えぬえいちすりー。 変な質問ですが、暗記する時のイオン式の読み方、覚え方を教えて...

変な質問ですが、暗記する時のイオン式の読み方、覚え方を教えて...

えぬえいちすりー

……うん。 泣いてた 彼はまだ涙の浮かんでいる瞳を細め、笑顔でそう答えた。 結局守れなかった。 弾切れでさ、もうちょっと、もうちょっとだったのに……。 そしてさ、なんか、すごく嫌な気持ちになっ た だが、そこで言葉を切り、俯く。 照明の元、影になって表情は読み取れない。 今でもよく分からないけど……、許せなくなった。 すごく。 そしたらなんか、自分が誰なのかも分からないようになって、な んか、すごく 影になった彼から、涙が零れた気がした。 しかし、薄暗いためそれが涙だったのか、分からない。 怖いよ 彼からその言葉を聞くのは初めてだった。 レイヴンだから、きっと意識してないところで人を殺してるんだと思う。 それもきっと許されない事だけど……、でも…… 嗚咽のように震えた声で彼は確かにそう言った。 俺……、人を殺したいと思ったの初めてだよ…… そして彼は翌日、ここからいなくなっていた。 彼女には一言も声をかける事も無く、フエーリアエと共に。 そして今日で それから丸一日経つ。 一応このガレージの整備士である彼女にも連絡があっても良いのだろうが、無いのだ。 それにあったところで彼女に 何も言う資格は無い。 その事は分かっているのだが……。 彼女は思わず見上げる。 遥か高い窓から射す朝日に照らされるACハンガーにあの派手なヒーロー色に彩られたAC の姿は無い。 巨大な腕そのもののロボットアームがそこでその役割を待っているだけだ。 人を殺したいと思ったの初めてだよ…… 再びその言葉を思い出す。 彼女が思い返してみれば、それこそ数え切れないほど人に対して殺意を抱きながら生きてきた。 初めて人を殺したい と思った時の事など思い出せない。 ただ、今でも家族を殺したレイヴンに対する憎悪、殺意は癒えてはいない。 それが 初めて彼女が抱いた殺意だとすれば、ジーノはその事自体に恐怖は感じない。 むしろ、そのレイヴンが今でものうのう と生きているとすれば、それが悔しくて仕方がない。 しかし、ロジャーの言葉を思い出すとそんな考えを持つ自分がこれ以上無く醜く感じられた。 人間なら誰もが抱くはずの負の感情にロジャーは自身に恐怖していた。 望まないながらもレイヴンとして人を殺してしまい、いざ殺意を抱けばそれに恐怖するロジャー。 殺意は抱くがそれを 実行する事の無い自分。 一体人間としてどちらがまともなのだろう。 トゥワイフという医者なら答えられそうな気がした。 彼は自分が元々レイヴンであると彼女に知らせた。 正確には口にしたわけではなく、レイヴンしか持つ事の許されな い携帯ナーヴを持っている事で彼女にその事実を伝えたのだ。 彼もかつてレイヴンとして苦悩したのだろうか。 ロジャーのように。 そしてそのロジャーは今どこにいるのだろう。 なぜここを出て行かなければならなかったのだろう。 そこまで考えてジーノは首を振った。 どうしてしまったのだろう。 気付けばロジャーの事ばかり考えてしまう。 そう思えばこの間はコヨミの事ばかりを心配し ていた。 実は自分が思う以上に思い悩む性格なのだろうか。 そう考えて彼女はひとり自嘲した。 そんな事を考えている時点で思い悩む性格である証拠だ。 ジーノは何も考えないようにと自分に言い聞かせ、足早に自室へと向かった。 今日からACが一機、このガレージで預かる事になる。 そうすればまた忙しくなるだろう。 仕事をしていれば思い悩む 事も無い。 友達じゃん 不意にそんな言葉を思い出す。 もし、また会うような事があれば、 「認めてもいいかな」 彼女は自分自身にしか聞こえない声で、そう呟いた。 もう、何日も、何年も歩いている錯覚を覚える真っ白の通路、俺は呼ばれ、そこを進む。 何のために呼ばれているのか、そんな事は知らん。 ただ呼ばれたから行くだけだ。 気にいらねぇが、自分の身分って やつを考えるとそうも言っていられない。 所長室。 そこで俺が何を言われるか、もしくは何を知らされるか。 想像は出来るがしようとは思わない。 実際見ていない事、聞いていない事を信用する気は無いからな。 他のやつとは違う。 俺は自分で考え、自分で決める。 他のやつとは違うんだ。 俺に付き添う人間はいない。 妙な行動をとろうにも通路を見渡せばざっと2、3の監視カメラが目に付く。 そいつが俺 の動きに合わせて首を振り、ピントを合わせる機械音が聞こえる。 こいつらが常に行動を監視する。 おまけに何か出来 たとして俺の体内で生命活動を補助しているナノマシンが自殺命令を受ければ俺は即死するしかない。 そしてその命 令はボタンひとつで発せられるわけだ。 冗談じゃない。 だが、長い間こんなところで生きていればその穴も見えてくる。 おかげで資料のひとつでもパクる事は出来たんだが、 まあ、それだけだ。 その穴もどこにでもあるわけじゃない。 思考を走らせながら脚が遂に所長室に辿り着く。 前にも来た事はあるが、その時は警告だった。 お前は危険だが、いつでも殺せる。 せいぜい生きろ。 確か、そう言われた。 しっかりと覚えちゃいないが。 目の前に丸く縁取られた亀裂のようなもんがある。 趣味の悪い出入り口だ。 その上に設置された監視カメラが俺を睨みつける。 気に入らない面構えだ。 そのカメラで俺がここに来た事が分かったのか、目の前でドア、と言うよりもゲートが開く。 何をそんなに怯えているの か二重ゲートになっていやがる。 『入りたまえ』 どこまでも気に入らないカメラはそんな事まで言う。 何か機会があれば握り潰したいところだが、そう簡単じゃないの が残念だ。 促されるままにそのカメラを潜る。 二重になっている分厚い敷居を跨ぎ、そこは通路の延長のような白い閉鎖空間 だ。 少しばかり広いが、その先に白いデスクと、偉そうな人間がひとり。 初めて見る顔だが所長室にいるのだから所長だろう。 前に来た時は見なかった。 「13だな」 ナンバーを抜かし、気だるそうに男が言う。 歳は四十そこそこ。 鼻の下と顎に中途半端な黒い髭を生やしてる。 背丈 は俺よりも低い。 殴りかかれば例え銃を持ち出しても確実に殺せる。 問題は例のボタンか。 俺は黙る。 そちらの方が都合が良い。 「二十時間後、別施設との二次試験がある」 別施設。 さっきの資料にあったエデンとヘヴンか。 試験ってのは例の如く殺し合いか、ACを使った殺し合い。 殺し合い、殺し合い、生き残れば強い。 簡単な事だ。 「この施設では、お前を選抜する事になった」 まあ、だろう。 俺は他の馬鹿とは違う。 もちろん、1番強い。 俺が最強だ。 どんな野郎が出てこようが俺は勝つ。 その 自身がある。 「お前は色々と問題を抱えている。 だが、せめて試験中大人しくしていれば、無事は保証してやろう」 してやろう、と来た。 ふざけるな。 俺はお前のために生きてるわけじゃない。 俺が生きてるのは俺だけのためだ。 だが、口には出さない。 下手に騒いで、もう二度と口を開けないようにされても困る。 「その試験は極めて単純、いつものように戦え。 違うのは場所と相手と使うACだけだ」 ほう、ACが違うのは楽しみだ。 相手もな。 いつものような退屈な的、乗り物じゃあ欠伸3回の間に決着がつく。 そう考えれば少しくらいの危険は楽しみで仕方が 無い。 もちろん、最後の勝つのは俺だ。 負ける訳が無い。 「金色の目の使用を伝えておく。 存分に戦え」 所長は続ける。 そんな下らない事は文章にしてくれりゃいいんだが。 まあ、いい。 うまくいけば自由が手に入るかも知れん。 そういう期待もある。 「以上だ」 そしてもう一言、この言葉を期待していた。 いつまでもこんな辛気臭いところにはいたくない。 もちろん、ここに辛気臭く ないところなど無いから代わり映えはしないが。 逆らう理由は無い。 リスクに対するリターンも無い。 軽く一瞥し、踵を返す。 俺が向き返ったと同時に丁度良く開いたゲートに気を良くしながら、所長室を後にした。 ゲートの閉まる糞喧しい音を背後で聞きながら、おそらく生まれて初めて腹の中で何かが煮え滾るような感覚を抑え る。 妙にはしゃいで暴れれば名刺も持たない無礼な死神に首をさっくり持ってかれるかも知れん。 だが、うまくいけば……。 気分が良い。 そんなわけは無いが、白い通路が薔薇色に思えてくるほどに。 薔薇など生まれて一度も見た事は無いが。 「アルビノエンジェル……、長ったらしいな」 バーメンタイドは目の前のACと手前のコンソールパネルに表示されたその名前を見るとどうでも良いように呟いた。 このガレージに来る前に作業を受けたのか純白の塗装も奇麗なもので、関節にも疲労らしいものも無い。 このガレー ジにACを送ったのは仕事が減ったからか、それともレイヴンの気まぐれか。 とは言えこのガレージはネオアイザックの 中心に位置しているだけあって仕事には事欠かない。 所有者から換装の依頼は無い。 それほど汎用性の高い機体なのかとアセンブルデータを覗いてみればエネルギー バランスが悪く、武装もエネルギー系統だけときている。 そこへシールドとくればよほどの好きものなのか、兵なのか。 とにかく換装も修理も無ければ今まで通り暇なだけだ。 一対の大型の電極が邪魔でハンガーの設置に手間はかかったがそれも簡単なものだ。 AC用ハンガーは現行規格 のACならばどのようなアセンブルパターンでもあっても問題無くACを固定してくれる。 規格兵器はこういう面でも非常 に便利だ。 暇である事に対して小さく溜息を吐くと、今月の収入の事を考え更に溜息を吐く。 個人運営のガレージだ。 下手に根回りの無い分資金の無駄が無いため貧しいわけではないが、経営者としてはあま り気分の良いものではなかった。 従業員の殆どがアルバイト扱いなのが救いだ。 コンソールパネルの電源を落とし、パネルの冷却フィンが停止する音を確認すると、お前も熱かろうと彼は首に巻い ていた濡れタオルをその上に置いた。 昨日辺りから今までの肌寒い天候とうって変わり、夏らしい蒸し暑さが戻ってきた。 バーメンタイドは体質柄寒いよりも 暑い方が助かるのだが、こうも急に変わればその限りではない。 「夏風の使い過ぎ足れば、日は微笑み、雲は眠らん、か」 目の前で純白のACが零れ射す光を反射し僅かに辺りを照らす。 かつてはこのハンガーに赤い原色のACがかけられていた。 だが、あの巨体も手続きひとつでここではない何処かへ 運送される。 その運送先を知るのはガレージ管理人である彼だけだ。 少なくともここでは。 そしてそれは誰にも教えては ならないようになっている。 レイヴンはあらゆる意味で人の恨みを買う。 当然の事だ。 だが、フエーリアエに乗るレイヴンは違う。 少なくとも、人間としては。 そこまで考えて彼は止めた。 そうだとしてどうするというものではないのだ。 踵を返し、自室へ向かおうとするとジャケットの中で派手な電子音が鳴り響いた。 携帯電話への着信だろう。 着信音 からするにテキストメールだ。 「仕事だ、仕事」 そしてその着信音はこのガレージに送られてきたものを携帯電話へ送信したものだ。 さすがに大きな容量を持つ画 像などは出来ないが、簡単なテキストならば携帯電話でも十分再生出来る。 ストレートタイプの液晶画面に受信したメールのテキストが表示される。 簡潔で、あまりにも短い。 『ACを使用する。 用意を。 R999KkyT0q ナイツ』 ただ、それだけだ。 この十桁のパスワードは全通りで十京近い並びがある。 地球と火星のレイヴンを足した総数でもたかだか一、二万程 度のレイヴンにそのすべての通りが使用出来るわけではないが、偶然で一致する事はまず無い。 このパスワードを完全に覚えると言う特技をいつの間にか身に付けていたバーメンタイドはそのメールが悪戯で無い 事を確認する。 用意というほどの用意は必要無いがコンコードからの迎えがいつ来てもいいようにする必要はある。 彼は携帯電話をジャケットにしまい直すと、改めて自室へと向かった。 悪くない。 目の前の鏡に映る手前の面に俺は満足する。 今までの黒い擬似光学カメラなんてつまらないもんじゃない。 完全な戦闘用の目玉だ。 俺にとって一番必要で、他には代わりの無い目玉。 金色の目。 およそ連続使用数百年の耐久性、極めて高い伝導効率、光ファイバーと純金繊維、そしてナノ精製された保護組織。 完璧だ。 こういうのが欲しかったんだよ。 体中に走る光学繊維の神経にはこれくらい無けりゃ釣り合わん。 強化された全身の筋肉繊維にはこれくらい無けりゃ 釣り合わん。 後頭部に追加された人工脳髄にはこれくらい無けりゃ釣り合わん。 他とは違うんだよ。 生きるために殺すんだ。 俺が生きるために。 他とは違う。 命令されて戦うような肉人形とは違う。 金色の目が入っていた合成スチールのケースに今までの出来そこないを放り込むとケースごと目の前の男に渡す。 「どうだ?」 そいつは馴れ馴れしくそんな事を聞きやがる。 こんな所にいなけりゃすぐにでも殺す。 殺してやるよ。 周囲は例の如く真っ白く塗られた滅菌室だ。 つまらない、退屈な色だ。 出来るなら真っ黒く塗り潰してみたいもんだ。 チカチカするんだよ、白ってのは。 折角の新しい目が草臥れちまう。 「目を入れ換えるってのはどんな気分なんだ?」 男は汚い顔を俺に近づけ、にたつく。 こいつも白い白衣を着たつまらない野郎だ。 「教えてやろうか?」 そいつの面に俺は二本の指をかざしてやった。 入れ換えるには今あるものを取り出す必要がある。 眼球を抉られると思ったんだろう。 男は座っていた椅子から転げ落ち、情けない声を上げる。 俺にそんな気は毛頭無 いんだがな。 そんな事をしたら次の瞬きが一生ものになっちまう。 男はまだあわあわ言ってやがる。 下らねぇ。 人工脳髄が三十分の時間経過を伝える。 嬉しくてたまらない。 「後十八時間と三十分」 いつの前にか声に出してしまっていた。 腰が抜けたそいつは呆けたように俺を見ている。 「誰を殺させてくれるんだ? 俺もどきじゃねぇんだろ? 教えてくれよ。 色々よ」 もう、止まらなかった。 待ち遠しくて仕方無ぇ。 早く、早く、戦わせろ。 病院屋上、大した高さではない。 しかし風が強く吹き、彼の羽織ったあり余りの白衣をはためかせた。 空は真っ青で、 唯一シティを警護しているのであろう無人航空機が丸い影を落としていた。 その姿は文字通り空跳ぶ円盤である。 彼は血の匂いを嫌うように缶に入った匂いの強い紅茶のプルタブを開け、それを花壇を仕切るコンクリートの上に置 く。 鮮やかな黄色、しかし控えめな大きさだ。 それが並び、一目には黄色いガードレールのようにも見える。 「……マリーゴールド……か」 年間を通して気温の低い火星には咲く事は無い夏の花だ。 それに並ぶように彼はゆっくりと腰を下ろした。 潰してしまわないように注意を払いながら。 それが目の前で眩しいほどの太陽光を吸収し、生きている。 そこには怒りも、憎しみも無い。 その代わりに喜びも、楽 しみも無いのだろう。 