シャーマン 戦車。 タミヤ 1/16 RCタンクシリーズ M4シャーマン (105mm榴弾砲) フルオペレーションセット

大ベストセラー戦車 M4シャーマン中戦車

シャーマン 戦車

価格 6,200円 価格 7,920円 価格 3,500円 価格 7,293円 価格 2,024円 価格 5,600円 価格 4,200円 価格 3,283円 価格 5,800円 価格 2,277円 価格 9,700円 価格 2,816円 価格 4,200円 価格 2,640円 価格 3,600円 価格 4,048円 価格 4,048円 価格 3,080円 価格 3,080円 価格 1,760円 価格 3,366円 価格 3,696円 価格 3,300円 価格 1,200円 価格 693円 価格 1,320円 価格 1,200円 価格 3,230円 価格 1,056円 価格 1,058円 価格 648円 価格 1,320円 価格 990円 価格 2,464円 価格 2,288円 価格 2,500円 価格 1,980円 価格 2,400円 価格 3,800円 価格 3,366円 価格 8,600円 価格 5,280円 価格 4,000円 下記お支払が可能です。 当店取扱いクレジットカード、楽天銀行振込、Apple Pay、セブンイレブン(前払)、 ローソン、郵便局ATM等前払(ローソン、ファミリーマート、ミニストップ、セイコーマート、ゆうちょPay-easy(ペイジー)サービス)でお支払いいただけます。 詳しいお支払については下記をクリックにてご確認ください。 ・宅配便業者:ヤマト運輸 ・配送の目安 営業日18時までにご注文頂いた場合、2営業日以内の弊社出荷を予定しております。 休業日は出荷作業を行っておりません。 前払い決済の場合、お支払確認後の出荷となります。 上記は目安としてご参考ください。 ・送料について 都道府県別に送料が異なります。 詳しい送料や配送については、下記クリックにてご確認ください。 お問い合わせには2営業日以内に返答します。 営業時間外のお問い合わせに関しては翌営業日の受付となります。 ・返品について 返品については、返品前に下記クリックにて内容をご確認ください。

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M4シャーマン製作記~細部・汚し塗装~

シャーマン 戦車

M4シャーマン戦車(M4、M4A1、M4A3... ) M4シャーマン戦車(M4、M4A1、M4A3... 膨大な生産数のためバリエーションが多く武装も初期と末期では違います。 最初の試作シャーマンは1941年の9月に完成しました。 試作名称T6はM3中戦車の車体下部を流用し16輌作られ各種の試験が 行なわれました。 翌10月M4中戦車として正式化されました。 あちこちに出っ張りが多く全鋳造構造のM4A1に比べて防御力が劣ったので 後で車体前面部分だけ丸い鋳造構造のM1A1の上部車体を溶接してハイブリット型が 作られました。 February1942.6281 76 January1944. 3396or3426 全鋳造構造の丸い車体上部で簡単に見分けられる。 April1942. 8053 76 May1944. 2915or3230 M4と同じ系列だがゼネラル・モーターズのトラック用ディーゼルエンジンを 2個連結したエンジンを使っていた。 米軍より海兵隊、イギリス、ソ連に移譲されたものが多かった。 ディーゼルエンジン 補給機構を複雑にしないように米軍の実戦で使用する戦車はすべて ガソリンエンジンのものに限るM4A2は、訓練用かレンドリース、 ディーゼルの多い海軍が主力の太平洋で海兵隊が使うことになりました。 M4のエンジンは航空機のエンジンを流用したため低速回転時のトルクが低く オフロード走行力を低下させました。 この点元がトラック用だったため強力な低速トルクを発揮し好評でした。 ツインディーゼルは一基だけも走行可能で荒い走りをする実戦で (オーバーレブを起こしやすい)故障してもまだ走れるのがうけたようです。 June1942. 1690 Protected turret February1944. 3071 76 March1944. 4542 105 May1944. 3039 フォードの戦車用V型8気筒ガソリンエンジンを装備。 各種の改良を採り入れた新型でこの最終生産型(M4A3E8)は第二次大戦後 も各国で使用されました。 前面装甲を43度傾斜に変更、各部の欠点も無くなり防御力が増しました。 (前型は、ハッチなどの部分が突き出していて傾斜が緩い弱点が有った) (傾斜が減った分は装甲厚を増して対応しました50. 5mm) July1942. 7499 戦車エンジン不足から6気筒エンジン5基からなる複雑な機構のエンジンを搭載 出来るように車体後部を延長しました... (信頼性が低く調整が大変なため1943年9月には生産が打ち切られ) (大部分はイギリスへ移譲されました。 ) マルバンクエンジン 点火時期調整が難しく米軍から不良品扱いを受けて捨てられた(レンドリース) M4A4ですが英国では何故か信頼性が高いと好評だったとか... これは、英国巡航戦車のできがよっぽど悪かったためではないか?と思われます... M4A5 アメリカ陸軍軍需部がカナダのラム戦車を呼ぶのに使った記号 M3リー戦車の車体を流用し鋳造上部車体、6ポンド砲装備の戦車でしたが 開発の遅れから、アメリカ、イギリス、に機材共通化を迫られ生産中止になりました。 生産分は訓練用とか兵員輸送車などに改造されました。 October1943. 75 キャタピラー社の空冷ディーゼルエンジンを搭載して量産されるはずでしたが コンチネンタル、フォードの両エンジン計画が標準型に決まったため 75両で生産打ちきりになりました。 増着装甲板 米英の各部隊の前線工作部隊は砲撃に弱い部分に装甲板を溶接しました。 砲塔防盾の両側と車体側面の弾薬庫の側面、それとM4の場合は前面ハッチの前の張り出し 部分... シャーマン戦車の前面装甲は生産を簡単にするため (装甲にハッチ、展望窓、機銃などの穴あけをすると加工時間が増え量産の阻害になる...) ハッチや前方機銃などの部分を分割鋳造して溶接で繋いで造って いました...初期は8パーツ そのため強度的に脆く厚さ分の性能は有りませんでした... 後期型では一枚板の圧延装甲板に変わりました... 