親に電話しています。 そして、大号泣していました。 母親からは「本当に親孝行してくれた」と言葉を貰っていましたが、粗品さんは、「ほんの少し親孝行できかな」と語っています。 M-1優勝賞金も「母親の欲しいものを10個買う」と言っていましたよね。 粗品さんのお笑いに対する、常に ストイックな姿勢で取り組むといった背景には、母親に対する熱い想いもあったのですね。 そして相方のせいやさんに対するリスペクトも凄いです。 コンビ結成当初は、周囲からの非難の声が圧倒的でしたが、せいやさんの面白さを一番分かっていたのは粗品さんだったのです。 あとは、幼い頃からの妄想である、M-1の連覇を果たしてもらいたいですよね。 「霜降り明星」の今後の活躍も心より応援しております。

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粗品 芸人?父親?病気?由来?

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MBSテレビ「OFLIFE」(火曜深夜1・59)の11日放送は「元お笑い芸人 河内慎太郎 蒲鉾専門店 店主」がテーマ。 元お笑い芸人の河内慎太郎氏(35)にスポットを当てる。 週末になれば予約で満席になる人気蒲鉾専門店「ハチマル蒲鉾」の経営者・河内氏は元お笑いコンビ「ジョニーレオポン」のボケ担当。 「よしもと漫才劇場」などに出演する芸人だった。 大阪・福島にある蒲鉾専門店「ハチマル蒲鉾」は18年8月にオープンしてから自家製のすり身を使った揚げたての蒲鉾が人気となり、19年11月には難波店をオープン。 NGK(なんばグランド花月)の近くにある路地裏に店を構える。 蒲鉾と芸人を愛する人が集う店は、よしもと漫才劇場で活躍する芸人のほとんどが常連。 店を訪れた多くの芸人がアップするSNSが発信源となり、さらに新規のお客さんが訪れる。 河内氏が芸人を辞めても決して切れない、かつての仲間との強い絆。 その勝算とは、河内氏が芸人時代に出会った創業60年の老舗蒲鉾店。 秘伝の技に感銘を受け、芸人を辞めて弟子入りすることをすぐに決意したそうだ。 2年間の修行を経て独立。 その原動力になったのは幼少期の壮絶な経験が深く関係している。 工場を経営していた父親が、多額の借金を抱えたまま蒸発。 借金取りから逃げ続ける生活が始まり、家がなくなったうえ、車で生活をした日々もあった。 中学、高校にも通えず、職を転々としながら働くなかで人生の目標を見付けた。 「自分の生い立ちが不幸だとかかわいそうだとか思ったことがない。 本当にこの生い立ちで良かったと思っている」と力を込めて語り「1%の悔いもない、今が本当に幸せ」と言い切る。 結婚をして父親になった河内氏の人生の最大目標は?。 さらに、成功を修めたかに見える河内氏に思わぬ病魔が襲いかかる。 ナビゲーターは黒田博樹氏(44)、VTRナレーションは女優・手塚理美(58)。

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父親蒸発、車上生活…壮絶な幼少期過ごした元お笑い芸人、つかんだ「幸せ」の中でまたも― スポニチ Sponichi Annex 芸能