植物に精神や、感情があるという話も無くは無いが、進化の過程で動物と植物は最も早い段階で 分離した、完全な異生物だ。 あるとしても、分かり合える事は無いのだろう。 そもそも動物、つまり動物細胞生物は他の細胞生物を取り込み、つまり捕食する事によってエネルギーを得る事を選 んだ。 酸素を得る事により活発に活動出来るようになった彼らは自らよりも弱い者を取り込む事により、従来よりも何 倍も効率の良い生命活動を行なうようになった。 それに対して植物は根本的には今からなんら変わる事の無い性質を持ち続けている。 太陽から受ける事の出来る無 償のエネルギーと原子の海に多量に含まれていた二酸化炭素を組み合わせ、自らの礎とする。 そこに求めるという行 為は無く、もはや両者の間には相容れる事の無い何かがあったのだろう。 そしてその中、動物は意志を持った。 あくまで動物同士にしか理解し合えない意思であるのかも知れないが、辺りに 影響を与える事によって意思を示す事が出来るのは動物だ。 そしてその意思の根本にあるのは言わば肉食だ。 つまり支配だ。 そう言った性質を持つ以上、他種の生物は愚か、人間同士であっても争うのは言わば必然なのかも知れない。 そうだとしたら医者はどうしたら良い。 彼、ニコライは心の底から、そう思う。 冷たい紅茶を口に含む。 鼻を吹き抜ける香りが、消毒液と血の匂いを洗い流してくれるようだった。 照りつける日光が彼の短い金髪に反射し、皮膚に夏の暑さを浴びせかける。 火星出身の彼には過酷な天候だ。 だが、今は院内に戻る気は無かった。 遂先程まで例の強化人間と思われる人間ひとりを解剖した。 その時の、死体らしからぬ生暖かい臓器と無理やり取り 替えられたであろう人工臓器、人工繊維、どのように接続され、どのように連動していたかも分からない人工脳髄。 血 液中に多量に含まれていたナノマシン。 これを調査しろとは言われたが、短く、しかし正確に表現するとしたら、 「完全なオーバーテク」 彼は呟く。 しかしそんな事は全く問題が無いように思う。 彼にとって想いの種はその強化人間はこんなものを身体の中に内蔵して何を思っていたのかだ。 記憶細胞と言われるものが脳以外の臓器にも存在する事は分かっている。 そう言った観点からすれば、その大部分 を失った強化人間とははたして人間なのだろうか。 いや、きっと人間なのだろう。 少なくとも本人にとっては。 医者になると理屈っぽくなって仕方が無い。 ニコライは無駄に考える事を止めると再び紅茶を口にした。 その冷たさに口の中だけが別の世界に飛ばされたような 感覚を覚え、幼稚な妄想に彼は笑みを溢す。 そこに下らない理屈や妄想を持ち込むのはあまりにも非倫理的だ。 死は終わりであり、個人にとっては全て、世界の終わりも同然だ。 他人の考えや、科学の介入は全くの無意味。 彼は職業柄下手な軍人よりも多くの死体に立ち会う事が多いが、常々そう思う。 自分もいつかこうなるという恐怖では なく、どのような想いを遂げられずに死んでいったのかという無意味な同情。 医者であるためには少しくらいは不感症になった方が良いのだろう。 そうも思う。 ニコライは白衣のポケットから白いプラスチックのケースを取り出すとそこから薄乳白色のサプリメントを取り出した。 何粒かなどは考えず、出てきただけ掌に受け取り、それを口の中に放り込む。 それをガリガリと噛み砕き、紅茶で流し 込む。 こうして彼の昼休みは無事終わりを告げたのだった。 気分が良い。 俺は宛ても無く白い通路を闊歩している。 時折同じ顔をした人形がすれ違うが、もう違う。 俺の双眼はもうただの人工 眼じゃない。 戦闘用の金色の目。 殺すための、選ばれた者の眼ってわけだ。 元々こいつらは俺の相手にもならない肉屑だ。 どいつもこいつも同じような動き、それこそコピーだ。 動きを読むどこ ろか、"分かる"。 覚えちまったからな。 まずは上昇。 理に適ってると言えばそうだ。 ACは性質上真下への攻撃は出来ても真上への攻撃は苦手だ。 つまり上 にいれば有利と言う事になる。 だが、それも真上にいればの話だ。 距離を離せば空中にいる方が不利になる。 地上ではスラスターの出力を軽減し、その分をブースター出力に回せる が、空中では姿勢制御のためにもそうはいかない。 同じ武装で撃ち合えばどちらが勝つか、馬鹿でも分かるが肉人形 らには難しい問題のようだ。 そう言えば、俺らには生まれ持って戦うための知識、つまり小脳に戦闘に関する記憶が刷り込まれているんだそう だ。 それはどれも同じ、たったひとりの人間がモデルらしいが、そういうのもあるんだろう。 もちろんどれも同じようなや つじゃあ何の意味も無いからそれには色々情報操作が入ってるそうだ。 そしてその結果俺みたいなやつも出来たんだ ろう。 その人間が誰か、俺が知るわけもないが、多分レイヴンだろう。 ACの乗り方に関する事なんだからな。 あちこちで俺を監視するカメラがピントを合わせる機械音が鳴り響く。普通の人間には聞こえないような音だろうが、 俺には聞こえた。そういう風に出来ている。 いつ生まれ、いつこういう身体に仕上げられたか、そこの部分だけ記憶も、 人工脳髄の記録も曖昧で詳しくは分からんが、そんな事はどうでも良い。 選ばれたのは俺だ。いつまでも働き蟻をしているつもりは無い。 自由になったその時はここにいる俺もどきは皆殺しにしてやる。それと俺のボタンを握ってやがる奴も、ボタンも残ら ずだ。 後ろで色々やってやがるクラインとか言うレイヴンも、俺を知ってる奴もみんな殺す。 気に入らない奴も、目障り な奴も、みんな殺す。 それぐらいしてもいいだろう。 そのための力だ。 足元で白く光を放つ蛍光灯が妙に面白く感じられる。 もしかしたらこの蛍光灯を壊せばこの施設中が真っ黒になるに なるのでは、そんなくだらねぇ妄想のひとつも今では許せた。 脳内のエックス線センサーが前方、曲がり角の向こうで何かが動いている事を知らせる。 初めは中々慣れなかった が、今となっては便利で仕方ない。 そして予想通り前方から俺もどきが現れる。 しかし今までとは少し違う。 金色の眼の可視する周囲の熱は通常よりも低く、強化された聴覚から通常よりも軽い事が知覚出来た。 それはつまりプラスじゃない事を意味する。 俺よりも下、四班、五班と言ったところか。 下と言っても老化が止まってい る俺に比べてそうは違わねぇが。 白く反射するプレートにはNO44。 ぞろ目か。 13なんていう中途半端な数字を与えられた俺にとってはなんとも気に なる数字だ。 「羨ましいな」 俺は思うまま言葉を吐き出す。 そいつは俺の言葉を無視するでもなく、一瞥をくれてそのまま横を通り過ぎようとする。 つまらん奴だ。 「待てよ」 44の前に腕を伸ばし、邪魔をする。 だが、その腕を避けて更に無視を続けるそいつは正に俺の殺したい人間だ。 気に入らねぇ、下らねぇ、つまらねぇ。 「おい」 腕を伸ばせばすぐに届いた。 俺の手が知覚するそいつの腕はあまりに弱い、人間の物だ。 つくづく思う。 弱い奴に生きる価値は無い。 「放せ」 何? こいつが言ったのか? 弱者が吼えたのか? もどきが、俺と同じ声でか? そしてそいつが黒い本物の眼で俺を睨みつけている事に気付き、人口脳髄が思考を止める。 右手の中で何かが砕けるのを知覚する。 そして摂氏42度前後の血液、痙攣する筋肉。 だがセンサーがその無駄な 情報を送り込むのを中断させ、そのまま投げ飛ばす。 飛び散った血で白い壁が赤く染まるのが思いがけず面白い。 普通の人間ならショックだの、苦痛だので意識を失うんだろう。 だがこいつも一応まともじゃない側だ。 面を顰めてや がるが意識はしっかりとしていそうだ。 そう簡単には殺さん。 生身なら生身なりの扱い方がある。 強化されていない眼球を抉り出し、筋肉を引きずり出し、心臓を取り出して口に詰め込む。 そう思考したところで機械音を知覚する。 下、上。 視覚には温度の上昇、大気のうねりが"見える"。 施設防衛用のレーザーか何かだ。 騒ぎをかぎつけて強硬手段という分けか。 流石にはしゃぎ過ぎたな。 俺はそう後悔しながら半歩後退する。 その瞬間を見計らったように熱が目の前を通過する。 レーザーというよりも極めて単純なカロリービームか。 床から、 いや天井から何条も何重に渡り照射されているのが大気熱の動きで分かる。 もちろんあちこちで火花が上がっている 以外に可視は出来ないが身動きがとれない事も十分に理解出来た。 44は運良く熱に切り裂かれずに済んだようだがやはり無事ではなかった。 ビームが掠めただけなんだろうが床に突 っ伏し、微動だにしない。 白い服からは炎が上がり、死んでいる事は容易に想像がついた。 まったく、これだから生身は嫌だ。 すぐにくたばる。 ビームの照射は止まない。 流石にこれだけ長時間照射していると気温の上昇も尋常じゃない。 感覚センサーに連動 する人工脳髄は常人ならばこの場にいるだけで全身を火傷するほどの温度を叩き出している。 もちろん全身の生命維 持ナノマシンは細胞組織が傷つく側から再生させ、そもそも遺伝子レベルで強化されている身体はこんなもので音を上 げない。 遠方でスピーカーが振動するのを知覚する。 音声が接続されたんだろう。 『13』 案の定可愛げの無い野太い声が俺の番号を呼ぶ。 『お前を拘束する。 そのまま動くな』 そして接続が中断された。 動こうにもこれじゃ動けねぇが。 まあ流石に今回の事はしょうがないかも知れん。 サーカスのライオンもピエロを食い殺せばその末路は悲惨極まりな い。 溜息を吐き、直立不動のまま待つ事にした。 考え方を変えれば殺されなかっただけ幸運だ。 それだけ俺が重宝されているのか、死よりも酷い仕打ちが待っている のか、考ええるだけ無駄か。 なるようにしかならない。 少なくとも自由になれるまでは。 再び溜息を吐き、高熱の大気を人工肺に吸いながらふと思う。 サーカスのライオン、ピエロ。 俺のこういった知識はいつ、どこで得たものなのだろう。 「ああ、そうそう。 とりあえずお前とサライだけでも来てくれよ。 今ACが出るから戻ってくる頃にさ」 バーメンタイドは受話器を手に捲くし立てる。 電話線の向こうでは少しばかり機嫌の悪そうな若い男の声が応えてい る。 『あのですね? 親方。 サライさんは分かんないですけど僕は勉強中でしてね? 今年は大学受かりたいな〜っていう 切なる願いがありましてね?』 「なあ、ベンよ」 ベンの言葉には耳も貸さず、彼は続ける。 「車傷ついてたんだよ。 俺の知らない間に。 ケツの方」 全く関係の無い話だった。 傍目にはそう感じられる。 しかし、少なくともベンにとってはそうではないらしく、"切なる願い "の続きを言い出せなくなった。 『……へぇ〜、世の中不思議な事もあるもんですね〜』 代わりに白々しくもそう言うが、明らかな動揺が聞き取れた。 電話線の向こうできっと顔を引きつらせているに違い無 い。 「ジーノは既に自供してるぞ」 『……あいつ。 いや、僕はあいつに頼まれてですよ。 ホント。 僕もね、止めたんですよ〜? でもほら、あいつロジャーの 奴と何かあったから』 だがバーメンタイドの一言で彼は簡単に観念した。 猿ぐつわを外された如くぺらぺらと言い訳をする。 「嘘だ」 それを止めるように彼はただ一言、そう言う。 『はぁ?』 ベンはそれに間抜けな声を出すしか無い。 それ以外何も出来ないが、嫌な予感だけはしっかりとした形で彼を縛り付 けるのだった。 「ジーノは何も言ってねぇよ」 ただ沈黙が流れ、しばらく後、更にもう一言。 「早く来い」 『はい』 ようやく聞く事の出来たその素直な言葉を最後にバーメンタイドは端末のリセットボタンをひと押しし、回線を切断する と予め登録しておいた短縮ナンバーを入力する。 受話器の向こうで呼び出し音が一回、二回、その途中彼の視界に見知った背中が見えた。 水色の光沢を放つ合成繊維のボディーバッグを背負い、靴の踵を合わせるように何度も爪先で合成金属の壁を蹴り つけている。 傍目には陰湿な八つ当たりのようにも見えるが、そうではないと思いたい。 『おーい。 どうかしましたか〜?』 その光景を見ているといつの間にか呼び出し音は中断されており、受話器の向こう側から女声が彼を読んでいた。 こ こで雇っている整備士の一人である、サライの声だ。 「ん? ああ」 一瞬何の用事だったが忘れてしまったがすぐに思い出す。 しかしそれほど急ぐ事でもなかった。 「掛け直す」 『なんだそりゃ』 不満そうな声を無視してバーメンタイドは受話器を電話端末の上に載せるとやや駆け足でその背中に向かう。 広いガ レージにあっては端から端までがちょっとしたマラソンだ。 そうでなくとも数十メートル単位で離れている。 色々な意味で 距離を感じてしまうのもしょうがなかった。 「ジーノ」 彼はその背中に辿り着く前に声をかけた。 こちらの方が早い。 声をかけられジーノは律儀に振り向いた。 しかし露骨に嫌そうな表情を作り、両手を腰に当ててその場でバーメンタイ ドを待ち構えた。 「何だぁ? その面ぁ」 そんな顔をされたらいくら姪とは言え正直いい気ではいられない。 最近ぶり返してきた夏の暑さもあり少しばかり不機 嫌にもなる。 「どうせ、なんだ、またコヨミのとこか。 いい加減迷惑だろ。 それよりもこっちを手伝え、じゃなかったら勉強しろ、でし ょ?」 「まあそうだな。 保護者としては特に勉強しろ、を推したい」 皮肉を込めたジーノの言葉に叔父の彼もまた皮肉で返す。 ただ彼の場合あまりにも露骨であったが。 「で、どこ行く気だ?」 「コヨミんとこ」 「やっぱな」 「悪い?」 「勉強しろ」 「教えてもらうのよ」 「大体あっちまでの脚無ぇだろ?」 「歩く」 「若いねぇ」 「誉め言葉?」 「違うに決まってんだろ」 「どうしろっての?」 「手伝え」 「ヤダ」 「あのな?」 バーメンタイドは溜息を吐く。 これでは堂々参りだ。 ただ、あの男がいなくなった事の負い目はあまり無いようで正直な ところ少しばかり安心する。 それにしても昔は良くこんな口論をしたものだった。 もう何年前になるか。 お互い我の強い性格が災いして下らない事 で言い争った。 その度母親の食料制裁を受け無理矢理仲直り。 今となっては遠い昔の出来事だ。 「やっぱ姉貴の子供だよ、お前」 ついつい笑みを溢しながらバーメンタイドはそう言うのだった。 案の定ジーノは彼が何を言いたいのか分かりかねた。 また何かの皮肉か、などとも思ったがバーメンタイドはポケット のチェーンにつけられていた幾つもの鍵の中から一つだけを取り外すとそれをジーノに差し出した。 「え、何?」 それがどういう意味か分からず、ジーノはその鍵を受け取る事も出来なかった。 「スクーターの鍵だ。 使え」 これはこうなってしまえば何を言っても無駄だろうと言う彼なりの理解の示し方だった。 しかしそれも十分とは言えな い。 「あたし免許無いよ」 当然のようにそう言い返すがバーメンタイドは涼しい顔だ。 「なーに。 スクーターってのはバイクとは違う。 自転車乗れれば誰だって乗れんだよ」 確かにクラッチが無く、車高の低いスクーターとバイクとでは扱い方は大きく違う。 