搭載弾数 米軍戦車は、通常の搭載数よりも余分に砲弾を積みこんでいたました(1. 5倍?) 米軍の写真集などで野砲の空薬莢の山をトラックで捨ててるシーンなどがありますが 戦車砲もこんな感じで撃ちまくったので... ドイツ軍にはアヒル呼ばわりされましたが、その数と機構の信頼性(すぐ動かなくなる ドイツの重戦車や初期のフランス戦車に比べ)で1番です。 ドイツの主力、4号戦車や 3号突撃砲相手には十分です。 末期には各種の強化型ができました。 (太平洋では重戦車扱いした) 良くドイツの戦車の優秀性が引き合いに出されますが実際の戦場でキングタイガーと M4の出現率は1/100以下です。 (東部戦線のことも考えると1/200?) 西部戦線の主な対戦相手は3号突撃砲や4号戦車、75mm、88mmの対戦車砲でした。 ノルマンディー上陸作戦前にM4には補強のために増加装甲が付けられました。 主な場所は砲塔防盾の両側と弾薬庫の側面、ハッチの張り出しのため車体前面の傾斜 が少なくなっている部分の3箇所です。 (それでもフランスに上陸して一番始めにすることはキャタビラや鉄板 土嚢などを貼り付けて装甲強化をすることでした。 ) そんなわけで、ヤーボが打ち洩らしたドイツ重戦車にたまたま遭遇すると側面に回りこむか スモーク弾を打ち込んで接近戦を挑むしかなく手玉に取られて遣られてしまうと言う いつもの戦争漫画みたいなめにあってしまうのでした... ドイツ崩壊の末期にはかなりの数の76mm砲やHVAP弾が支給されて かなり対抗できるようになったみたいです。 アメリカ軍機甲師団としての初陣はビシーフランスのアルジェリア上陸が初陣です。 相手は旧式のフランス戦車が相手だったので大丈夫でしたが 最初の戦闘では砲の射撃装置がすべての戦車で狂っていて敵を圧倒したのは 命中率ではなく弾量でした。 その後、アフリカに派遣されたタイガー1中隊と対戦させられてボロボロにやられちゃいました。 軍隊にもかかわらずパニックで全滅した戦闘部隊も発生して良いとこ無しでした。 この結果M4には開発中止したT23戦車の3インチ砲装備の砲塔を載せて火力強化する ことになりました。 イギリス軍は独自に17ポンド砲装備(パンサーと同じ程度の火力)のファイヤフライを 開発しています。 イギリス軍はファイヤフライ以外にもシャーマンを使った改造車両を沢山作っています。 シャーマンDD戦車(水陸両用戦車)、 シャーマンクラブ戦車(地雷除去戦車)43年後期から300輌量産された。 などなど... この76mm砲は一時製作が停止していたアメリカの試作重戦車T23の砲塔を流用したものです。 最終生産型M4A3E8は戦後かなりの期間、自衛隊でも使われていました。 試作重戦車T23 M4A3E8 機動力及び装甲厚 乗員 5名 全長 7. 39 5. 883 m 全幅 3. 06m 全高 2. 97m 最低地上高 0. 335m 接地長 3. 733m キャタピラ幅 60. 7cm 接地圧 0. 29m 超堤能力 0. 61m 渡渉水深 0. 914m 回転半径 9. 7mm機関銃1、7. 62mm機関銃1 弾薬数 71(発) 12. 7mm機銃用、600発、7. 744 1. 785 90deg 192. 82 165. 8 142. 46 120. 36 APC 93 88 82 75 70 90deg 114. 22 108. 07 100. 71 92. 494 1. 021 AP 109 92 76 64 90deg 133. 87 112. 99 93. 34 78. 058 1. 3295 M62A1 APC 7kg 792. 8kg 792. 5 43 mm 38. 1 90 mm 38. 1 78 mm 車体下部分 50. 1 90 mm 38. 1 80 mm 砲塔防盾、 89. 0 90 mm 上面 砲塔25. 4mm 車体19. 1mm 底面 25. 4〜19. 1mm 製造会社 生産期間 19年〜年 生産台数 両 陸上自衛隊にも360輌一時装備されていました。 M4シャーマンの最終型です。 M4はとにかく大きかったそうで、当時は、日米の戦車兵の体格が違いから... (とくに脚の長さの違いが決定的?) クラッチペダルの踏み代が大きくどのくらいの下駄を履かせるのが良いかが 研究のテーマになったそうです... M4A2 機動力及び装甲厚 乗員 5名 全長 5. 918m 全幅 2. 616m 全高 2. 743m 最低地上高 0. 335m 接地長 3. 734m キャタピラ幅 42. 06cm 接地圧 1. 6t 自重t 機関 ゼネラルモータース6046 12気筒. 29m 超堤能力 0. 61m 渡渉水深 1. 016m 回転半径 9. 7mm機銃用、300発、7. 62mm機銃用、4750発 7. 5cm砲(垂直装甲板に対する貫通力)... 95deg -0. 1 -0. 2 4. 2deg M61 APC 6. 32kg 619? 2 60 mm 50. 8 85 mm 50. 8 90 mm 車体上部分 50. 8 34 mm 38. 1 90 mm 38. 1 78 mm 車体下部分 50. 1 90 mm 38. 1 80 mm 砲塔防盾(内側)89. 0 90 mm(外側)50. 8 90 mm 上面 砲塔25. 4mm 車体19. 1mm 底面 25. 4〜19. 資料の傾斜がきつい... 744 1. 785 90deg 192. 82 165. 8 142. 46 120. 36 APC 93 88 82 75 70 90deg 114. 22 108. 07 100. 71 92. 494 1. 021 AP 109 92 76 64 90deg 133. 87 112. 99 93. 34 78. 058 1. 3295 M62A1 APC 7kg 792. 8kg 792. (「SS戦車隊」の筆者が至近距離でシャーマン部隊と単騎で撃ち合って) (ボロボロになってる... 95deg -0. 1 -0. 2 4. 06 73. 69 67. 55 61. 41 55. 71 0. 523 1. 88 82 74 66. 32 59 0. 585 1. 215 AP 76mm 63mm 51mm 41 , 93. 34 77. 34 62. 63 50 1. 00 1. 434 M61 APC 6. 3kg 619?