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霜降り明星 粗品ってどんな人? プロフィール 本名 佐々木 直人(ささき なおと) 生年月日 1993年1月7日 出身地 大阪府 身長 180㎝ 血液型 O型 学歴 同志社大学中退 所属 よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京所属 粗品の両親は父親が17歳の時に他界・母親が焼き肉店経営! 粗品さんの両親は、父親が「佐々木義秀さん」と言いますが、母親の名前や年齢などの詳しい情報は出ていません。 しかし、父親が粗品さんが17歳の時に他界し、母親が大阪の繁華街で焼き肉店を経営しているという情報があります。 なので、粗品さんの実家は 焼き肉店と言う事になりますね。 ただ、粗品さんの父親は 「焼き肉屋を始めようとしていた時に亡くなった」という記述があったので、粗品さんが17歳くらいまでは他の仕事をしていた可能性が高いです。 また、粗品さんの経歴には 「2歳からピアノを習っていた」と言うエピソードがあるので、父親は音楽に強い関心があった方かも知れません。 通常、2歳から 「自発的にピアノをやりたい」とは言わないと思うので、2歳からピアノを習わせてるのはやはり両親の意向と考えるのが自然です。 それが父親のだったのか母親だったのかは詳しい情報が無いので分かりませんが、少なくとも両親のどちらかが音楽に強い関心があるのは間違いないでしょう。 また、父親は生前 「俺の息子はおもろい」と周りに自慢していたようなので、親子関係も良好だったと言えます。 なので、父親が亡くなった時は粗品さんも相当ショックだったのではないでしょうか・・・ 粗品の父親の死の原因とは? 粗品さんの父親の死の原因を調べてみましたが、どこにも詳しい事は出ていませんでした。 ただ、 「焼き肉屋を始めようとしていた時に亡くなった」と言う記述を見ると、突然の死だった可能性が高いのではないでしょうか。 また、粗品さんが父親の死をテレビで語った時も、特に 「闘病していた」などのエピソードは無かったので、やはり事故か何かで 「突然亡くなった」と考える方が自然かも知れません。 とにかく、そういう辛い経験をしていてもなお 「お笑い」と言う道を歩み続けて、周りの人を笑わせてくれる粗品さんはすごいと言えます。 ひょっとすると、父親が生前 「息子はおもろい」と周りに話していたエピソードを思うと、普段から粗品さん本人にも 「お前はオモロイ!」と話していたのかも知れませんね。 そうやって応援してくれていた父親の為にも 「必ずお笑いで成功する」と言う強い意思が、父親が亡くなった後の粗品さんの原動力になった可能性もあります。 もしそうだとすると、高校三年生の時に出場した 「R-1グランプリ」でいきなり 準決勝まで進んだり、19歳で 『オールザッツ漫才2012』で 優勝したのも頷けます。 やはり、お笑いを応援してくれていて亡くなった父親に対する強い思いが、粗品さんの才能に磨きをかけているのかも知れません。 そうして、父親が亡くなってからは母親が経営している焼き肉店を手伝いながら、お笑いを続けて行きました。 粗品の母親の経営する焼き肉店はどこ? 粗品さんの母親が経営する焼き肉店について調べてみると、かなり詳しい情報で出回っていました。 場所は、大阪の心斎橋で周辺には複数の駅もあり アクセスは非常にしやすいです。 店の名前は 「味希(みき)」と言います。 ただ、それほど大きい店では無く、カウンターで 12席ほどの比較的小規模のお店です。 しかし、 「食べログ」などの評価も高く口コミでも 「美味しい」と評判となってる事から、特に「粗品さんの母親のお店だから」と言う訳では無く、元から人気のお店となっています。 特に 「塩タンが美味しい」と評判で、粗品さんの母親の接客もすばらしいと言う口コミも多いです。 全席喫煙可で予算は 2,000円~です。 また、全席カウンターと言う事で比較的1人でも入りやすく、フラッと1人で寄って美味しい焼き肉を食べて帰るのも良いのではないでしょうか。 ただ、今はこれだけ有名になってるので普段でも人が多い可能性が高いです。 なので、恐らく粗品さんは一人っ子だと思われます。 もし、上か下に兄弟がいたのなら焼き肉店のエピソードの時に、家族の事なので 「兄弟で母親を手伝った」などのエピソードが必ず出てくるはずです。 でも、そういうエピソードは全くないですし、粗品さんの他のインタビューでも兄弟について語ったものはありません。 それを考えると、やはり粗品さんは一人っ子でまず間違いないと言えます。 もし、兄弟について何か情報が出てきたならまたその時追記していきます。 粗品はやはり天才?すごすぎる経歴! 粗品さんは、前にも書きましたが2歳でピアノを習い10年くらい続けたと言う事なので、小学校6年生くらいまでやっていた事になりますね。 