パワーと重量の関係でそれほどス ピードも出ない。 とは言えやはり免許が無ければ運転していいものではない。 「あたし自転車乗れないよ」 しかしそれ以前の問題である事を彼は思い知る。 初耳であるのと同時にそう言えばジーノが自転車に乗っているのを 見た事が無いのを思い出した。 「あ〜、そうか。 歩いて行け、だったら」 もうどうでも良いと彼は笑うとジーノの肩を叩いて再びサライに連絡をとるため電話端末に向かう。 「あのさ」 「あん?」 その彼の背中にジーノは声をかけた。 その声は先程口論していた時とは打って変わった控えめな声で、バーメンタイ ドは何事だと振り返る。 「本当に行っていいの?」 「はあ?」 ジーノのその言葉にバーメンタイドは思わず吹き出した。 改まって言ってみればいきなり何だ、と。 しかし、それを見るジーノにしてみれば馬鹿にされているようで良い気はしない。 「なに?」 「いいや」 まだ口を抑えながら横隔膜の痙攣と格闘している彼はそう言うのがやっとだ。 鍛えられた腹筋も内側からの攻撃には 全く無力で、痛くて仕方が無い。 「なんかムカツク」 当然のように出る彼女の言葉に手をひらひらさせながら、 「分かった分かった」 何とか笑いを堪えながら彼は言葉を繋げる。 「行けよ。 別に悪い事するわけじゃねぇし」 そしてそう言うと限界に達したのか、今度はガレージ中に響くような大声で笑いながら奥に消えていった。 その様子を呆れながら見送り、ジーノも踵を返す。 無駄に体力を使ったようで変に疲れたが、悪くなかった。 彼女にと って父親はやはり一人だが、父親代わりとなればやはり叔父のダイン・バーメンタイドでしか有り得なかった。 そして今 更ながら彼の心遣いに気付き、振り返ると既に小さくなっている彼の背中に心の中で小さく、ありがとう、と言うのだ。 その途端に誰かにぶつかった。 背負ったボディバックの中にある参考書の硬い感覚が、ぶつかった人物の力で押さ れているのが分かる。 「あ、ごめんなさいっ」 ジーノは反射的に出た言葉と共に慌てて振り返る。 振り返った先には少年が一人、立っていた。 衝突を避けた左手がかざされ、巨大なシャッターから射す夏の陽射しに 少年の白髪が鈍い光を放っている。 背丈はジーノよりも幾分か低く、歳も大きく見積もって十二、三程度に見えた。 「えっと」 その少年は黙ったまま、睨んでいるでもなく表情の宿らない瞳でジーノを見つめていた。 意思のようなものは読み取 れず、中途半端に長い前髪から覗くどこか人間離れした金色の目が金属的な光沢を見せた。 その顔を見てジーノは不思議な、しかしはっきりとした感覚を覚えた。 見覚え、だ。 しかし彼女の友人や知り合いのこの歳の少年はいない。 いたとして覚えてはいないのだ。 少年はその視線を彼女から反らし、虚ろな顔のままジーノの横を通り過ぎようとした。 「ねぇ」 その少年にジーノは声をかけた。 知らない人間に話し掛けるのは苦手だが相手は自分よりも年下であるし、そんな子 供がこんな所で何をしに来たのかも気になる。 だが、少年はその声がまるで聞こえていないように無視し、その歩みを止めない。 「ねぇってば」 先程よりも大きな声で再び声をかける。 だが、やはり彼に反応は見られない。 どこ吹く風と言った様子だ。 「ねぇ」 ジーノは少年に立ちはだかった。 体格で勝っているため気持ち的にもそれは簡単だった。 進路を断たれ少年は立ち止まり、しかし変わらぬ無表情を見せる。 一見不機嫌そうには見えるが、そうではないのか も知れない。 「何だ?」 彼は用事を尋ねた。 その声は見た目以上に低く、ただ空気が吐き出されているだけのような声だった。 言わば人間 味のようなものが無く、他者を拒絶しているようにすら感じられる。 「え、えと」 その声で改めて尋ねられるとすぐには答えられず口篭もってしまったが、しかし調子を取り戻す。 「何でこんな所にいるの? ここは君の来るような所じゃないよ?」 ジーノは相手を見た目相応の子供として優しく声をかけた。 あの男ならば相手が彼女ほどの歳でもこんなものだろう が、ジーノにとってはそうではなかった。 そんな彼女が鬱陶しいのだろうか、相変わらずの無表情がその内心を晒すのを拒んでいたが、少年は行動で示し た。 ジーンズのポケットから取り出した黒いカードを彼女に見せ、再び感情がこもらない低い声。 「R999KkyT0qナイツ。 ACの用意は済んでいるか?」 少年がまるで当然のように発した言葉にジーノの開いた口は塞がらなかった。 そう、彼の発しているのは他ならぬレ イヴンの言葉だ。 レイヴンとして以外には発する事の無い言葉。 返事を待つ前に奥にハンガーから開放された純白のACを確認するとそちらへ向かい歩き始めた。 それは主の搭乗 を待つように幾重にも重なったその胸部装甲板を持ち上げ、そこからはコックピットフレームが競り上がっている。 ACは暗黙の了解としてレイヴン以外の人間が搭乗し、操縦する事はタブーとされている。 そのためリグへの運搬もレ イヴン自身が行わなければならない。 一部のガレージではこのAC運搬のためにレイヴンとして登録したメカニックもい ると言うのだから、レイヴン以外の人間にとって、特にガレージの人間にとってはこれ以上面倒な事は無いのだ。 少年の背中は次第に小さくなっていく。 既にそれを追う気力も無く、ジーノはシャッターを潜る。 すると低い音に気付 き、そちらへ振り返ると周囲の建物よりも大きな巨大コンテナを持つキャリアーリグがディーンドライブと共に大量の大 気を排出しながらこちらへ向かっているのが、まるで何かに押し潰されそうな圧迫感と共に目についたのだった。 全身を強化合成繊維のベルトで巻きつけられ、さすがに身動きがとれず俺はコンテナ詰めにされどこかへ運搬されて いるようだった。 頭部には鉛のナノ結合繊維で出来たマスクがはめられ、何も見えない、何も知覚出来ない。 ただ全身の感覚は働いている。 そこから現在の体感速度、走行状況、そして大体の向かっている場所は分かる。 がこんがこんとマスクを貫通して聞こえる振動音。 ホバー推進ではなく、車両だ。 振動そのものは少ないからキャタピ ラか。 まあ、このあたりはさすがに分からん。 いつまでこんな事をしていればいいのか、俺は視床下部あたりで今にも暴れだしそうな欲求をやっとの事で押さえつ けるとひたすら人工脳髄で知る事が出来る時間の経過を待つ。 このまま殺されるような事が無ければ後二時間足らずでお楽しみの時間だ。 その事を考えれば何とか我慢出来る。 俺の人間じゃない部分が何の違和感も無く"俺"として働くその瞬間が最高だ。 そしてそれが敵を叩き潰す時、これも また最高だ。 戦っていられれば良い。 何も考える必要が無い。 そのための力だ。 しかし暇だ。 こうしてその時を待ち侘びるのも良いがそれまでの間に出来る事と言えばただひたすらの思考しか無 い。 この宇宙の成り立ち。 物質生成の過程。 万里の生まれた瞬間。 重力の正体。 下らない。 どんな理屈を並べようとする事は変わらねぇ。 だがそんな結論を出しちまうのも新たな退屈を生むだけだ。 ふと、思考は過去を振り返った。 しかし"人間"だった頃の記憶は曖昧だ。 それでもただひたすら戦っていた記憶しかないが、学ぶと言う記憶は特に無 い。 そもそも小脳に刷り込まれた何かが戦い方や基本的な知識となってるらしい。 つまりなんで俺らがACに乗って戦う必 要があるかと言えばその刷り込まれた基本的な知識の本来の持ち主がACに乗ってたって事だ。 逆に言えばそいつの 知識を刷り込まれた以上ACに乗る以外に有効な使い方は無いってわけだ。 まあそう言うわけでACを使った試験が連日行なわれる。 まあ試験とは名ばかりの殺し合いだが、俺はそれを生き残 った。 今生きてるのはもちろんその中で生き残った奴でしかないんだが、死んだやつは同じ条件で生産されたやつで補 充されると言うから解釈に困る。 殺された奴はその補充された奴と個体として同じなのか、だ。 まあ俺以外の奴は存在する価値も無いゴミ屑だ。 同じでもそうでなくても同じか。 思考を閉じる。 ただ時間の経過を待つ事にした。 人工脳髄に時間経過のタイマーを設定し、必要の無い睡眠へ、移行する。 男は見覚えの無い場所で目を覚ました。 三十台半ばで、あるのか無いのかはっきりしないほど短い黒髪。 それと同じ程度の無精髭が鼻の下から顎先、もみ あげまで伸びている。 彼はベッドで寝かされ、見上げる天井では正方形の照明がその明かりを灯さずに佇んでいる。 ここは白い壁に囲まれた個室の病室のようだ。 窓から射す日は高く、時刻は昼頃だろう。 右手首には冷たい感覚があり、それ以外の全身の感覚ははっきりしない。 だが、実感出来る事があった。 「ははっ、あれで生きてたのかよ」 突如現れたディソーダーの群れ。 地上も上空もその甲殻に埋め尽くされ、本来の目標であるヴィクセンは影も無い。 そして上空から放たれたビームの雨にフレンダーも音を上げ、強烈な衝撃、そこで記憶は途絶えている。 ベッドの右側には一瞬人のようにも思えたが五リットルは有りそうな大きな供給筒を携えたアルミ柱が彼を見下ろして いた。 点滴されているのか。 彼は状態を起こす。 そして供給筒に表記されている内容物を確認してみるが、彼に理解できるわけが無かった。 まあ栄養剤と睡眠剤と言ったところだろう。 いや、全身の感覚が鈍いため麻酔や痛み止めの類が入っているのかも 知れない。 何にしてもやはり無事ではなかったのか。 彼は深く息を吐いて再び横になる。 そしてその時初めて違和感に気がついた。 左手で探ってみるとやはり、そうだ。 いつもしているネックレスが、無い。 彼の頭に血が上り、弾けるように上体を起こすと周囲を見渡す。 しかし苛々するほどの白く殺風景な光景があるばか りで、彼が探しているものは見つからなかった。 腰を捻った拍子に脇腹に酷い痛みが走る。 視界が一瞬真っ白になり、しかし今度は意識を失うわけにはいかなかっ た。 痛みが引くのを待ち、ゆっくりとベッドの身体を横たえた。 くそっ 声には出せないが悪態を吐く。 こんな惨めな思いをするのは久し振りだ。 痛みのする脇腹に指先を伸ばすと湿った脱脂綿の感触があった。 どうやら軽い手術を受けたようだ。 これではしばら く動けない。 彼が口の中で恨みの言葉をぼやいていると引き戸になっているドアから薄水色の医療衣を着たまだ17、8程度の若 い看護士がファイルを片手に入室してきた。 「あ」 と、間抜けな声を上げて彼を見つめる。 「何だよ」 彼もそんな看護士を見て鬱陶しそうに尋ねた。 自分は予定よりもずっと早く目覚めたのだろうか。 彼は看護士を横目にそう思う。 「先生呼んできます。 ちょっと、ちょっと待っててください」 「いや、待てよ」 もう既に病室から出ている看護士を彼は呼び止めた。 これまた驚いた表情の看護士はその顔のまま振り向く。 「俺の……指輪知らねーか。 ネックレスについた指輪……」 彼の言葉に看護士は首を傾げるだけだ。 元々医大研修の一環として手伝っている彼にそんな事が分かるはずが無 かった。 「いやあ、分かりません」 「あそ」 彼は横になりながら溜息を吐く。 「それカルテか? だったら俺の分見せてくれねーかな。 薬のおかげで自分でもよく分かんねーんだ」 「すいません。 そう簡単なものじゃないんで」 「あそ」 退室した看護士を見送る事も無く彼は不機嫌さを紛らわせるために眠りにつこうとするが、どうにも眠れそうにも無か った。 これで睡眠剤が入っていないのは確実だ。 それともカフェインでも入っているのだろうか。 まだ痛みの残る体をゆっくりと持ち上げ、今度はゆっくりと周囲を見渡した。 どの程度こうしていたのだろうか。 あまり長く眠っていた気はしないが、今は自分の感覚などあてにはならなかった。 診察台の上デジタル式のカレンダーを見つける。 銀色のプラスチック台に緑色のカウンターが踊っている。 2日寝てたのか。 とにかくウラシマタロウにならずに済んだと安心する。 だが1日4時間睡眠の生活を送っていた彼にしてみれ12日分 は寝た事になる。 しかし他の連中は無事だろうか。 スピアー、エリー、カランタン、トイ隊長。 航空部隊は絶望だ。 戦車大隊はあの数だ。 知り合いがいるのかどうかも分からない。 彼が物思いに耽っているとドアが引かれる音がした。 ドアから伸びていた影が少しずつ小さくなり、遂には小さくなる。 その影を縫って女性が一人入室する。 「何だ? お前も生きてたのか? センセ?」 彼はその言葉とは裏腹に安心したような声でその女性に声をかけた。 歳は30に差し掛かったあたりで、フレームの無い眼鏡の奥のその瞳は微笑んでいた。 白衣を着ており、短い癖のあ るブロンドの髪が彼女を知的に見せた。 「俺は一体どんな怪我をしたんだい」 「そうね」 横たわったまま尋ねる彼に彼女は答えた。 「全身打撲に肋骨四本、それと内蔵損傷、だったかしら」 意外なほどの重症に彼は自身の幸運を呪った。 これではしばらく動けない事は間違い無い。 「よく生きてた」 「私達だけじゃない。 意外なほど生き残ってるわ」 彼女はベッドの横から丸椅子を取り出すとそれに座る。 「私は無傷だったから、お手伝いよ」 「スピアーは?」 彼の問いに彼女は首を振る。 「……あいつは」 しばらく黙り込み、思い出したように彼は口を開く。 「あいつの妹が明後日結婚式なんだ。 毎日、あいつは言ってたよ。 スピーチがどーのこーの。 相手の男がどーのこーの ってな。 今頃あっちに行ってる頃のはずだった」 そして彼は小さく笑う。 「そう、そうだったの」 彼女はあまり多くは語らず、彼の心境を察した。 「他は?」 「カランタンはもう部隊に戻ってホーイックロックスよ。 トイ隊長は隣の部屋でまだ寝てるわ」 「へぇ。 本当に生き残ってる」 彼は感心してみせた。 確かに五人の中で四人が生き残れば上々だろう。 「リグ隊は全員戦死。 航空部隊も全員。 戦車大隊は半分半分てとこ」 「拠点の方は」 「ジオの侵攻があるかと思ったけどディソーダーが出たおかげで大っぴらには攻撃が無いわ。 散り散りの部隊ならホー イックロックスの砲だけで迎撃出来るから、心配は無いと思う」 「虎の子ね」 それはホーイックロックスの拠点に三基設置されている常識外れの固定砲台だ。 110mmの徹甲弾を秒間60発も 発射し、有効射程10kmを誇る。 性質上長時間の使用は出来ず、近距離となれば使用は出来ないが、MT中隊程度 ならば10秒足らずで殲滅してしまう。 しかし本格的な進行となれば炸裂兵器で無い分弾幕を張るしかないがそうすれ ば本来の機能は発揮出来ない。 あくまでプレッシャーとして存在しているのだ。 「ここは?」 彼は病室の窓に視線を移しながら尋ねた。 窓からは穏やかな青空が望むばかりで辺りの様子は窺えない。 「ガルの衛星都市。 その病院の一つよ」 「軍病院じゃねーのか」 女性は頷く。 「ホーイックロックスの険しい山麓を行くよりこちらの方が近かったんでしょうね」 「管轄は?」 「大丈夫。 エムロードだから」 「そりゃ安心だ」 彼はまだ痛む身体を持ち上げ深く息をついた。 