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「シャーマン」戦車に望みをかける

シャーマン 戦車

第二次世界大戦が勃発した1939年、アメリカ陸軍は戦車の保有数が少なく、唯一の中戦車であるM2中戦車も時代遅れとなっており、陸上戦力には不安があった。 これは、アメリカがヨーロッパから大西洋を隔てていた事や、当初は中立的な立場(孤立主義)を取っていた事にも起因するが、ナチス・ドイツにより欧州の連合国が次々と陥落し、さらに東南アジアに進出した日本との関係悪化などから、1940年頃には連合各国へのレンドリース法を適用した支援やアメリカ自身の参戦に備えて、全周旋回砲塔に大型砲を搭載した戦車が必要と認識された。 しかし、当時のアメリカでは大直径の砲塔リングを量産できる体制が構築されていなかったことから、M4が開発されるまでの繋ぎとして車体に75mm砲を搭載するM3中戦車(25トン級)が先行生産された。 その後、M3のシャーシをベースに75mm砲を搭載した大型砲塔を持つ新戦車T6の開発と同時に航空・自動車産業を中心に生産体制の整備が急ピッチで行われた。 1941年10月にM4中戦車として制式採用されたが、鋳造生産能力の不足からT6と同じ鋳造一体構造の上部車体を持つM4A1と板金溶接車体のM4とが同時に量産される事になり、M4A1はアメリカ参戦直後の1942年2月から量産が開始され、M4は1942年7月から量産が開始された。 「M4A1中戦車」(Medium Tank M4A1)は、M4中戦車シリーズで最初に量産が開始された鋳造車体のタイプで、PSC社(Pressed Steel Car:圧延鋼板・自動車製作所)、リマ機関車製作所、PCF社(Pacific Car and Foundry:太平洋自動車製造・鋳造所)の3社が生産を担当し、リマ機関車製作所が1942年2月~1943年8月にかけて1,655両、PSC社が1942年3月~1943年11月にかけて3,700両、PCF社が1942年4月~1943年10月にかけて926両生産しており、合計で6,281両が完成している。 しかしM4中戦車シリーズの主砲に採用された37. 5口径75mm戦車砲M3は、19世紀末に開発された旧式野砲を戦車砲に改造したもので近い将来威力不足になることは明らかであり、アメリカ陸軍は当初からM4中戦車の主砲を強化する必要性を認識していた。 そして最初に新型戦車砲の候補に挙げられたのが、M10対戦車自走砲の主砲に採用された50口径3インチ(76. 2mm)戦車砲M7であった。 この3インチ戦車砲M7は、第1次世界大戦中の1918年に開発された3インチ高射砲M3を車載用に改修したもので、高初速で装甲貫徹力も75mm戦車砲M3より優れており、M4中戦車への搭載にあたっては砲架や防盾を変更すること無く搭載するための改良が行われた。 1942年8月にM4A1中戦車に対して3インチ戦車砲M7が搭載され、射撃試験を実施した結果好成績を収めたため早速1,000両が発注されることになった。 しかし1943年2月から行われた運用試験では砲塔内の作業スペースが少なく、装填などの問題に加え居住性にも難があるとして制式化中止を勧告されてしまった。 しかし主砲の強化が必要であることは変わらず、1943年5月に新たな開発が行われることとなった。 この第2案ともいえる火力強化型は、主砲にT20中戦車への搭載を図って開発された52口径76. 2mm戦車砲M1を採用し、砲塔もM4中戦車のものに代えてT20中戦車の先行生産型の砲塔を流用していた。 T20中戦車の砲塔は76. 2mm戦車砲M1を装備する前提で設計されており、M4中戦車のものよりサイズが大きく砲塔内の作業スペースや居住性の問題が改善されていた。 この火力強化型には「M4E6」の名称が与えられて、試作車の製作が開始された。 なおM4E6中戦車は車体についても弾薬を全て車体下部に収め、さらに弾薬庫に水を張ったいわゆる湿式弾薬庫に替えられるなどの改良が行われた。 M4E6中戦車の試作車は1943年7月に完成し試験の結果も良好であったため、翌8月に1,000両が発注されることとなった。 この生産発注と前後する1943年7月には、防御力の強化と生産性の向上を図ったM4中戦車の新型車体が開発されることになった。 この新型車体は前面装甲板が一枚式となり、前述の湿式弾薬庫が採用された。 また1943年春に開発が始められた、渦巻スプリングを水平に置いた強化型サスペンション「HVSS」(Horizontal Volute Spring Suspension:水平渦巻スプリング・サスペンション)も1944年3月に採用が決まった。 併せて、履帯も幅広の新型に換装されている。 2mm砲搭載型のM4A1中戦車は1944年1月~1945年5月にかけてPSC社で3,426両が生産されており、1944年9月の生産車からHVSSが導入されている。 <M4A1中戦車 75mm砲搭載型> 全長: 5. 842m 全幅: 2. 616m 全高: 2. 743m 全備重量: 30. 3t 乗員: 5名 エンジン: コンティネンタルR-975-C1 4ストローク星型9気筒空冷ガソリン 最大出力: 400hp/2,400rpm 最大速度: 38. 62km/h 航続距離: 193km 武装: 37. 7~76. 2mm <M4A1中戦車 76. 