また、2歳からピアノをやっていたせいか 「絶対音感」が身についていて、あらゆる音を聞き分けられる能力があるそうです。 特にお笑いで役立ってるのが、 「本質で笑う声」、「芸人が好きだから笑っているだけの声」などの様々な種類の笑い声を聞き分けることができる と言う事なので、笑ってる声が本気で笑ってるのかウソなのかが分かる為、それでウケるウケないを判断してネタを練り上げてる可能性もあります。 やはり笑いにも 「愛想笑い」のようなものがあるので、本気で笑ったのが聞き分けられれば相当な強みになります。 こうした能力も、粗品さんが面白い秘密かも知れません。 粗品は高校生の時からすごかった そして、芸人の経歴的には高校生2年生の時に結成したお笑いコンビ 「スペード」で、 「ハイスクールマンザイ」に出場しますが惜しくも決勝で敗れています。 ちなみに『 ハイスクールマンザイ』は、2009年から行われている 「高校生お笑いNo. 1」を決めるイベントで、通称「 H-1甲子園」と言われています。 ここに初出場で決勝に行くだけでも十分才能があると言えますし、その時の相方は現在 「関西テレビ」に勤務しているという事です。 なので、元相方はテレビ局の方でお笑いに関わっているのかも知れませんね。 そして、その後は高校3年生の時に初めて 「R-1ぐらんぷり」に出場し、レベルの高いR-1でいきなり 準決勝まで進んで周囲を驚かせました。 また、粗品さんもこれがきっかけで 「俺、お笑い向いてるんちゃう?」と、本気で芸人になる事を考え始めたそうです。 そして、その後大学1年生の時にオーディションによってまずは 「ピン芸人」として吉本入りすると、いきなり2012年の 『オールザッツ漫才』で優勝しています。 これだけもかなりすごい事ですが、その後現在の相方である「せいやさん」と2013年1月に 「霜降り明星」を結成すると、さらにその才能が開花されていきました。 粗品がせいやの才能を見抜く能力もすごい! ちなみに「霜降り明星」は、粗品さんが主体のコンビと思いがちですが、実は粗品さんがせいやさんの才能に惚れ込み、熱心に誘った事でコンビ結成となっています。 2人の出会いは 「ハイスクールマンザイ」の時で、2009年に関西地区代表で出てた粗品さんの「スペード」を知ったせいやさんが、 「スペードを倒したい」と翌年出場しました。 そして、粗品さんは「スペード」として出場、せいやさんもコンビを組んで出場し、なんとその日一番良かったコンビに贈られる 「イオン賞」をせいやさんのコンビが受賞します。 ただ、その後せいやさんのコンビも粗品さんの「スペード」も、準決勝で敗退してしまいました。 その後、お互いコンビを解散しピン芸人として活動を開始しています。 そして、翌年出場した 「全日本高校生お笑い選手権大会 お笑いインターハイ2011」の決勝大会にお互い進出し、その時のせいやさんの「一人コント」を見た粗品さんが 「相方はコイツしかいない」と思うようになりました。 それから、お互い大学へ進学しましたが、粗品さんが先に大学を中退して吉本入りした後、目をつけていたせいやさんを熱心に誘い出します。 粗品さんは、 「こいつが一番おもしろい奴。 こいつと組んだら、もっとおもしろいネタができる」 と信じてせいやさんを熱心に誘い、せいやさんも 「この先の人生で、こんなに必要とされることないやろな」 と、その熱意に押されてコンビ結成となりました。 その後、粗品さんの狙い通りせいやさんの個性的なキャラと粗品さんの独特なツッコミが見事に噛み合い、ことごとく史上最年少優勝を達成するコンビとなりました。 これまでにコンビでの主な実績は以下のようなものがあります。 第38回ABCお笑いグランプリ 優勝 第7回ytv漫才新人賞 優勝 M-1グランプリ2018 優勝 第4回上方漫才協会大賞 特別賞 第33回ものまねグランプリ 優勝 ちなみに、賞をたくさん獲ってもその後活躍できないコンビもいる中、霜降り明星はネタだけでなくトーク番組でも活躍しているだけに、やはり相当力があるという事ですね。 20代でこれだけ活躍できるとなると、今後の世代交代は「霜降り明星」が中心となってくるかも知れません。 これからの霜降り明星の活躍に注目です! こちらの関連記事もどうぞ 終わりに 「霜降り明星」は、もちろんせいやさんのお笑い能力もすごいのですが、やはりそれを一番に見抜いてコンビを結成する粗品さんの眼力もすごいと言えます。 さらに、粗品さんは高校生の頃からお笑いセンスが傑出していたそうで、「ハイスクールマンザイ」に出場していたパーマ大佐は当時から「粗品さんは天才と言われていた」と証言しています。 そんな粗品さんが、今後お笑い界でどんな存在になっていくのかこれから楽しみです!.

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