「こうしてても流れ弾に当たる心配が無い」 やはり今の戦闘形態にあっては歩兵などは無力だ。 人型であるMTやACが直立歩行を許されるのは人型であるが 故の重装甲にある。 特に内骨格まで備えるACの耐久性は圧倒的だ。 ライフル弾の一撃で死んでしまう人間とは違い、 兵器である彼らは失血死も、ショック死もしない。 それに歩兵と言ってもパワードスーツのある現在では歩兵が人間とし て戦うのは余程のわけがあってでしかない。 「ヴィクセン騒ぎはどうなってる。 少しくらいは打開案が見つかったのか?」 「それも大丈夫みたい」 その質問を待っていたかのように彼女は表情を明るくして答える。 彼にとっても朗報が期待出来た。 「昨日に入ってからその類の話は無いわ。 もちろんメディアは今でもその話題で持ち切りだけど、具体的な被害は報告 されてないわ」 「朗報だな」 確かに朗報ではあった。 だが、彼の中にはまだ釈然としないものが残っている。 「詳しい話は?」 「この事件について公式な見解はまだ無いみたい。 ヴィクセンの所在にディソーダーとの関係、被害の大きさは分かり きっていないし、今度の復旧の目処も立ってないみたい。 また地球政府に非難が集中するでしょうね」 その原因がはっきりしてないのなら尚更、彼は苛立ちを募らせるしか無い。 今までは戦いで不幸がある度にその怒り をぶつける具体的な対象があった。 レイヴン、各企業、個人。 しかし今回は違う。 イナゴの大群のように現れたそれが 過ぎ去った時、何に対して怒りをぶつければ良い。 イナゴか? それともイナゴの大群を作り出した"何か"か? 「ウラシマタロウになった気分だ」 「ウラシマ?」 聞き慣れない言葉に彼女は思わずその言葉を反復した。 彼は心の整理をつけるように再び深く息を吐くと答えた。 「ウラシマタロウっていう漁師がいた。 そいつがある日漁に出かけると一匹の亀が裏返しになって浜に打ち上げられて た。 こいつは可哀想だとウラシマタロウはそいつを助けた。 すると亀はお礼にって海の宮殿に招待した」 「何よそれは」 笑いながらその話はおかしいと言う彼女を無視して彼は続けた。 「そこはパラダイスだった。 ウラシマタロウは三日三晩遊び、そして地上に戻った。 だけどいつの間にかそこは見慣れな い土地になってた。 なんとそいつが海で遊んでいた間に三百年の月日が流れてた、そういう話」 「つまりどういう事?」 最後まで聞いても彼が何を言いたいのか分からなかった。 直線的に物事を言う彼にしては珍しい事だ。 「少しばかり寝てただけだと思ってたのにオメーに聞いてばっか。 情けねーったらねーよ」 「愚痴らない」 そんな事かと彼女は笑う。 彼にとっては二日は三百年と同じだと言うのだろうか。 「ウラシマタロウはその後どうしたの?」 「知らねー」 どうでも良いと彼は投げやりに答えた。 「どうせろくなもんじゃねーよ」 それにこの話がいつのものか分からないが、今では三百年もあれば世界が変わる。 もしその三百年後というのが今 ならばウラシマタロウはさぞ驚いただろう。 今から三百年後となればこの世界があるのかどうかも疑わしい。 もうしばらくこんな所にいなければならないという憂鬱と己の無力感で彼は脱力していた。 寝ていたというのにもう疲れ てしまっている。 だがこういう時に限って眠気は引いた潮のようになかなか戻らないものなのだ。 視線を泳がせていると彼女の薬指にはめられている指輪に気がついた。 純金製で表面には文字が刻まれ、そこにプ ラチナが流し込まれ白く煌く文字を形成している。 それが何と書かれているかは遠目には分からないが、彼には見なく とも分かる。 「まだそんなもんしてんのか」 アルバート・ギュスタフ。 彼の名だ。 「もう終わったんだぜ。 俺らは」 呆れたように彼、アルバートは言う。 どういうわけか、その口調は冷たかった。 「預かってる物があるの」 しかし彼女はそう言うと、白衣から何かを取り出した。 軽い金属音と共に取り出されたのは銀色のチェーンと、それに つけられた純金の指輪。 これにも文字が刻まれ、白金が流し込まれていた。 エリザベス・ギュスタフ。 彼女の名だ。 しかし、姓は違う。 この指輪はその時のためのものだったのだ。 それを見てアルバートは口の中で、なるほど、とぼやいた。 まったく、面目丸潰れだ。 「だったら返せよ」 エリザベスは彼に促されるままそのネックレス、そして指輪を渡した。 彼の掌でチェーンがチャリチャリと金属音を立て た。 アルバートは両掌でそれを遊ばせた。 指輪は灯りに照らされ煌く。 かつて王の金属と呼ばれたそれは太陽光のように 生きた光を発する。 今では土と海水から生成され、兵器や電子機器の電力回路に使用されるのが大部分だ。 「アルこそ、まだ大事にしてるのね」 彼女はまるで彼を茶化すように言うのだ。 「当り前だろ」 しかしアルバートは極真剣に言い返した。 「一個二百万ドルだぜ」 どちらも世界に二つと無いオーダーメイド品だ。 その程度して当然だった。 「ん?」 彼はそう言いながら薬指にはめようとした。 しかし途中で止めて指をじっと眺めた。 「少し痩せたか?」 「そうね、確かにそのくらいしたかしら」 彼の言葉を遮るようにエリザベスは静かな顔で、しかし強い調子で言った。 「でもそういうものじゃないでしょ」 「じゃあ、どういうもんだってんだよ」 うんざり、と言った様子だった。 まともに取り合おうという気は無いようで、その視線は窓の向こうに向けられた。 無駄 に爽やかな青空を白い雲が漂う。 あの雲になれたらどれほど快適な事か。 アルバートはそんな幼稚な空想をする。 「もう何年も前の事だし、蒸し返したくないけど」 「だったら黙ってろよ、ウゼぇな」 あまりに投げ遣りな態度にエリザベスはさすがに感情的になった。 整った顔に皺を作り、声を荒げる。 「あなたはいつもそうなのよ。 大事な事は何も言わないで。 いつまでレイヴンを気取ってるつもり!?」 アルバートは答えない。 顔色一つ変えず、窓から望む空を見ていた。 「私のためにレイヴンを辞めたって……、あれは嘘だったの……?」 そんな彼に絶望したように、彼女は呟くように言う。 別れを切り出したのは彼だった。 分けも語ろうとはせず、一方的なものであった。 彼女に思い当たる事は無く、結婚の 約束をした後だけだっただけにそのショックは今でも尾を引いている。 その後は友人として付き合っていたが、釈然とし ないのは今でも変わらない。 「嘘じゃねーよ」 その呟きに、目線をそのままにアルバートは呟くように返す。 「今でも惚れてるぜ」 「だったら……」 「今回は運が良かった」 彼女の言葉を遮るように彼は続ける。 「ディソーダーは動かない相手攻撃しねーけどよ、ACは違う。 あのままヴィクセンとやってたらよ、下手したら死んでた んだぜ、オメー」 呆然とした様子の彼女に、語りかけるようにアルバートは言う。 顔を正面に向けようとはせず、横目で彼女を見てい た。 「オメーは後ろで軍医やってりゃ良かったんだよ。 なんだって攻軍に志願しやがったんだ」 彼はエリザベスを責めているようだった。 思い詰めたように見つめるのは彼の握り締める両手、その先にある虚空 だ。 「私は、あなたの力になりたかっただけ。 あなたの近くにいたかっただけよ……」 搾り出すようなその言葉も、彼には届いていないようだった。 いつも危険を冒すアルバートを待つ事しか出来ない不安を、自らも同じ危険にさらす事という方法でしか解消する事 が出来なかった。 あまりに幼稚で向こう見ずな考えには我ながら呆れ果てる。 だが、彼が何の事について自分を責め ているのかは分からなかった。 「三人目にしたくねーんだよ」 それに対する彼の返事は誰に向けて放たれたものなのか、それは彼すら知らないのかも知れない。 虚ろだが、何か を見据えているその瞳は何を見つめているのか。 「何言ってるの?」 エリザベスにはそう言う他無かった。 彼と言う人間は直情的だが愚かではない。 むしろ知的でありながらそれを否定し ている節がある。 そんな彼が感情でも、理由でもなく言葉を発しているのだ。 誰にでも裏の顔はあるというが、これがア ルバートのその顔なのだろうか。 「俺ぁ、今まで三人の女に惚れた」 しばらくの沈黙の後、彼は口を開いた。 まるで独り言のような小さい声で。 「最初の一人は俺と同じレイヴンだった。 職場恋愛とは違うが、まあレイヴン同士傷を舐め合った仲だった。 ……死ん だ。 いきなりな。 俺の知らないところで」 彼の瞳は過去を見ていた。 今などもはや視界には入ってはいまい。 暗く、見つめるものを見失った瞳は既に通り過ぎ た光を捉えているのか。 「レイヴンの宿命ってやつか。 まあ予想はしてた。 どっちが先に死ぬかはさすがに分からなかったがよ」 そしてそれがもう十四年前になる、と付け加えた。 「俺はフライトナーズの一人になった。 まあレイヴンには違いないが真っ当な人間だ。 火星にはまだ行ってなかった。 あ くまで地球政府お抱えの特殊部隊だ。 LCCなんてもんは最初から最後まで役立たずだったからな。 だが、俺自身が俺 が真っ当な人間になり切れなかった時、そいつは声をかけてくれた。 今でもはっきり覚えてる。 ACに乗って戦えねー毎 日に耐え切れなくなって倒れは所構わずチンピラに喧嘩を吹っ掛けてた。 毎日ボロボロになるまでやりあって、そしたら 帰って寝る。 そんな毎日だ。 おまけに金に困らなかったからよ、他にする事が無ー。 下手すりゃ死ぬまでこのままだな。 そう人生諦めてた時だった。 通りかかったそいつなんて言ったと思う?」 突然のように話を振られ、エリザベスは何も答えられなかった。 しかし彼も答えなど求めてはいなかった。 やはり過去 を見つめる瞳には彼女の姿は無く、問い掛けたのは自分自身だったのだろう。 再び口を開いた。 「怪我してますよ、だとよ。 見れば分かんだろうが。 だが、何ヶ月かぶりに見た手前ぇの面は酷いもんだったよ。 そこか らはよく覚えてねー。 その場で腐抜けちまった俺をそいつは看病した。 そこがどこだったかはいまいちはっきりしねー。 俺ん家だった気もするが、違うような気もする。 とにかく何日も世話になってよ、いつの前にか俺はそいつに惚れてた。 名前も知らねー女だが、確実にな。 俺もまともになってきて、そろそろそいつと話の一つでもって時だった」 彼は空を仰ぎ見る。 過去しか見えぬ今の瞳には何が映っているのか。 「死んだよ。 交通事故だったらしい。 詳しくは知らねーが、そいつとはそれで終わりだ」 エリザベスは絶句する。 何と言う事だろう。 彼がこんなにも絶望していたとは。 今の彼の性格もこんな過去があって歪んでしまったものに違い 無い。 ならば自分の存在は彼にとってどういうものだったのだろうか。 「まあ、狂っちまいそうだったが、運が良かった。 そのあたりから色々騒がしくなってな。 そのうちあのレオス・クラインの 乱。 忙しいわ死にそうだわで何も考えずに済んだ」 彼は溜息を吐いた。 しかし次には彼女をしっかりと見据え、微笑んで見せる。 その瞳は間違い無く彼女を見ていた。 「で、グレートブリッジでお前に助けられたってわけだ」 彼女の記憶が彼と共有出来ているのはそこからだった。 戦後調査のためにかつての軍事拠点であるザングチシティ を調査中、全てのACの中で彼だけが唯一生き残っていた。 「お前で三人目だ。 今度は死んで欲しくねー」 それが彼の本音だった。 もうこれ以上狂うような思いはしたくない。 だからそのためにも他人である必要があったの だ。 「分かるか?」 だから彼は彼女との関係を断ち切った。 しかし身近にいる以上やはり他人であり切る事が出来なかった。 「分からないわ」 彼女は素直に言う。 分からないのだ。 「でも、私にエムロードを出ろって言うならそうする。 私もあなたと一緒にいたいのは同じだから」 しかし自分の気持ちを伝える事は出来た。 彼が何を考えているかなど関係無い。 自分はただ言いたい事を言う。 今 の彼のように。 「そうかい……」 アルバートはその言葉を聞くと力が抜けたようにベッドに倒れこんだ。 ばふんと綿から空気が抜ける音が耳に心地良 い。 そうして二人は沈黙し、窓の向こうで吹く風の音を聞いていた。 こうしていられる時間がとてつもなく懐かしい。 しばらくしてあの若い看護士が同様に若い医者を連れて戻ってきた。 歳は二十台半ば。 四角いフレームの眼鏡が辛 うじて彼に威厳を与えていた。 「遅かったじゃんよ」 もう随分経っているぞ、とアルバートは二人に尋ねた。 とは言えどれほど経っているのか自体は時計で計っていたわ けではないので分からないが。 「いえ」 医者の男が照れたような笑顔を見せて答えた。 まだどこか学生らしさが残る笑顔だ。 「入り辛かったんで」 どうやら聞いていたのだろう。 エリザベスは頬を赤らめて席を立った。 とても他人に聞かれて平気でいられる会話では ない。 「なあエリー」 そのまま病室を出ようとする彼女をアルバートは呼び止めた。 彼女は振り返る事が出来なかったが、その場に立ち止 まる。 「お互い無職になって結婚ってのはアリか?」 そして唐突なその言葉に病室全体が凍りついたように沈黙に包まれてしまった。 医者と看護士は下手な事は言えず、 エリザベスはもはや何を言って良いのか分からない。 その中ただ一人、アルバートはそれを楽しんでいるようだった。 そしてネックレスから金色の指輪を外すとそれを薬指 はめてみた。 痩せたと思った指にそれはぴったりとはまり、暖かな橙色の光が辺りを照らした。 自分と言う存在に疑問を感じたのはそれほど昔じゃなかった。 物事が需要と供給で成り立ってるんだったら俺という 存在をどこかで必要としてる何かがあるんだろう。 だがその目的は何だ? どうでも良い。 俺はようやく自由になった四肢を伸ばしその思考を遮断した。 縮んだ筋繊維が無理矢理伸ばされあちこちで悲鳴を 上げているが、医療ナノマシン、つまり生体分子結合メカをそちらを向かわせてとりあえず一息吐く。 窒素八十%。 酸素十七%。 アルゴン一%。 残りは二酸化炭素残り諸々。 こんなもんだろ。 上々だ。 周囲を見渡せば今まで見る事が出来なかった地上の風景が空間を満たしている。 特別な感情は無いが、こんなもん だろ。 上々だ。 死ぬ前に一度は見たいと思っていた光景だ。 こう簡単に見れるとは思わなかった。 足元には乾いた土があちこちで亀裂を作っている。 そこから這い出ている雑草が風に揺れて不規則に動いた。 俺も どきよりも何倍も人間らしい。 ふと、風と言うものを意識する。 表皮のセンサーが風の強さと飛ばされている粒子の存在を知らせる。 風が地下でも吹いている事は知ってる。 施設が作ってるだの、空気の供給の際に起きるだの、そういうもんだ。 で、天 然の風はと言えば自転と公転、太陽からのエネルギー照射で起きてるもんだ。 人工と天然でどれほどの違いがあるの か、疑問と言えば疑問だ。 荒野ってやつか? 植物と言えば木だろうが、そいつは見当たらねぇ。 こげ茶色の土がひたすら地平を埋め尽くし、 その向こうには空を侵食する山麓が太陽光を遮ってる。 