2mm砲搭載型(初期生産車)> 全長: 7. 391m 車体長: 6. 198m 全幅: 2. 667m 全高: 2. 972m 全備重量: 32. 024t 乗員: 5名 エンジン: コンティネンタルR-975-C4 4ストローク星型9気筒空冷ガソリン 最大出力: 460hp/2,400rpm 最大速度: 38. 62km/h 航続距離: 193km 武装: 52口径76. 7~107. 95mm <M4A1中戦車 76. 2mm砲搭載型(後期生産車)> 全長: 7. 391m 車体長: 6. 198m 全幅: 2. 997m 全高: 3. 023m 全備重量: 33. 362t 乗員: 5名 エンジン: コンティネンタルR-975-C4 4ストローク星型9気筒空冷ガソリン 最大出力: 460hp/2,400rpm 最大速度: 38. 62km/h 航続距離: 193km 武装: 52口径76. 7~107. 95mm M4、M4A1中戦車は共に、ライト航空産業製の航空機用星型9気筒空冷ガソリン・エンジン「ワールウィンド」(Whirlwind:旋風)R-975を搭載していたが、航空機増産のあおりを受けてこのエンジンの供給が充分なものでなくなることは明白であった。 そこでアメリカ陸軍はM4中戦車の大量生産を確実なものとするため、ジェネラル・モータース、フォード自動車、クライスラーの大手自動車メーカー3社に代替エンジンの提出を求めた。 これに応じてジェネラル・モータース社が開発した6046 直列12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力410hp)は、同社が民間トラック用に開発した6-71 直列6気筒液冷ディーゼル・エンジン2基を並列に組み付けたもので、片側のエンジンが故障してももう片側だけで戦車を動かすことが可能であるという利点があった。 この6046ディーゼル・エンジンを搭載するM4中戦車には「M4A2中戦車」(Medium Tank M4A2)の制式名称が与えられ、1942年4月から生産が開始された。 しかしM4A2中戦車はガソリン・エンジンが主流のアメリカ陸軍では使用されず、海兵隊が使用した他は他国への供与兵器に回されている。 M4A2中戦車の生産はグランド・ブラン工廠、PSCM社(Pullman-Standard Car Manufacturing:プルマン・スタンダード自動車製作所)、FMW社(Federal Machine and Welder:連邦機械・溶接会社)、アメリカ機関車製作所、ボールドウィン機関車製作所の5社が担当した。 グランド・ブラン工廠が1942年4月~1944年4月にかけて4,614両、PSCM社が1942年4月~1943年8月にかけて2,737両、アメリカ機関車製作所が1942年9月~1943年3月にかけて150両、ボールドウィン機関車製作所が1942年10月に12両、FMW社が1942年12月~1943年11月にかけて540両生産しており、合計で8,053両のM4A2中戦車(75mm砲搭載型)が完成している。 さらに1944年5月からは、長砲身76. 2mm砲搭載型のM4A2中戦車の生産が開始された。 2mm砲搭載型はグランド・ブラン工廠が1944年5月~1945年5月にかけて2,894両、PSC社(Pressed Steel Car:圧延鋼板・自動車製作所)が1945年5月に21両生産しており、合計で2,915両が完成している。 なお1944年9月の生産車からは、「HVSS」(Horizontal Volute Spring Suspension:水平渦巻スプリング・サスペンション)が導入されている。 2mm砲搭載型のM4A2中戦車は、ほとんどがソ連への供与に振り向けられている。 <M4A2中戦車 75mm砲搭載型> 全長: 5. 918m 全幅: 2. 616m 全高: 2. 743m 全備重量: 31. 843t 乗員: 5名 エンジン: GM 6046 2ストローク直列12気筒液冷ディーゼル 最大出力: 410hp/2,900rpm 最大速度: 48. 28km/h 航続距離: 241km 武装: 37. 7~107. 95mm <M4A2中戦車 76. 2mm砲搭載型(初期生産車)> 全長: 7. 493m 車体長: 6. 299m 全幅: 2. 667m 全高: 2. 972m 全備重量: 33. 294t 乗員: 5名 エンジン: GM 6046 2ストローク直列12気筒液冷ディーゼル 最大出力: 410hp/2,900rpm 最大速度: 48. 28km/h 航続距離: 161km 武装: 52口径76. 7~107. 95mm <M4A2中戦車 76. 2mm砲搭載型(後期生産車)> 全長: 7. 493m 車体長: 6. 299m 全幅: 2. 997m 全高: 2. 972m 全備重量: 34. 632t 乗員: 5名 エンジン: GM 6046 2ストローク直列12気筒液冷ディーゼル 最大出力: 410hp/2,900rpm 最大速度: 48. 28km/h 航続距離: 161km 武装: 52口径76. 7~107. 95mm 「M4A3中戦車」(Medium Tank M4A3)として制式化された車両は、M4中戦車シリーズに搭載されたエンジンの内、扱い易さと信頼性の高さで最も評価が高かったフォード自動車製のGAA V型8気筒液冷ガソリン・エンジン(出力500hp)を搭載したタイプである。 