その反対側には白い月が幽霊じみた気配を漂わせ、紺色の 夜を引き連れながら太陽を地平の向こうへ追いやろうとしてる。 天井は無い。 あるのは空間だけだ。 拡張された俺の感覚に見合う素晴らしい開放空間。 これ以上の戦場はそう無い。 今も昔も戦いの舞台だった地球という惑星。 なるほど、実際目にしてみれば分かる。 自由に使える上下左右。 ACは 元々閉鎖空間で戦うためのもんだがそんな事はどうでも良い。 俺はこういう場所で戦ってみたかった。 だがそんな無垢な感動をぶち壊す無粋な屑鉄どもが俺を取り囲んでる。 全高は俺の倍近い。 重量はおよそ十倍か。 俗にパワードスーツと言われる強化戦闘服を着込んだ馬鹿が六人。 右腕に仕込んだパルスビームの砲を俺に向け て照準を離さねぇ。 対AC戦闘でも使われる物だ。 さすがに一瞬で昇華、そのまま地下よりももっと深い場所に逝っちま う。 ここは大人しく従うのが正解だ。 表面はクロムモリブデン、その下はアルミ繊維の強化服ってところか。 何で出来てるかまではさすがに視界で判断は 出来ねぇ。 少なくとも俺の腕力でどうにか出来る代物じゃない。 こいつは正確には着る、ではなく他の兵器同様乗る物だ。 中心に人間が乗ってそいつの動きが全高三mの人型機械 にそのまま伝達される。 推進する時はブースト、と一言。 攻撃にもファイヤ、の一言で事足りる。 腕力は軽戦車の装甲 なら簡単に貫き、推進時の最大速度は時速二百kmを超える。 広域空間での戦闘時は更にアタッチメントが装備され て追加推進装置、ミサイルランチャー、弾倉が追加される。 もちろんACよりも人に近いマニピュレーターには他にも 様々な武装を搭載出来る。 戦闘能力は高いが維持が大変だったり、装備出来る人間は体格がある程度決められてい たり、中々使いどころは難しいらしい。 一度使ってみたいものだが、今俺を睨んでるのがそいつだと思うとその気も萎え る。 対戦車拳銃の一丁でもあれば少しは反抗も出来るんだろうが、さすがに自殺行為だと自分に言い聞かせる。 そいつらの一人が何やら隣の奴と話している様子だ。 空気の振動が外に漏れないため何を言ってるかは分からん。 傍受する。 『で、こいつとあっちのやつを鉢合わせさせんだとよ』 案の定電波を拾えばそいつの言っている事がもう一つの耳に届いた。 情報受信という形でも結局空気の振動を脳が 分かりやすく解釈している音とでは大した違いは無い。 『ああ? どういう事だよそりゃ。 上の指示か?』 『みてぇだ。 多分見えの張り合いってところだろ?』 なるほど、随分と楽しい話をしてるじゃないか。 あちらの方がどういう面をしてるのかは興味がある。 そいつも俺と同じ ように手前と同じ面を見ながら戦い続けてきたんだ。 少しは骨のある奴だろう。 それともそいつも俺と同じ面なのか? だとしたら冗談を通り越して笑うしかない。 『で? どうすんのよ』 『このまま所定の場所に連れてくんだと』 『どこだい』 『おい』 話の途中に別の情報が割り込む。 この中の一人か。 『こいつに聞かれてるぞ』 『マジ?』 気付かれたようだ。 ラジオランプでも表示されてんのか? 『こいつは電波が聞けんだよ。 話は有線でしろ』 『あー、気味の悪ぃガキだねぇ』 そこで情報が途切れる。 そしてそいつは中指に当たるマニピュレーターの先からコードを引き伸ばすと隣の奴にその 先端を渡し、隣の奴はそれをマニピュレーターの掌に当たる部分に差し込んだ。 なるほど、有線会話ってわけだ。 しかし気味の悪ぃガキとは言ってくれる。 ガキ相手にそんなもんを着込んで取り囲む手前らよりは幾分かマシだと思え るが。 パワードスーツが作る壁の向こうに巨大な輸送車両が見える。 キャリアーリグだ。 表面に艶の無い緑色の塗装がなさ れ、まるでそれだけがはめ込まれたかのような不自然な巨体が景色に溶け込む事無く、隠密性を無視した糞喧しい機 械音を発してる。 そして同じような喧しい音がもう一方から。 センサー範囲外だが、おおよその位置は予想出来る。 振り返れば少しばかり遅れてきた同系のキャリアーリグの巨体が見えた。 まるで山が動いてるようにも見えるそいつ は、確実にこちらに向かっている。 こちらは艶の無い青緑色。 半分が舞い上がる土煙で見えないが、俺の目にはそれ が無視出来た。 それにあわせて俺を取り囲んでいた一人が右腕を持ち上げビームの砲身を向けながら左腕で俺を促す。 逆らうのは危険だ。 加えてその理由も無い。 俺は促されるまま歩き始める。 ようやく時が流れ始めた。 そんな気がし始めた。 コンマ何秒でカウントする人工脳髄とは関係無く、そう感じた。 ニコライはすでに手伝いとは言えなくなっていた患者の往診と治療を終えて、受付ロビーへ脚を向けた。 彼は地上の暑さにはどうしても慣れる事が出来ずにいた。 火星人と言われる彼は体質に加え地球に降りてからも地 下で暮らす日々を送っていた。 そんな彼に夏と言う季節に順応しろという事の方が酷なのかも知れない。 飲食店ならば食事時に来客は集中するのだろうが、病院ならばそういうわけにはいかない。 ここがカウヘレンの中心 的な病院というわけではないので、急患が引っ切り無しに送られてくると言う事は少なかった。 こういう点では彼は地下 にいた時よりも研究に集中出来たが、今彼の集中力を掻き乱すのはこの暑さそのものだった。 時間的な余裕か、精神 的な余裕か、どちらを取るかは今の彼には判断出来ない。 まあそれも良いだろう。 あまり根を詰めすぎると仕事もそれ以外も手がつかなくなる。 彼は医者という職業に押し潰された人間を何人も見てきた。 責任と能力が釣り合っていない者、死人に感情移入して しまう者、臓器に慣れる事が出来ない者。 特に二世の医者などはよく聞く話だが多くの場合使いものにならない。 そして 鬱病は彼の専門外だ。 坑鬱剤を渡す以外に治療は出来ない。 しようとも思わないが。 ガラス張りの天井から射す太陽光を避けるのはまるで吸血鬼にでもなった気分だが、血を吸う人間が日光を浴びて 灰になるという化学的根拠は全く無い。 堂々とすれば良いのだ。 「この病院にはクーラーは無いのですか?」 ニコライは受付で扇風機に当たりながら慣れない手付きでコンソールを叩いている女性にそう声を掛けた。 実際にあ る事は知っているのだが、それが動作しているのは見た事が無い。 「こんにちは」 そんな彼の挨拶に深い意味が込められていないという事を知ってか知らずかその女性は穏やかに挨拶をするだけだ った。 しかし彼女の笑顔を見る事が出来ればそれも気にはならない。 「ヒートポンプが故障してしばらく使えないみたいですよ」 「そうですか」 冷房"も"使えないのか。 ニコライは顔には出さずにウンザリした。 まだエレベーターの修理も終わっていないというの にまた新たな綻びが生まれたのだ。 そもそも修理作業が行なわれているのを見た事が無い。 修理業者が怠職務慢な のか、そもそも修理を要請していないのか。 医者という観点から見てもこの高温で治療を行なうというのは頂けない。 下 手をしたら傷口がすぐさま腐敗してしまう。 「私は地下で仕事をしますが何かありましたらすぐにお呼び出し下さい。 おそらく剖検室か資料謁見室にいると思うので 連絡はそちらへ。 放送はいりませんので」 まあそれは良いとニコライは彼女に用件を伝えた。 少しばかり変わった死体の研究を頼まれたとは言え、今人手の足りない状況では彼の手も絶対的に必要だった。 給 料も貰っているのだから尚更手を抜くわけにはいかない。 それに助ける事の出来る人間を余裕が無いという理由で見 殺しにする事は彼には到底出来なかった。 「はい、内線の指定番号は必要ですか?」 彼女は有能なようだ。 どんな事にでも気を使いその上美人ときている。 これでコンソールの操作が人並みなら完璧だ ろう。 「ああ、いえ。 私はここの正規の医者ではありませんし……」 「おーい!」 ニコライがその申し出を断ろうと話している途中に無粋な低い声が二人の間に割り込んだ。 小さい声に感じられるが それは遠くから発せられたからだろう事はすぐに予想が出来た。 声のする方向へ視線を移せば案の定死体安置所の管理人が手を振りながらこちらへ走っていた。 運動不足な不健 康且つ重い体を引きずりながら向かう姿はニコライよりもよほど地底人という言葉が御似合いと言えた。 「どうかしましたか?」 おそらく歳は自分よりも五つ以上も下であろうその男にニコライは実に紳士的に尋ねた。 普段ならば何の気兼ねもせ ずに話すところだが彼女の前ではそうもいかない。 「あ、あんただったよな。 さっき資料謁見使ってたのは」 その小太りの男は彼の前で止まると肩で息をしながらそう尋ねた。 赤いシャツには汗がへばり付き朱色のシミを作っ ている。 「もう何時間も前になりますが、どうかしました?」 そこでは研究資料、つまり人体と言う媒体を使ったナノマシンが安置されていた。 そのオーバーテクノロジーによって 作られていると思われるそれの性質を見極めるにはそれが最も有効、且つ効率的であったからだ。 電子顕微鏡で二十 四時間、その動きを監視し、その働きを見極める。

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変な質問ですが、暗記する時のイオン式の読み方、覚え方を教えて...

えぬえいちすりー

……うん。 泣いてた 彼はまだ涙の浮かんでいる瞳を細め、笑顔でそう答えた。 結局守れなかった。 弾切れでさ、もうちょっと、もうちょっとだったのに……。 そしてさ、なんか、すごく嫌な気持ちになっ た だが、そこで言葉を切り、俯く。 照明の元、影になって表情は読み取れない。 今でもよく分からないけど……、許せなくなった。 すごく。 そしたらなんか、自分が誰なのかも分からないようになって、な んか、すごく 影になった彼から、涙が零れた気がした。 しかし、薄暗いためそれが涙だったのか、分からない。 怖いよ 彼からその言葉を聞くのは初めてだった。 レイヴンだから、きっと意識してないところで人を殺してるんだと思う。 それもきっと許されない事だけど……、でも…… 嗚咽のように震えた声で彼は確かにそう言った。 俺……、人を殺したいと思ったの初めてだよ…… そして彼は翌日、ここからいなくなっていた。 彼女には一言も声をかける事も無く、フエーリアエと共に。 そして今日で それから丸一日経つ。 一応このガレージの整備士である彼女にも連絡があっても良いのだろうが、無いのだ。 それにあったところで彼女に 何も言う資格は無い。 その事は分かっているのだが……。 彼女は思わず見上げる。 遥か高い窓から射す朝日に照らされるACハンガーにあの派手なヒーロー色に彩られたAC の姿は無い。 巨大な腕そのもののロボットアームがそこでその役割を待っているだけだ。 人を殺したいと思ったの初めてだよ…… 再びその言葉を思い出す。 彼女が思い返してみれば、それこそ数え切れないほど人に対して殺意を抱きながら生きてきた。 初めて人を殺したい と思った時の事など思い出せない。 ただ、今でも家族を殺したレイヴンに対する憎悪、殺意は癒えてはいない。 それが 初めて彼女が抱いた殺意だとすれば、ジーノはその事自体に恐怖は感じない。 むしろ、そのレイヴンが今でものうのう と生きているとすれば、それが悔しくて仕方がない。 しかし、ロジャーの言葉を思い出すとそんな考えを持つ自分がこれ以上無く醜く感じられた。 人間なら誰もが抱くはずの負の感情にロジャーは自身に恐怖していた。 望まないながらもレイヴンとして人を殺してしまい、いざ殺意を抱けばそれに恐怖するロジャー。 殺意は抱くがそれを 実行する事の無い自分。 一体人間としてどちらがまともなのだろう。 トゥワイフという医者なら答えられそうな気がした。 彼は自分が元々レイヴンであると彼女に知らせた。 正確には口にしたわけではなく、レイヴンしか持つ事の許されな い携帯ナーヴを持っている事で彼女にその事実を伝えたのだ。 彼もかつてレイヴンとして苦悩したのだろうか。 ロジャーのように。 そしてそのロジャーは今どこにいるのだろう。 なぜここを出て行かなければならなかったのだろう。 そこまで考えてジーノは首を振った。 どうしてしまったのだろう。 気付けばロジャーの事ばかり考えてしまう。 そう思えばこの間はコヨミの事ばかりを心配し ていた。 実は自分が思う以上に思い悩む性格なのだろうか。 そう考えて彼女はひとり自嘲した。 そんな事を考えている時点で思い悩む性格である証拠だ。 ジーノは何も考えないようにと自分に言い聞かせ、足早に自室へと向かった。 今日からACが一機、このガレージで預かる事になる。 そうすればまた忙しくなるだろう。 仕事をしていれば思い悩む 事も無い。 友達じゃん 不意にそんな言葉を思い出す。 もし、また会うような事があれば、 「認めてもいいかな」 彼女は自分自身にしか聞こえない声で、そう呟いた。 もう、何日も、何年も歩いている錯覚を覚える真っ白の通路、俺は呼ばれ、そこを進む。 何のために呼ばれているのか、そんな事は知らん。 ただ呼ばれたから行くだけだ。 気にいらねぇが、自分の身分って やつを考えるとそうも言っていられない。 所長室。 そこで俺が何を言われるか、もしくは何を知らされるか。 想像は出来るがしようとは思わない。 実際見ていない事、聞いていない事を信用する気は無いからな。 他のやつとは違う。 俺は自分で考え、自分で決める。 他のやつとは違うんだ。 俺に付き添う人間はいない。 妙な行動をとろうにも通路を見渡せばざっと2、3の監視カメラが目に付く。 そいつが俺 の動きに合わせて首を振り、ピントを合わせる機械音が聞こえる。 こいつらが常に行動を監視する。 おまけに何か出来 たとして俺の体内で生命活動を補助しているナノマシンが自殺命令を受ければ俺は即死するしかない。 そしてその命 令はボタンひとつで発せられるわけだ。 冗談じゃない。 だが、長い間こんなところで生きていればその穴も見えてくる。 おかげで資料のひとつでもパクる事は出来たんだが、 まあ、それだけだ。 その穴もどこにでもあるわけじゃない。 思考を走らせながら脚が遂に所長室に辿り着く。 前にも来た事はあるが、その時は警告だった。 お前は危険だが、いつでも殺せる。 せいぜい生きろ。 確か、そう言われた。 しっかりと覚えちゃいないが。 目の前に丸く縁取られた亀裂のようなもんがある。 趣味の悪い出入り口だ。 その上に設置された監視カメラが俺を睨みつける。 気に入らない面構えだ。 そのカメラで俺がここに来た事が分かったのか、目の前でドア、と言うよりもゲートが開く。 何をそんなに怯えているの か二重ゲートになっていやがる。 『入りたまえ』 どこまでも気に入らないカメラはそんな事まで言う。 何か機会があれば握り潰したいところだが、そう簡単じゃないの が残念だ。 促されるままにそのカメラを潜る。 二重になっている分厚い敷居を跨ぎ、そこは通路の延長のような白い閉鎖空間 だ。 少しばかり広いが、その先に白いデスクと、偉そうな人間がひとり。 初めて見る顔だが所長室にいるのだから所長だろう。 前に来た時は見なかった。 「13だな」 ナンバーを抜かし、気だるそうに男が言う。 歳は四十そこそこ。 鼻の下と顎に中途半端な黒い髭を生やしてる。 背丈 は俺よりも低い。 殴りかかれば例え銃を持ち出しても確実に殺せる。 問題は例のボタンか。 俺は黙る。 そちらの方が都合が良い。 「二十時間後、別施設との二次試験がある」 別施設。 さっきの資料にあったエデンとヘヴンか。 試験ってのは例の如く殺し合いか、ACを使った殺し合い。 殺し合い、殺し合い、生き残れば強い。 簡単な事だ。 「この施設では、お前を選抜する事になった」 まあ、だろう。 俺は他の馬鹿とは違う。 もちろん、1番強い。 俺が最強だ。 どんな野郎が出てこようが俺は勝つ。 その 自身がある。 「お前は色々と問題を抱えている。 だが、せめて試験中大人しくしていれば、無事は保証してやろう」 してやろう、と来た。 ふざけるな。 俺はお前のために生きてるわけじゃない。 俺が生きてるのは俺だけのためだ。 だが、口には出さない。 下手に騒いで、もう二度と口を開けないようにされても困る。 「その試験は極めて単純、いつものように戦え。 違うのは場所と相手と使うACだけだ」 ほう、ACが違うのは楽しみだ。 相手もな。 いつものような退屈な的、乗り物じゃあ欠伸3回の間に決着がつく。 そう考えれば少しくらいの危険は楽しみで仕方が 無い。 もちろん、最後の勝つのは俺だ。 負ける訳が無い。 「金色の目の使用を伝えておく。 存分に戦え」 所長は続ける。 そんな下らない事は文章にしてくれりゃいいんだが。 まあ、いい。 うまくいけば自由が手に入るかも知れん。 そういう期待もある。 「以上だ」 そしてもう一言、この言葉を期待していた。 いつまでもこんな辛気臭いところにはいたくない。 もちろん、ここに辛気臭く ないところなど無いから代わり映えはしないが。 逆らう理由は無い。 リスクに対するリターンも無い。 軽く一瞥し、踵を返す。 俺が向き返ったと同時に丁度良く開いたゲートに気を良くしながら、所長室を後にした。 ゲートの閉まる糞喧しい音を背後で聞きながら、おそらく生まれて初めて腹の中で何かが煮え滾るような感覚を抑え る。 妙にはしゃいで暴れれば名刺も持たない無礼な死神に首をさっくり持ってかれるかも知れん。 だが、うまくいけば……。 気分が良い。 そんなわけは無いが、白い通路が薔薇色に思えてくるほどに。 薔薇など生まれて一度も見た事は無いが。 「アルビノエンジェル……、長ったらしいな」 バーメンタイドは目の前のACと手前のコンソールパネルに表示されたその名前を見るとどうでも良いように呟いた。 このガレージに来る前に作業を受けたのか純白の塗装も奇麗なもので、関節にも疲労らしいものも無い。 このガレー ジにACを送ったのは仕事が減ったからか、それともレイヴンの気まぐれか。 とは言えこのガレージはネオアイザックの 中心に位置しているだけあって仕事には事欠かない。 所有者から換装の依頼は無い。 それほど汎用性の高い機体なのかとアセンブルデータを覗いてみればエネルギー バランスが悪く、武装もエネルギー系統だけときている。 そこへシールドとくればよほどの好きものなのか、兵なのか。 とにかく換装も修理も無ければ今まで通り暇なだけだ。 一対の大型の電極が邪魔でハンガーの設置に手間はかかったがそれも簡単なものだ。 AC用ハンガーは現行規格 のACならばどのようなアセンブルパターンでもあっても問題無くACを固定してくれる。 規格兵器はこういう面でも非常 に便利だ。 暇である事に対して小さく溜息を吐くと、今月の収入の事を考え更に溜息を吐く。 個人運営のガレージだ。 下手に根回りの無い分資金の無駄が無いため貧しいわけではないが、経営者としてはあま り気分の良いものではなかった。 従業員の殆どがアルバイト扱いなのが救いだ。 コンソールパネルの電源を落とし、パネルの冷却フィンが停止する音を確認すると、お前も熱かろうと彼は首に巻い ていた濡れタオルをその上に置いた。 昨日辺りから今までの肌寒い天候とうって変わり、夏らしい蒸し暑さが戻ってきた。 バーメンタイドは体質柄寒いよりも 暑い方が助かるのだが、こうも急に変わればその限りではない。 「夏風の使い過ぎ足れば、日は微笑み、雲は眠らん、か」 目の前で純白のACが零れ射す光を反射し僅かに辺りを照らす。 かつてはこのハンガーに赤い原色のACがかけられていた。 だが、あの巨体も手続きひとつでここではない何処かへ 運送される。 その運送先を知るのはガレージ管理人である彼だけだ。 少なくともここでは。 そしてそれは誰にも教えては ならないようになっている。 レイヴンはあらゆる意味で人の恨みを買う。 当然の事だ。 だが、フエーリアエに乗るレイヴンは違う。 少なくとも、人間としては。 そこまで考えて彼は止めた。 そうだとしてどうするというものではないのだ。 踵を返し、自室へ向かおうとするとジャケットの中で派手な電子音が鳴り響いた。 携帯電話への着信だろう。 着信音 からするにテキストメールだ。 「仕事だ、仕事」 そしてその着信音はこのガレージに送られてきたものを携帯電話へ送信したものだ。 さすがに大きな容量を持つ画 像などは出来ないが、簡単なテキストならば携帯電話でも十分再生出来る。 ストレートタイプの液晶画面に受信したメールのテキストが表示される。 簡潔で、あまりにも短い。 『ACを使用する。 用意を。 R999KkyT0q ナイツ』 ただ、それだけだ。 この十桁のパスワードは全通りで十京近い並びがある。 地球と火星のレイヴンを足した総数でもたかだか一、二万程 度のレイヴンにそのすべての通りが使用出来るわけではないが、偶然で一致する事はまず無い。 このパスワードを完全に覚えると言う特技をいつの間にか身に付けていたバーメンタイドはそのメールが悪戯で無い 事を確認する。 用意というほどの用意は必要無いがコンコードからの迎えがいつ来てもいいようにする必要はある。 彼は携帯電話をジャケットにしまい直すと、改めて自室へと向かった。 悪くない。 目の前の鏡に映る手前の面に俺は満足する。 今までの黒い擬似光学カメラなんてつまらないもんじゃない。 完全な戦闘用の目玉だ。 俺にとって一番必要で、他には代わりの無い目玉。 金色の目。 およそ連続使用数百年の耐久性、極めて高い伝導効率、光ファイバーと純金繊維、そしてナノ精製された保護組織。 完璧だ。 こういうのが欲しかったんだよ。 体中に走る光学繊維の神経にはこれくらい無けりゃ釣り合わん。 強化された全身の筋肉繊維にはこれくらい無けりゃ 釣り合わん。 後頭部に追加された人工脳髄にはこれくらい無けりゃ釣り合わん。 他とは違うんだよ。 生きるために殺すんだ。 俺が生きるために。 他とは違う。 命令されて戦うような肉人形とは違う。 金色の目が入っていた合成スチールのケースに今までの出来そこないを放り込むとケースごと目の前の男に渡す。 「どうだ?」 そいつは馴れ馴れしくそんな事を聞きやがる。 こんな所にいなけりゃすぐにでも殺す。 殺してやるよ。 周囲は例の如く真っ白く塗られた滅菌室だ。 つまらない、退屈な色だ。 出来るなら真っ黒く塗り潰してみたいもんだ。 チカチカするんだよ、白ってのは。 折角の新しい目が草臥れちまう。 「目を入れ換えるってのはどんな気分なんだ?」 男は汚い顔を俺に近づけ、にたつく。 こいつも白い白衣を着たつまらない野郎だ。 「教えてやろうか?」 そいつの面に俺は二本の指をかざしてやった。 入れ換えるには今あるものを取り出す必要がある。 眼球を抉られると思ったんだろう。 男は座っていた椅子から転げ落ち、情けない声を上げる。 俺にそんな気は毛頭無 いんだがな。 そんな事をしたら次の瞬きが一生ものになっちまう。 男はまだあわあわ言ってやがる。 下らねぇ。 人工脳髄が三十分の時間経過を伝える。 嬉しくてたまらない。 「後十八時間と三十分」 いつの前にか声に出してしまっていた。 腰が抜けたそいつは呆けたように俺を見ている。 「誰を殺させてくれるんだ? 俺もどきじゃねぇんだろ? 教えてくれよ。 色々よ」 もう、止まらなかった。 待ち遠しくて仕方無ぇ。 早く、早く、戦わせろ。 病院屋上、大した高さではない。 しかし風が強く吹き、彼の羽織ったあり余りの白衣をはためかせた。 空は真っ青で、 唯一シティを警護しているのであろう無人航空機が丸い影を落としていた。 その姿は文字通り空跳ぶ円盤である。 彼は血の匂いを嫌うように缶に入った匂いの強い紅茶のプルタブを開け、それを花壇を仕切るコンクリートの上に置 く。 鮮やかな黄色、しかし控えめな大きさだ。 それが並び、一目には黄色いガードレールのようにも見える。 「……マリーゴールド……か」 年間を通して気温の低い火星には咲く事は無い夏の花だ。 それに並ぶように彼はゆっくりと腰を下ろした。 潰してしまわないように注意を払いながら。 それが目の前で眩しいほどの太陽光を吸収し、生きている。 そこには怒りも、憎しみも無い。 その代わりに喜びも、楽 しみも無いのだろう。 植物に精神や、感情があるという話も無くは無いが、進化の過程で動物と植物は最も早い段階で 分離した、完全な異生物だ。 あるとしても、分かり合える事は無いのだろう。 そもそも動物、つまり動物細胞生物は他の細胞生物を取り込み、つまり捕食する事によってエネルギーを得る事を選 んだ。 酸素を得る事により活発に活動出来るようになった彼らは自らよりも弱い者を取り込む事により、従来よりも何 倍も効率の良い生命活動を行なうようになった。 それに対して植物は根本的には今からなんら変わる事の無い性質を持ち続けている。 太陽から受ける事の出来る無 償のエネルギーと原子の海に多量に含まれていた二酸化炭素を組み合わせ、自らの礎とする。 そこに求めるという行 為は無く、もはや両者の間には相容れる事の無い何かがあったのだろう。 そしてその中、動物は意志を持った。 あくまで動物同士にしか理解し合えない意思であるのかも知れないが、辺りに 影響を与える事によって意思を示す事が出来るのは動物だ。 そしてその意思の根本にあるのは言わば肉食だ。 つまり支配だ。 そう言った性質を持つ以上、他種の生物は愚か、人間同士であっても争うのは言わば必然なのかも知れない。 そうだとしたら医者はどうしたら良い。 彼、ニコライは心の底から、そう思う。 冷たい紅茶を口に含む。 鼻を吹き抜ける香りが、消毒液と血の匂いを洗い流してくれるようだった。 照りつける日光が彼の短い金髪に反射し、皮膚に夏の暑さを浴びせかける。 火星出身の彼には過酷な天候だ。 だが、今は院内に戻る気は無かった。 遂先程まで例の強化人間と思われる人間ひとりを解剖した。 その時の、死体らしからぬ生暖かい臓器と無理やり取り 替えられたであろう人工臓器、人工繊維、どのように接続され、どのように連動していたかも分からない人工脳髄。 血 液中に多量に含まれていたナノマシン。 これを調査しろとは言われたが、短く、しかし正確に表現するとしたら、 「完全なオーバーテク」 彼は呟く。 しかしそんな事は全く問題が無いように思う。 彼にとって想いの種はその強化人間はこんなものを身体の中に内蔵して何を思っていたのかだ。 記憶細胞と言われるものが脳以外の臓器にも存在する事は分かっている。 そう言った観点からすれば、その大部分 を失った強化人間とははたして人間なのだろうか。 いや、きっと人間なのだろう。 少なくとも本人にとっては。 医者になると理屈っぽくなって仕方が無い。 ニコライは無駄に考える事を止めると再び紅茶を口にした。 その冷たさに口の中だけが別の世界に飛ばされたような 感覚を覚え、幼稚な妄想に彼は笑みを溢す。 そこに下らない理屈や妄想を持ち込むのはあまりにも非倫理的だ。 死は終わりであり、個人にとっては全て、世界の終わりも同然だ。 他人の考えや、科学の介入は全くの無意味。 彼は職業柄下手な軍人よりも多くの死体に立ち会う事が多いが、常々そう思う。 自分もいつかこうなるという恐怖では なく、どのような想いを遂げられずに死んでいったのかという無意味な同情。 医者であるためには少しくらいは不感症になった方が良いのだろう。 そうも思う。 ニコライは白衣のポケットから白いプラスチックのケースを取り出すとそこから薄乳白色のサプリメントを取り出した。 何粒かなどは考えず、出てきただけ掌に受け取り、それを口の中に放り込む。 それをガリガリと噛み砕き、紅茶で流し 込む。 こうして彼の昼休みは無事終わりを告げたのだった。 気分が良い。 俺は宛ても無く白い通路を闊歩している。 時折同じ顔をした人形がすれ違うが、もう違う。 俺の双眼はもうただの人工 眼じゃない。 戦闘用の金色の目。 殺すための、選ばれた者の眼ってわけだ。 元々こいつらは俺の相手にもならない肉屑だ。 どいつもこいつも同じような動き、それこそコピーだ。 動きを読むどこ ろか、"分かる"。 覚えちまったからな。 まずは上昇。 理に適ってると言えばそうだ。 ACは性質上真下への攻撃は出来ても真上への攻撃は苦手だ。 つまり上 にいれば有利と言う事になる。 だが、それも真上にいればの話だ。 距離を離せば空中にいる方が不利になる。 地上ではスラスターの出力を軽減し、その分をブースター出力に回せる が、空中では姿勢制御のためにもそうはいかない。 同じ武装で撃ち合えばどちらが勝つか、馬鹿でも分かるが肉人形 らには難しい問題のようだ。 そう言えば、俺らには生まれ持って戦うための知識、つまり小脳に戦闘に関する記憶が刷り込まれているんだそう だ。 それはどれも同じ、たったひとりの人間がモデルらしいが、そういうのもあるんだろう。 もちろんどれも同じようなや つじゃあ何の意味も無いからそれには色々情報操作が入ってるそうだ。 そしてその結果俺みたいなやつも出来たんだ ろう。 その人間が誰か、俺が知るわけもないが、多分レイヴンだろう。 ACの乗り方に関する事なんだからな。 あちこちで俺を監視するカメラがピントを合わせる機械音が鳴り響く。普通の人間には聞こえないような音だろうが、 俺には聞こえた。そういう風に出来ている。 いつ生まれ、いつこういう身体に仕上げられたか、そこの部分だけ記憶も、 人工脳髄の記録も曖昧で詳しくは分からんが、そんな事はどうでも良い。 選ばれたのは俺だ。いつまでも働き蟻をしているつもりは無い。 自由になったその時はここにいる俺もどきは皆殺しにしてやる。それと俺のボタンを握ってやがる奴も、ボタンも残ら ずだ。 後ろで色々やってやがるクラインとか言うレイヴンも、俺を知ってる奴もみんな殺す。 気に入らない奴も、目障り な奴も、みんな殺す。 それぐらいしてもいいだろう。 そのための力だ。 足元で白く光を放つ蛍光灯が妙に面白く感じられる。 もしかしたらこの蛍光灯を壊せばこの施設中が真っ黒になるに なるのでは、そんなくだらねぇ妄想のひとつも今では許せた。 脳内のエックス線センサーが前方、曲がり角の向こうで何かが動いている事を知らせる。 初めは中々慣れなかった が、今となっては便利で仕方ない。 