M4A3中戦車は1942年6月からフォード自動車の工場で生産が開始されたがエンジン供給の問題からか、前期型車体の75mm砲搭載型は1943年8月までに1,690両が生産されたに留まった。 その後1944年2月からは一枚板の前面装甲板と湿式弾薬庫を持つ新型車体の75mm砲搭載型が、ジェネラル・モータース社傘下のグランド・ブラン工廠で1945年2月までに3,071両生産された。 グランド・ブラン工廠は、アメリカ陸軍が戦車の大量生産を行うためにミシガン州グランド・ブランに1942年に設立した国営戦車工場で、ジェネラル・モータース社の子会社であるフィッシャー車体製作所が管理していた。 同様の目的で設立された国営戦車工場には、1940年にミシガン州ウォーレンに設立されクライスラー社の管理下に置かれたデトロイト工廠がある。 M4中戦車シリーズの生産が装甲貫徹力に優れる長砲身76. 2mm砲搭載型に切り替えられた1944年以降も、75mm砲搭載型M4A3中戦車の生産が続けられたのは、歩兵支援用に使うには従来の75mm戦車砲の方が榴弾威力が大きかったからである。 1944年3月からは、長砲身76. 2mm砲搭載型のM4A3中戦車の生産が開始された。 2mm砲搭載型はデトロイト工廠が1944年3月~1945年4月にかけて4,017両、グランド・ブラン工廠が1944年9~11月にかけて525両生産しており、合計で4,542両が完成している。 1944年9月の生産車からは「HVSS」(Horizontal Volute Spring Suspension:水平渦巻スプリング・サスペンション)が導入されており、4,542両の内の1,400両がこのHVSS型である。 また主砲を105mm榴弾砲に換装した火力支援型のM4A3中戦車も、1944年3月~1945年6月にかけてデトロイト工廠で3,039両生産されており、1944年10月以降に生産された2,539両はHVSS型であった。 HVSSは、従来のVVSS(Vertical Volute Spring Suspension:垂直渦巻スプリング・サスペンション)で垂直に配置されていた渦巻スプリングを水平に配置することでストロークの増大を図ったもので、VVSSに比べて緩衝能力が向上していた。 またVVSSでは16. 5インチ(419. 1mm)だった履帯幅がHVSSでは23インチ(584. 2mm)に拡大されたため、不整地での機動性も向上した。 なおHVSS型のM4A3中戦車の内、76. 2mm砲搭載型のものは1945年春には「M4A3E8」の呼称で呼ばれることが多くなった。 元々「M4A3E8」は、HVSSを装備した76. 2mm砲搭載型M4A3中戦車の試作段階の呼称であったが(HVSS装備の105mm砲搭載型M4A3中戦車の試作名称はM4A3E9)、現場では76. 2mm砲装備のHVSS型M4A3中戦車を指し示す呼称として広く使われるようになった。 部隊によっては、末尾の「E8」(Essay 8:8番目の試作品の略)に因んで「Easy 8」という呼称を用いることもあったが、これは戦後になって使われ始めた呼称のようである。 <M4A3中戦車 75mm砲搭載型(初期生産車)> 全長: 5. 906m 全幅: 2. 616m 全高: 2. 743m 全備重量: 30. 255t 乗員: 5名 エンジン: フォードGAA 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン 最大出力: 500hp/2,600rpm 最大速度: 41. 84km/h 航続距離: 209km 武装: 37. 7~88. 9mm <M4A3中戦車 75mm砲搭載型(後期生産車)> 全長: 6. 274m 全幅: 2. 667m 全高: 2. 939m 全備重量: 31. 571t 乗員: 5名 エンジン: フォードGAA 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン 最大出力: 500hp/2,600rpm 最大速度: 41. 84km/h 航続距離: 161km 武装: 37. 7~107. 95mm <M4A3中戦車 76. 2mm砲搭載型(初期生産車)> 全長: 7. 493m 車体長: 6. 299m 全幅: 2. 667m 全高: 2. 972m 全備重量: 32. 319t 乗員: 5名 エンジン: フォードGAA 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン 最大出力: 500hp/2,600rpm 最大速度: 41. 84km/h 航続距離: 161km 武装: 52口径76. 7~107. 95mm <M4A3中戦車 76. 2mm砲搭載型(後期生産車)> 全長: 7. 493m 車体長: 6. 274m 全幅: 2. 997m 全高: 2. 972m 全備重量: 33. 657t 乗員: 5名 エンジン: フォードGAA 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン 最大出力: 500hp/2,600rpm 最大速度: 41. 84km/h 航続距離: 161km 武装: 52口径76. 7~107. 95mm <M4A3中戦車 105mm砲搭載型(初期生産車)> 全長: 5. 