そして予想通り前方から俺もどきが現れる。 しかし今までとは少し違う。 金色の眼の可視する周囲の熱は通常よりも低く、強化された聴覚から通常よりも軽い事が知覚出来た。 それはつまりプラスじゃない事を意味する。 俺よりも下、四班、五班と言ったところか。 下と言っても老化が止まってい る俺に比べてそうは違わねぇが。 白く反射するプレートにはNO44。 ぞろ目か。 13なんていう中途半端な数字を与えられた俺にとってはなんとも気に なる数字だ。 「羨ましいな」 俺は思うまま言葉を吐き出す。 そいつは俺の言葉を無視するでもなく、一瞥をくれてそのまま横を通り過ぎようとする。 つまらん奴だ。 「待てよ」 44の前に腕を伸ばし、邪魔をする。 だが、その腕を避けて更に無視を続けるそいつは正に俺の殺したい人間だ。 気に入らねぇ、下らねぇ、つまらねぇ。 「おい」 腕を伸ばせばすぐに届いた。 俺の手が知覚するそいつの腕はあまりに弱い、人間の物だ。 つくづく思う。 弱い奴に生きる価値は無い。 「放せ」 何? こいつが言ったのか? 弱者が吼えたのか? もどきが、俺と同じ声でか? そしてそいつが黒い本物の眼で俺を睨みつけている事に気付き、人口脳髄が思考を止める。 右手の中で何かが砕けるのを知覚する。 そして摂氏42度前後の血液、痙攣する筋肉。 だがセンサーがその無駄な 情報を送り込むのを中断させ、そのまま投げ飛ばす。 飛び散った血で白い壁が赤く染まるのが思いがけず面白い。 普通の人間ならショックだの、苦痛だので意識を失うんだろう。 だがこいつも一応まともじゃない側だ。 面を顰めてや がるが意識はしっかりとしていそうだ。 そう簡単には殺さん。 生身なら生身なりの扱い方がある。 強化されていない眼球を抉り出し、筋肉を引きずり出し、心臓を取り出して口に詰め込む。 そう思考したところで機械音を知覚する。 下、上。 視覚には温度の上昇、大気のうねりが"見える"。 施設防衛用のレーザーか何かだ。 騒ぎをかぎつけて強硬手段という分けか。 流石にはしゃぎ過ぎたな。 俺はそう後悔しながら半歩後退する。 その瞬間を見計らったように熱が目の前を通過する。 レーザーというよりも極めて単純なカロリービームか。 床から、 いや天井から何条も何重に渡り照射されているのが大気熱の動きで分かる。 もちろんあちこちで火花が上がっている 以外に可視は出来ないが身動きがとれない事も十分に理解出来た。 44は運良く熱に切り裂かれずに済んだようだがやはり無事ではなかった。 ビームが掠めただけなんだろうが床に突 っ伏し、微動だにしない。 白い服からは炎が上がり、死んでいる事は容易に想像がついた。 まったく、これだから生身は嫌だ。 すぐにくたばる。 ビームの照射は止まない。 流石にこれだけ長時間照射していると気温の上昇も尋常じゃない。 感覚センサーに連動 する人工脳髄は常人ならばこの場にいるだけで全身を火傷するほどの温度を叩き出している。 もちろん全身の生命維 持ナノマシンは細胞組織が傷つく側から再生させ、そもそも遺伝子レベルで強化されている身体はこんなもので音を上 げない。 遠方でスピーカーが振動するのを知覚する。 音声が接続されたんだろう。 『13』 案の定可愛げの無い野太い声が俺の番号を呼ぶ。 『お前を拘束する。 そのまま動くな』 そして接続が中断された。 動こうにもこれじゃ動けねぇが。 まあ流石に今回の事はしょうがないかも知れん。 サーカスのライオンもピエロを食い殺せばその末路は悲惨極まりな い。 溜息を吐き、直立不動のまま待つ事にした。 考え方を変えれば殺されなかっただけ幸運だ。 それだけ俺が重宝されているのか、死よりも酷い仕打ちが待っている のか、考ええるだけ無駄か。 なるようにしかならない。 少なくとも自由になれるまでは。 再び溜息を吐き、高熱の大気を人工肺に吸いながらふと思う。 サーカスのライオン、ピエロ。 俺のこういった知識はいつ、どこで得たものなのだろう。 「ああ、そうそう。 とりあえずお前とサライだけでも来てくれよ。 今ACが出るから戻ってくる頃にさ」 バーメンタイドは受話器を手に捲くし立てる。 電話線の向こうでは少しばかり機嫌の悪そうな若い男の声が応えてい る。 『あのですね? 親方。 サライさんは分かんないですけど僕は勉強中でしてね? 今年は大学受かりたいな〜っていう 切なる願いがありましてね?』 「なあ、ベンよ」 ベンの言葉には耳も貸さず、彼は続ける。 「車傷ついてたんだよ。 俺の知らない間に。 ケツの方」 全く関係の無い話だった。 傍目にはそう感じられる。 しかし、少なくともベンにとってはそうではないらしく、"切なる願い "の続きを言い出せなくなった。 『……へぇ〜、世の中不思議な事もあるもんですね〜』 代わりに白々しくもそう言うが、明らかな動揺が聞き取れた。 電話線の向こうできっと顔を引きつらせているに違い無 い。 「ジーノは既に自供してるぞ」 『……あいつ。 いや、僕はあいつに頼まれてですよ。 ホント。 僕もね、止めたんですよ〜? でもほら、あいつロジャーの 奴と何かあったから』 だがバーメンタイドの一言で彼は簡単に観念した。 猿ぐつわを外された如くぺらぺらと言い訳をする。 「嘘だ」 それを止めるように彼はただ一言、そう言う。 『はぁ?』 ベンはそれに間抜けな声を出すしか無い。 それ以外何も出来ないが、嫌な予感だけはしっかりとした形で彼を縛り付 けるのだった。 「ジーノは何も言ってねぇよ」 ただ沈黙が流れ、しばらく後、更にもう一言。 「早く来い」 『はい』 ようやく聞く事の出来たその素直な言葉を最後にバーメンタイドは端末のリセットボタンをひと押しし、回線を切断する と予め登録しておいた短縮ナンバーを入力する。 受話器の向こうで呼び出し音が一回、二回、その途中彼の視界に見知った背中が見えた。 水色の光沢を放つ合成繊維のボディーバッグを背負い、靴の踵を合わせるように何度も爪先で合成金属の壁を蹴り つけている。 傍目には陰湿な八つ当たりのようにも見えるが、そうではないと思いたい。 『おーい。 どうかしましたか〜?』 その光景を見ているといつの間にか呼び出し音は中断されており、受話器の向こう側から女声が彼を読んでいた。 こ こで雇っている整備士の一人である、サライの声だ。 「ん? ああ」 一瞬何の用事だったが忘れてしまったがすぐに思い出す。 しかしそれほど急ぐ事でもなかった。 「掛け直す」 『なんだそりゃ』 不満そうな声を無視してバーメンタイドは受話器を電話端末の上に載せるとやや駆け足でその背中に向かう。 広いガ レージにあっては端から端までがちょっとしたマラソンだ。 そうでなくとも数十メートル単位で離れている。 色々な意味で 距離を感じてしまうのもしょうがなかった。 「ジーノ」 彼はその背中に辿り着く前に声をかけた。 こちらの方が早い。 声をかけられジーノは律儀に振り向いた。 しかし露骨に嫌そうな表情を作り、両手を腰に当ててその場でバーメンタイ ドを待ち構えた。 「何だぁ? その面ぁ」 そんな顔をされたらいくら姪とは言え正直いい気ではいられない。 最近ぶり返してきた夏の暑さもあり少しばかり不機 嫌にもなる。 「どうせ、なんだ、またコヨミのとこか。 いい加減迷惑だろ。 それよりもこっちを手伝え、じゃなかったら勉強しろ、でし ょ?」 「まあそうだな。 保護者としては特に勉強しろ、を推したい」 皮肉を込めたジーノの言葉に叔父の彼もまた皮肉で返す。 ただ彼の場合あまりにも露骨であったが。 「で、どこ行く気だ?」 「コヨミんとこ」 「やっぱな」 「悪い?」 「勉強しろ」 「教えてもらうのよ」 「大体あっちまでの脚無ぇだろ?」 「歩く」 「若いねぇ」 「誉め言葉?」 「違うに決まってんだろ」 「どうしろっての?」 「手伝え」 「ヤダ」 「あのな?」 バーメンタイドは溜息を吐く。 これでは堂々参りだ。 ただ、あの男がいなくなった事の負い目はあまり無いようで正直な ところ少しばかり安心する。 それにしても昔は良くこんな口論をしたものだった。 もう何年前になるか。 お互い我の強い性格が災いして下らない事 で言い争った。 その度母親の食料制裁を受け無理矢理仲直り。 今となっては遠い昔の出来事だ。 「やっぱ姉貴の子供だよ、お前」 ついつい笑みを溢しながらバーメンタイドはそう言うのだった。 案の定ジーノは彼が何を言いたいのか分かりかねた。 また何かの皮肉か、などとも思ったがバーメンタイドはポケット のチェーンにつけられていた幾つもの鍵の中から一つだけを取り外すとそれをジーノに差し出した。 「え、何?」 それがどういう意味か分からず、ジーノはその鍵を受け取る事も出来なかった。 「スクーターの鍵だ。 使え」 これはこうなってしまえば何を言っても無駄だろうと言う彼なりの理解の示し方だった。 しかしそれも十分とは言えな い。 「あたし免許無いよ」 当然のようにそう言い返すがバーメンタイドは涼しい顔だ。 「なーに。 スクーターってのはバイクとは違う。 自転車乗れれば誰だって乗れんだよ」 確かにクラッチが無く、車高の低いスクーターとバイクとでは扱い方は大きく違う。 パワーと重量の関係でそれほどス ピードも出ない。 とは言えやはり免許が無ければ運転していいものではない。 「あたし自転車乗れないよ」 しかしそれ以前の問題である事を彼は思い知る。 初耳であるのと同時にそう言えばジーノが自転車に乗っているのを 見た事が無いのを思い出した。 「あ〜、そうか。 歩いて行け、だったら」 もうどうでも良いと彼は笑うとジーノの肩を叩いて再びサライに連絡をとるため電話端末に向かう。 「あのさ」 「あん?」 その彼の背中にジーノは声をかけた。 その声は先程口論していた時とは打って変わった控えめな声で、バーメンタイ ドは何事だと振り返る。 「本当に行っていいの?」 「はあ?」 ジーノのその言葉にバーメンタイドは思わず吹き出した。 改まって言ってみればいきなり何だ、と。 しかし、それを見るジーノにしてみれば馬鹿にされているようで良い気はしない。 「なに?」 「いいや」 まだ口を抑えながら横隔膜の痙攣と格闘している彼はそう言うのがやっとだ。 鍛えられた腹筋も内側からの攻撃には 全く無力で、痛くて仕方が無い。 「なんかムカツク」 当然のように出る彼女の言葉に手をひらひらさせながら、 「分かった分かった」 何とか笑いを堪えながら彼は言葉を繋げる。 「行けよ。 別に悪い事するわけじゃねぇし」 そしてそう言うと限界に達したのか、今度はガレージ中に響くような大声で笑いながら奥に消えていった。 その様子を呆れながら見送り、ジーノも踵を返す。 無駄に体力を使ったようで変に疲れたが、悪くなかった。 彼女にと って父親はやはり一人だが、父親代わりとなればやはり叔父のダイン・バーメンタイドでしか有り得なかった。 そして今 更ながら彼の心遣いに気付き、振り返ると既に小さくなっている彼の背中に心の中で小さく、ありがとう、と言うのだ。 その途端に誰かにぶつかった。 背負ったボディバックの中にある参考書の硬い感覚が、ぶつかった人物の力で押さ れているのが分かる。 「あ、ごめんなさいっ」 ジーノは反射的に出た言葉と共に慌てて振り返る。 振り返った先には少年が一人、立っていた。 衝突を避けた左手がかざされ、巨大なシャッターから射す夏の陽射しに 少年の白髪が鈍い光を放っている。 背丈はジーノよりも幾分か低く、歳も大きく見積もって十二、三程度に見えた。 「えっと」 その少年は黙ったまま、睨んでいるでもなく表情の宿らない瞳でジーノを見つめていた。 意思のようなものは読み取 れず、中途半端に長い前髪から覗くどこか人間離れした金色の目が金属的な光沢を見せた。 その顔を見てジーノは不思議な、しかしはっきりとした感覚を覚えた。 見覚え、だ。 しかし彼女の友人や知り合いのこの歳の少年はいない。 いたとして覚えてはいないのだ。 少年はその視線を彼女から反らし、虚ろな顔のままジーノの横を通り過ぎようとした。 「ねぇ」 その少年にジーノは声をかけた。 知らない人間に話し掛けるのは苦手だが相手は自分よりも年下であるし、そんな子 供がこんな所で何をしに来たのかも気になる。 だが、少年はその声がまるで聞こえていないように無視し、その歩みを止めない。 「ねぇってば」 先程よりも大きな声で再び声をかける。 だが、やはり彼に反応は見られない。 どこ吹く風と言った様子だ。 「ねぇ」 ジーノは少年に立ちはだかった。 体格で勝っているため気持ち的にもそれは簡単だった。 進路を断たれ少年は立ち止まり、しかし変わらぬ無表情を見せる。 一見不機嫌そうには見えるが、そうではないのか も知れない。 「何だ?」 彼は用事を尋ねた。 その声は見た目以上に低く、ただ空気が吐き出されているだけのような声だった。 言わば人間 味のようなものが無く、他者を拒絶しているようにすら感じられる。 「え、えと」 その声で改めて尋ねられるとすぐには答えられず口篭もってしまったが、しかし調子を取り戻す。 「何でこんな所にいるの? ここは君の来るような所じゃないよ?」 ジーノは相手を見た目相応の子供として優しく声をかけた。 あの男ならば相手が彼女ほどの歳でもこんなものだろう が、ジーノにとってはそうではなかった。 そんな彼女が鬱陶しいのだろうか、相変わらずの無表情がその内心を晒すのを拒んでいたが、少年は行動で示し た。 ジーンズのポケットから取り出した黒いカードを彼女に見せ、再び感情がこもらない低い声。 「R999KkyT0qナイツ。 ACの用意は済んでいるか?」 少年がまるで当然のように発した言葉にジーノの開いた口は塞がらなかった。 そう、彼の発しているのは他ならぬレ イヴンの言葉だ。 レイヴンとして以外には発する事の無い言葉。 返事を待つ前に奥にハンガーから開放された純白のACを確認するとそちらへ向かい歩き始めた。 それは主の搭乗 を待つように幾重にも重なったその胸部装甲板を持ち上げ、そこからはコックピットフレームが競り上がっている。 ACは暗黙の了解としてレイヴン以外の人間が搭乗し、操縦する事はタブーとされている。 そのためリグへの運搬もレ イヴン自身が行わなければならない。 一部のガレージではこのAC運搬のためにレイヴンとして登録したメカニックもい ると言うのだから、レイヴン以外の人間にとって、特にガレージの人間にとってはこれ以上面倒な事は無いのだ。 少年の背中は次第に小さくなっていく。 既にそれを追う気力も無く、ジーノはシャッターを潜る。 すると低い音に気付 き、そちらへ振り返ると周囲の建物よりも大きな巨大コンテナを持つキャリアーリグがディーンドライブと共に大量の大 気を排出しながらこちらへ向かっているのが、まるで何かに押し潰されそうな圧迫感と共に目についたのだった。 全身を強化合成繊維のベルトで巻きつけられ、さすがに身動きがとれず俺はコンテナ詰めにされどこかへ運搬されて いるようだった。 頭部には鉛のナノ結合繊維で出来たマスクがはめられ、何も見えない、何も知覚出来ない。 ただ全身の感覚は働いている。 