906m 全幅: 2. 616m 全高: 2. 743m 全備重量: 31. 729t 乗員: 5名 エンジン: フォードGAA 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン 最大出力: 500hp/2,600rpm 最大速度: 41. 84km/h 航続距離: 161km 武装: 22. 7~107. 95mm <M4A3中戦車 105mm砲搭載型(後期生産車)> 全長: 6. 274m 全幅: 2. 997m 全高: 2. 972m 全備重量: 33. 067t 乗員: 5名 エンジン: フォードGAA 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン 最大出力: 500hp/2,600rpm 最大速度: 41. 84km/h 航続距離: 161km 武装: 22. 7~107. 95mm アメリカ陸軍は歩兵の突撃を支援できる戦車の必要性を認識しており、その任務に充てるための重戦車を実用化することが構想されていたが、幾つかの試みはどうしてもものにならなかった。 このため1944年初め、重装甲の歩兵支援突撃戦車の開発が始められた。 しかしアメリカ陸軍には適当な重車体が無かったため、広く使用されていたM4A3中戦車の車体をベースに開発されることになった。 M4A3中戦車の改造は、突破のための重装甲の付与が中心となった。 車体は前面および左右側面に1. 5インチ(38. 1mm)厚の増加装甲板が追加され、ディファレンシャル・カバーも最大5. 5インチ(139. 7mm)の厚さを持つものに改められた。 砲塔はT23中戦車用に開発されていたものを基本にして、装甲厚を6インチ(152. 4mm)に増したものが採用された。 主砲防盾は76. 2mm戦車砲M1用のM62防盾に追加装甲を施したT110と呼ばれるもので、厚さは7インチ(177. 8mm)に達した。 この装甲強化の結果、戦闘重量はM4A3中戦車より約8t増加して38. 1tに達した。 エンジンは変更されなかったため、路上最大速度はM4A3中戦車の26マイル(41. 84km)/hから22マイル(35. 41km)/hに低下した。 ただし、接地圧を下げるため履帯の両端に幅を広げるアタッチメントが取り付けられたため、行動能力はある程度確保されていた。 本車はM4A3E2「ジャンボ」(Jumbo:巨漢、巨獣)の名称で1944年3月より限定制式化され、同年5月からジェネラル・モータース社傘下のグランド・ブラン工廠で生産が開始されたが、すぐにM26パーシング重戦車の生産開始が決定されたため、1944年7月までの3カ月間にわずか254両が完成しただけで生産は打ち切られた。 ジャンボ突撃戦車は大急ぎでヨーロッパに送られたが、1944年秋に実戦投入された時点で将兵たちには非常に評判が高かった。 重量増加が路上速度の低下に繋がったとはいえ、防御力の強化はそれを埋め合わせて余りあるものと受け取られたのである。 ジャンボ突撃戦車は、対戦車砲が待ち伏せしていそうな道路を進む縦隊の先導役に活用された。 本車の主砲は原型のM4A3中戦車と同じ37. 5口径75mm戦車砲M3が搭載されていたが、一部の車両では現地改造で、破壊されたM4中戦車シリーズから取り外された52口径76. 2mm戦車砲M1に換装された他、車体前部に火焔放射機が装着された車両もあった。 <M4A3E2突撃戦車> 全長: 6. 274m 全幅: 2. 936m 全高: 2. 954m 全備重量: 38. 102t 乗員: 5名 エンジン: フォードGAA 4ストロークV型8気筒液冷ガソリン 最大出力: 500hp/2,600rpm 最大速度: 35. 41km/h 航続距離: 161km 武装: 37. 7~177. 8mm 「M4A4中戦車」(Medium Tank M4A4)として制式化された車両は、クライスラー社製の民間トラック用直列6気筒液冷ガソリン・エンジンを5基マルチバンクに組み合わせたA57エンジンを搭載したタイプのM4中戦車であり、エンジンが大型なため車体後部が延長されている。 M4A4中戦車の生産は、ミシガン州ウォーレンのデトロイト工廠(1940年に設立されたクライスラー社傘下の国営戦車工場)1社のみが担当し、1942年6月~1943年8月にかけて7,499両が生産されている。 本車は大部分がイギリス軍への供与に振り向けられており、アメリカ軍では一部を訓練用に使用したに留まった。 イギリス軍では供与されたM4A4中戦車の一部の主砲を、強力な58. 3口径17ポンド(76. 2mm)戦車砲Mk. IVまたはMk. VIIに換装し、「シャーマン・ファイアフライVC型」(イギリス軍の分類ではM4A4はシャーマンV、17ポンド砲装備型はC型、「ファイアフライ」(Firefly:土蛍)は17ポンド砲装備型シャーマンに与えられた愛称)の名称で使用しており、ファイアフライの改修ベースはイギリス軍への供給数が一番多かったM4A4中戦車が最も多かった。 <M4A4中戦車> 全長: 6. 058m 全幅: 2. 616m 全高: 2. 743m 全備重量: 31. 616t 乗員: 5名 エンジン: クライスラーA57 4ストローク30気筒液冷ガソリン 最大出力: 425hp/2,850rpm 最大速度: 40. 23km/h 航続距離: 161km 武装: 37. 7~76. 2mm 「M4A6中戦車」(Medium Tank M4A6)として制式化された車両は、M4A4中戦車のエンジンをクライスラー社製のA57 マルチバンク30気筒液冷ガソリン・エンジンから、キャタピラー社製のD-200A 星型9気筒空冷ディーゼル・エンジン(後にRD-1820に改称)に換装し、車体前面が防弾鋼の鋳造、それ以外の部分が圧延防弾鋼板の溶接構造となっているハイブリッド車体を用いたタイプである。 M4A6中戦車の生産はM4A4中戦車と同じくミシガン州ウォーレンのデトロイト工廠が担当したが、1943年末にアメリカ陸軍がM4中戦車のエンジンをライト航空産業とフォード自動車のガソリン・エンジンに一本化し、M4、M4A1、M4A3の3つの型式に生産を絞ることを決定したため、1943年10月~1944年1月にかけてわずか75両が生産されたに留まった。 M4A6中戦車はアメリカ本国での訓練用に使用されただけで、実戦には投入されていない。 第2次世界大戦中、イギリス連邦はレンドリースによって17,181両ものM4中戦車シリーズをアメリカから受領し、1942年10月のエル・アラメイン戦に投入するために、M4A1中戦車を中心とした318両を同年9月に北アフリカ戦線(エジプト)に送り込んだのを皮切りに、第2次世界大戦の大半においてM4中戦車シリーズを機甲部隊の主力戦車として使用した。 マティルダII歩兵戦車やクルセイダー巡航戦車等のそれまでのイギリス製戦車が、徹甲弾しか撃てない2ポンド(40mm)砲か、榴弾しか撃てない3インチ(76. 2mm)榴弾砲のどちらかしか搭載していなかったのに対して、M4中戦車が搭載する37. 5口径75mm戦車砲M3は、19世紀末に設計された砲がベースとなったやや旧式な車載砲であったが、そこそこの貫徹力の徹甲弾と同じくそこそこの威力の榴弾のどちらもが発射可能で、戦場での使い勝手が極めて良かった。 その上走行性能と機械的信頼性の点でも、M4中戦車はそれまでのイギリス製戦車を凌駕した優秀な戦車であった。 ところが、III号戦車やIV号戦車といったドイツ軍戦車の方も段階的に性能を向上させており、さらに1942年11月に重装甲の新型戦車ティーガーが北アフリカ戦線(チュニジア)に登場するに至って、M4中戦車の75mm戦車砲M3ですら決定的に威力不足となってしまった。 イギリス陸軍は1941年4月より、強力な対戦車砲である17ポンド砲の設計と試作を進めていたが、既存兵器の増産が優先されたためになかなか量産に移されなかった。 しかしドイツ軍の新型戦車ティーガーの出現により、量産の開始が遅れていた17ポンド砲を大慌てで生産し、北アフリカへと送って急場を凌いだ。 この17ポンド砲は口径76. 2mm、砲身長比58. 3口径で、第2次世界大戦時に同砲用の徹甲弾として最も多用されたAPCBC Mk. VIII(風帽付被帽徹甲弾:重量17kg)が傾斜角30度で命中した場合、射距離500ヤード(約457m)で140mm、1,000ヤードで130mm、1,500ヤードで120mm、2,000ヤードで111mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することができた。 またこの17ポンド砲には1944年8月という早い段階で、今日では高速徹甲弾の代表的な弾種の1つとなっている装弾筒付徹甲弾(重量12. 9kg)が供給されるようになった。 ただし、当時は装弾筒付徹甲弾をAPDS(Armor Piercing Discarding Sabotの略)ではなく、SVDS(Super Velocity Discarding Sabotの略)と呼んでおり、傾斜角30度で命中した場合射距離500ヤードで208mm、1,000ヤードで192mm、1,500ヤードで176mm、2,000ヤードで161mmのRHAを貫徹することができた。 この数字はドイツ軍のティーガー戦車が装備する56口径8. 8cm戦車砲KwK36や、パンター戦車が装備する70口径7. 5cm戦車砲KwK42をも上回っていた。 しかし残念なことに、本来ならタングステン・カーバイト製の弾体から同時に分離するはずの装弾筒(Sabot)の各片の分離のタイミングが上手く同調しないという、初期のSVDS(=APDS)弾全体が抱えていた欠点のせいで、遠距離での命中精度が今ひとつだったため、同弾は比較的短射程での戦闘に用いられるに留まっている。 17ポンド砲は開発段階から車載化が考えられていたため、砲弾の装薬量が多く砲身長が長い割には砲そのものは軽く作られており、狭い戦車の砲塔に砲尾を収め易いように砲身重量と砲尾重量のバランスを上手く配分して、砲耳位置もかなり後方に寄せられていた。 ところがいざ完成してみると、全周旋回式砲塔に17ポンド砲の搭載が可能な既存のイギリス製戦車が1つも無いという現実に直面した。 これは、17ポンド砲の重量や反動に耐えられる車体が無いということではなく、どのイギリス戦車も単に砲塔リング径が小さ過ぎて、同砲を収めた旋回式砲塔を載せられないということであった。 しかし、前線からは17ポンド砲搭載戦車が欲しいという要望が強く出されていたため、当時最新の巡航戦車としてその開発が進められていた、A27クロムウェルのコンポーネントを可能な限り流用して、17ポンド砲を搭載する新型巡航戦車A30チャレンジャーを開発することが決定された。 このような状況下、王立砲術学校(ルールワース駐屯地に所在)所属のジョージ・ウィザリッジ少佐は、ジョージ・ブライティ少佐と共にアメリカ製のM4中戦車の主砲を75mm砲から17ポンド砲に換装することで、できるだけ早く17ポンド砲搭載戦車を戦力化しようという野心的な計画を立案した。 しかしイギリス戦争局は、この計画を非現実的なものとして却下してしまった。 ところが、チャレンジャー巡航戦車には技術的な問題が多々存在し、とてもではないが早期の戦力化など不可能であることが判明したばかりか、戦車ではなく自走砲ながらとりあえず17ポンド砲を搭載する予定のアーチャー対戦車自走砲の実戦配備も、大分未来になると判断された。 その上17ポンド砲にはやや劣るものの、それに準じた威力を有する3インチ戦車砲M7を搭載したアメリカ製のM10対戦車自走砲は、供与の約束こそ取り付けていたものの当時アメリカも自軍への配備を優先しており、イギリス軍に回ってくるのはかなり先になるものと予想された。 そこでウィザリッジ少佐は王立戦車軍団総監レイモンド・ブリッジス将軍に、M4中戦車への17ポンド砲搭載の件を持ち込み、技術的問題の解決も含めた計画の早期実現を請願した結果、とりあえずイギリス陸軍内部で基礎開発を継続することとなった。 M4中戦車に17ポンド砲を搭載しようというウィザリッジ少佐の計画は、単なる思い付きや閃きによるようなものではなかった。 彼は北アフリカ戦線で、機構的にはM4中戦車とほとんど同様のM3中戦車装備の戦車中隊長として活躍したが、負傷しその傷が癒えた後に渡米して、フォート・ノックスのアメリカ陸軍機甲戦訓練所において、自らの実戦での経験をアメリカ軍関係者たちに教示した経験を持っていた。 そして、帰国後は王立砲術学校で自国将兵たちの教育啓蒙活動に携わるようになったが、彼はアメリカでM4中戦車の技術的内容を詳しく学んできており、将来の火力強化に備えてM4中戦車の砲塔リング径がかなり大きく設定されていることを前から良く知っていた。 さらに、3インチ戦車砲M7から派生した長砲身の76. 2mm戦車砲T1(後に76. 2mm戦車砲M1として制式化される)を、75mm砲搭載型M4中戦車のM34砲架に搭載する実験がアメリカで行われていることも知っていたため、同じ口径の17ポンド砲のM4中戦車への搭載も可能と確信していたのである。 第2次世界大戦中、イギリス連邦はレンドリースによって17,181両ものM4中戦車シリーズをアメリカから受領し、1942年10月のエル・アラメイン戦に投入するために、M4A1中戦車を中心とした318両を同年9月に北アフリカ戦線(エジプト)に送り込んだのを皮切りに、第2次世界大戦の大半においてM4中戦車シリーズを機甲部隊の主力戦車として使用した。 マティルダII歩兵戦車やクルセイダー巡航戦車等のそれまでのイギリス製戦車が、徹甲弾しか撃てない2ポンド(40mm)砲か、榴弾しか撃てない3インチ(76. 2mm)榴弾砲のどちらかしか搭載していなかったのに対して、M4中戦車が搭載する37. 5口径75mm戦車砲M3は、19世紀末に設計された砲がベースとなったやや旧式な車載砲であったが、そこそこの貫徹力の徹甲弾と同じくそこそこの威力の榴弾のどちらもが発射可能で、戦場での使い勝手が極めて良かった。 その上走行性能と機械的信頼性の点でも、M4中戦車はそれまでのイギリス製戦車を凌駕した優秀な戦車であった。 ところが、III号戦車やIV号戦車といったドイツ軍戦車の方も段階的に性能を向上させており、さらに1942年11月に重装甲の新型戦車ティーガーが北アフリカ戦線(チュニジア)に登場するに至って、M4中戦車の75mm戦車砲M3ですら決定的に威力不足となってしまった。 イギリス陸軍は1941年4月より、強力な対戦車砲である17ポンド砲の設計と試作を進めていたが、既存兵器の増産が優先されたためになかなか量産に移されなかった。 しかしドイツ軍の新型戦車ティーガーの出現により、量産の開始が遅れていた17ポンド砲を大慌てで生産し、北アフリカへと送って急場を凌いだ。 この17ポンド砲は口径76. 2mm、砲身長比58. 3口径で、第2次世界大戦時に同砲用の徹甲弾として最も多用されたAPCBC Mk. VIII(風帽付被帽徹甲弾:重量17kg)が傾斜角30度で命中した場合、射距離500ヤード(約457m)で140mm、1,000ヤードで130mm、1,500ヤードで120mm、2,000ヤードで111mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することができた。 またこの17ポンド砲には1944年8月という早い段階で、今日では高速徹甲弾の代表的な弾種の1つとなっている装弾筒付徹甲弾(重量12. 9kg)が供給されるようになった。 ただし、当時は装弾筒付徹甲弾をAPDS(Armor Piercing Discarding Sabotの略)ではなく、SVDS(Super Velocity Discarding Sabotの略)と呼んでおり、傾斜角30度で命中した場合射距離500ヤードで208mm、1,000ヤードで192mm、1,500ヤードで176mm、2,000ヤードで161mmのRHAを貫徹することができた。

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