そこから現在の体感速度、走行状況、そして大体の向かっている場所は分かる。 がこんがこんとマスクを貫通して聞こえる振動音。 ホバー推進ではなく、車両だ。 振動そのものは少ないからキャタピ ラか。 まあ、このあたりはさすがに分からん。 いつまでこんな事をしていればいいのか、俺は視床下部あたりで今にも暴れだしそうな欲求をやっとの事で押さえつ けるとひたすら人工脳髄で知る事が出来る時間の経過を待つ。 このまま殺されるような事が無ければ後二時間足らずでお楽しみの時間だ。 その事を考えれば何とか我慢出来る。 俺の人間じゃない部分が何の違和感も無く"俺"として働くその瞬間が最高だ。 そしてそれが敵を叩き潰す時、これも また最高だ。 戦っていられれば良い。 何も考える必要が無い。 そのための力だ。 しかし暇だ。 こうしてその時を待ち侘びるのも良いがそれまでの間に出来る事と言えばただひたすらの思考しか無 い。 この宇宙の成り立ち。 物質生成の過程。 万里の生まれた瞬間。 重力の正体。 下らない。 どんな理屈を並べようとする事は変わらねぇ。 だがそんな結論を出しちまうのも新たな退屈を生むだけだ。 ふと、思考は過去を振り返った。 しかし"人間"だった頃の記憶は曖昧だ。 それでもただひたすら戦っていた記憶しかないが、学ぶと言う記憶は特に無 い。 そもそも小脳に刷り込まれた何かが戦い方や基本的な知識となってるらしい。 つまりなんで俺らがACに乗って戦う必 要があるかと言えばその刷り込まれた基本的な知識の本来の持ち主がACに乗ってたって事だ。 逆に言えばそいつの 知識を刷り込まれた以上ACに乗る以外に有効な使い方は無いってわけだ。 まあそう言うわけでACを使った試験が連日行なわれる。 まあ試験とは名ばかりの殺し合いだが、俺はそれを生き残 った。 今生きてるのはもちろんその中で生き残った奴でしかないんだが、死んだやつは同じ条件で生産されたやつで補 充されると言うから解釈に困る。 殺された奴はその補充された奴と個体として同じなのか、だ。 まあ俺以外の奴は存在する価値も無いゴミ屑だ。 同じでもそうでなくても同じか。 思考を閉じる。 ただ時間の経過を待つ事にした。 人工脳髄に時間経過のタイマーを設定し、必要の無い睡眠へ、移行する。 男は見覚えの無い場所で目を覚ました。 三十台半ばで、あるのか無いのかはっきりしないほど短い黒髪。 それと同じ程度の無精髭が鼻の下から顎先、もみ あげまで伸びている。 彼はベッドで寝かされ、見上げる天井では正方形の照明がその明かりを灯さずに佇んでいる。 ここは白い壁に囲まれた個室の病室のようだ。 窓から射す日は高く、時刻は昼頃だろう。 右手首には冷たい感覚があり、それ以外の全身の感覚ははっきりしない。 だが、実感出来る事があった。 「ははっ、あれで生きてたのかよ」 突如現れたディソーダーの群れ。 地上も上空もその甲殻に埋め尽くされ、本来の目標であるヴィクセンは影も無い。 そして上空から放たれたビームの雨にフレンダーも音を上げ、強烈な衝撃、そこで記憶は途絶えている。 ベッドの右側には一瞬人のようにも思えたが五リットルは有りそうな大きな供給筒を携えたアルミ柱が彼を見下ろして いた。 点滴されているのか。 彼は状態を起こす。 そして供給筒に表記されている内容物を確認してみるが、彼に理解できるわけが無かった。 まあ栄養剤と睡眠剤と言ったところだろう。 いや、全身の感覚が鈍いため麻酔や痛み止めの類が入っているのかも 知れない。 何にしてもやはり無事ではなかったのか。 彼は深く息を吐いて再び横になる。 そしてその時初めて違和感に気がついた。 左手で探ってみるとやはり、そうだ。 いつもしているネックレスが、無い。 彼の頭に血が上り、弾けるように上体を起こすと周囲を見渡す。 しかし苛々するほどの白く殺風景な光景があるばか りで、彼が探しているものは見つからなかった。 腰を捻った拍子に脇腹に酷い痛みが走る。 視界が一瞬真っ白になり、しかし今度は意識を失うわけにはいかなかっ た。 痛みが引くのを待ち、ゆっくりとベッドの身体を横たえた。 くそっ 声には出せないが悪態を吐く。 こんな惨めな思いをするのは久し振りだ。 痛みのする脇腹に指先を伸ばすと湿った脱脂綿の感触があった。 どうやら軽い手術を受けたようだ。 これではしばら く動けない。 彼が口の中で恨みの言葉をぼやいていると引き戸になっているドアから薄水色の医療衣を着たまだ17、8程度の若 い看護士がファイルを片手に入室してきた。 「あ」 と、間抜けな声を上げて彼を見つめる。 「何だよ」 彼もそんな看護士を見て鬱陶しそうに尋ねた。 自分は予定よりもずっと早く目覚めたのだろうか。 彼は看護士を横目にそう思う。 「先生呼んできます。 ちょっと、ちょっと待っててください」 「いや、待てよ」 もう既に病室から出ている看護士を彼は呼び止めた。 これまた驚いた表情の看護士はその顔のまま振り向く。 「俺の……指輪知らねーか。 ネックレスについた指輪……」 彼の言葉に看護士は首を傾げるだけだ。 元々医大研修の一環として手伝っている彼にそんな事が分かるはずが無 かった。 「いやあ、分かりません」 「あそ」 彼は横になりながら溜息を吐く。 「それカルテか? だったら俺の分見せてくれねーかな。 薬のおかげで自分でもよく分かんねーんだ」 「すいません。 そう簡単なものじゃないんで」 「あそ」 退室した看護士を見送る事も無く彼は不機嫌さを紛らわせるために眠りにつこうとするが、どうにも眠れそうにも無か った。 これで睡眠剤が入っていないのは確実だ。 それともカフェインでも入っているのだろうか。 まだ痛みの残る体をゆっくりと持ち上げ、今度はゆっくりと周囲を見渡した。 どの程度こうしていたのだろうか。 あまり長く眠っていた気はしないが、今は自分の感覚などあてにはならなかった。 診察台の上デジタル式のカレンダーを見つける。 銀色のプラスチック台に緑色のカウンターが踊っている。 2日寝てたのか。 とにかくウラシマタロウにならずに済んだと安心する。 だが1日4時間睡眠の生活を送っていた彼にしてみれ12日分 は寝た事になる。 しかし他の連中は無事だろうか。 スピアー、エリー、カランタン、トイ隊長。 航空部隊は絶望だ。 戦車大隊はあの数だ。 知り合いがいるのかどうかも分からない。 彼が物思いに耽っているとドアが引かれる音がした。 ドアから伸びていた影が少しずつ小さくなり、遂には小さくなる。 その影を縫って女性が一人入室する。 「何だ? お前も生きてたのか? センセ?」 彼はその言葉とは裏腹に安心したような声でその女性に声をかけた。 歳は30に差し掛かったあたりで、フレームの無い眼鏡の奥のその瞳は微笑んでいた。 白衣を着ており、短い癖のあ るブロンドの髪が彼女を知的に見せた。 「俺は一体どんな怪我をしたんだい」 「そうね」 横たわったまま尋ねる彼に彼女は答えた。 「全身打撲に肋骨四本、それと内蔵損傷、だったかしら」 意外なほどの重症に彼は自身の幸運を呪った。 これではしばらく動けない事は間違い無い。 「よく生きてた」 「私達だけじゃない。 意外なほど生き残ってるわ」 彼女はベッドの横から丸椅子を取り出すとそれに座る。 「私は無傷だったから、お手伝いよ」 「スピアーは?」 彼の問いに彼女は首を振る。 「……あいつは」 しばらく黙り込み、思い出したように彼は口を開く。 「あいつの妹が明後日結婚式なんだ。 毎日、あいつは言ってたよ。 スピーチがどーのこーの。 相手の男がどーのこーの ってな。 今頃あっちに行ってる頃のはずだった」 そして彼は小さく笑う。 「そう、そうだったの」 彼女はあまり多くは語らず、彼の心境を察した。 「他は?」 「カランタンはもう部隊に戻ってホーイックロックスよ。 トイ隊長は隣の部屋でまだ寝てるわ」 「へぇ。 本当に生き残ってる」 彼は感心してみせた。 確かに五人の中で四人が生き残れば上々だろう。 「リグ隊は全員戦死。 航空部隊も全員。 戦車大隊は半分半分てとこ」 「拠点の方は」 「ジオの侵攻があるかと思ったけどディソーダーが出たおかげで大っぴらには攻撃が無いわ。 散り散りの部隊ならホー イックロックスの砲だけで迎撃出来るから、心配は無いと思う」 「虎の子ね」 それはホーイックロックスの拠点に三基設置されている常識外れの固定砲台だ。 110mmの徹甲弾を秒間60発も 発射し、有効射程10kmを誇る。 性質上長時間の使用は出来ず、近距離となれば使用は出来ないが、MT中隊程度 ならば10秒足らずで殲滅してしまう。 しかし本格的な進行となれば炸裂兵器で無い分弾幕を張るしかないがそうすれ ば本来の機能は発揮出来ない。 あくまでプレッシャーとして存在しているのだ。 「ここは?」 彼は病室の窓に視線を移しながら尋ねた。 窓からは穏やかな青空が望むばかりで辺りの様子は窺えない。 「ガルの衛星都市。 その病院の一つよ」 「軍病院じゃねーのか」 女性は頷く。 「ホーイックロックスの険しい山麓を行くよりこちらの方が近かったんでしょうね」 「管轄は?」 「大丈夫。 エムロードだから」 「そりゃ安心だ」 彼はまだ痛む身体を持ち上げ深く息をついた。 「こうしてても流れ弾に当たる心配が無い」 やはり今の戦闘形態にあっては歩兵などは無力だ。 人型であるMTやACが直立歩行を許されるのは人型であるが 故の重装甲にある。 特に内骨格まで備えるACの耐久性は圧倒的だ。 ライフル弾の一撃で死んでしまう人間とは違い、 兵器である彼らは失血死も、ショック死もしない。 それに歩兵と言ってもパワードスーツのある現在では歩兵が人間とし て戦うのは余程のわけがあってでしかない。 「ヴィクセン騒ぎはどうなってる。 少しくらいは打開案が見つかったのか?」 「それも大丈夫みたい」 その質問を待っていたかのように彼女は表情を明るくして答える。 彼にとっても朗報が期待出来た。 「昨日に入ってからその類の話は無いわ。 もちろんメディアは今でもその話題で持ち切りだけど、具体的な被害は報告 されてないわ」 「朗報だな」 確かに朗報ではあった。 だが、彼の中にはまだ釈然としないものが残っている。 「詳しい話は?」 「この事件について公式な見解はまだ無いみたい。 ヴィクセンの所在にディソーダーとの関係、被害の大きさは分かり きっていないし、今度の復旧の目処も立ってないみたい。 また地球政府に非難が集中するでしょうね」 その原因がはっきりしてないのなら尚更、彼は苛立ちを募らせるしか無い。 今までは戦いで不幸がある度にその怒り をぶつける具体的な対象があった。 レイヴン、各企業、個人。 しかし今回は違う。 イナゴの大群のように現れたそれが 過ぎ去った時、何に対して怒りをぶつければ良い。 イナゴか? それともイナゴの大群を作り出した"何か"か? 「ウラシマタロウになった気分だ」 「ウラシマ?」 聞き慣れない言葉に彼女は思わずその言葉を反復した。 彼は心の整理をつけるように再び深く息を吐くと答えた。 「ウラシマタロウっていう漁師がいた。 そいつがある日漁に出かけると一匹の亀が裏返しになって浜に打ち上げられて た。 こいつは可哀想だとウラシマタロウはそいつを助けた。 すると亀はお礼にって海の宮殿に招待した」 「何よそれは」 笑いながらその話はおかしいと言う彼女を無視して彼は続けた。 「そこはパラダイスだった。 ウラシマタロウは三日三晩遊び、そして地上に戻った。 だけどいつの間にかそこは見慣れな い土地になってた。 なんとそいつが海で遊んでいた間に三百年の月日が流れてた、そういう話」 「つまりどういう事?」 最後まで聞いても彼が何を言いたいのか分からなかった。 直線的に物事を言う彼にしては珍しい事だ。 「少しばかり寝てただけだと思ってたのにオメーに聞いてばっか。 情けねーったらねーよ」 「愚痴らない」 そんな事かと彼女は笑う。 彼にとっては二日は三百年と同じだと言うのだろうか。 「ウラシマタロウはその後どうしたの?」 「知らねー」 どうでも良いと彼は投げやりに答えた。 「どうせろくなもんじゃねーよ」 それにこの話がいつのものか分からないが、今では三百年もあれば世界が変わる。 もしその三百年後というのが今 ならばウラシマタロウはさぞ驚いただろう。 今から三百年後となればこの世界があるのかどうかも疑わしい。 もうしばらくこんな所にいなければならないという憂鬱と己の無力感で彼は脱力していた。 寝ていたというのにもう疲れ てしまっている。 だがこういう時に限って眠気は引いた潮のようになかなか戻らないものなのだ。 視線を泳がせていると彼女の薬指にはめられている指輪に気がついた。 純金製で表面には文字が刻まれ、そこにプ ラチナが流し込まれ白く煌く文字を形成している。 それが何と書かれているかは遠目には分からないが、彼には見なく とも分かる。 「まだそんなもんしてんのか」 アルバート・ギュスタフ。 彼の名だ。 「もう終わったんだぜ。 俺らは」 呆れたように彼、アルバートは言う。 どういうわけか、その口調は冷たかった。 「預かってる物があるの」 しかし彼女はそう言うと、白衣から何かを取り出した。 軽い金属音と共に取り出されたのは銀色のチェーンと、それに つけられた純金の指輪。 これにも文字が刻まれ、白金が流し込まれていた。 エリザベス・ギュスタフ。 彼女の名だ。 しかし、姓は違う。 この指輪はその時のためのものだったのだ。 それを見てアルバートは口の中で、なるほど、とぼやいた。 まったく、面目丸潰れだ。 「だったら返せよ」 エリザベスは彼に促されるままそのネックレス、そして指輪を渡した。 彼の掌でチェーンがチャリチャリと金属音を立て た。 アルバートは両掌でそれを遊ばせた。 指輪は灯りに照らされ煌く。 かつて王の金属と呼ばれたそれは太陽光のように 生きた光を発する。 今では土と海水から生成され、兵器や電子機器の電力回路に使用されるのが大部分だ。 「アルこそ、まだ大事にしてるのね」 彼女はまるで彼を茶化すように言うのだ。 「当り前だろ」 しかしアルバートは極真剣に言い返した。 「一個二百万ドルだぜ」 どちらも世界に二つと無いオーダーメイド品だ。 その程度して当然だった。 「ん?」 彼はそう言いながら薬指にはめようとした。 しかし途中で止めて指をじっと眺めた。 「少し痩せたか?」 「そうね、確かにそのくらいしたかしら」 彼の言葉を遮るようにエリザベスは静かな顔で、しかし強い調子で言った。 「でもそういうものじゃないでしょ」 「じゃあ、どういうもんだってんだよ」 うんざり、と言った様子だった。 まともに取り合おうという気は無いようで、その視線は窓の向こうに向けられた。 無駄 に爽やかな青空を白い雲が漂う。 あの雲になれたらどれほど快適な事か。 アルバートはそんな幼稚な空想をする。 「もう何年も前の事だし、蒸し返したくないけど」 「だったら黙ってろよ、ウゼぇな」 あまりに投げ遣りな態度にエリザベスはさすがに感情的になった。 整った顔に皺を作り、声を荒げる。 「あなたはいつもそうなのよ。 大事な事は何も言わないで。 いつまでレイヴンを気取ってるつもり!?」 アルバートは答えない。 顔色一つ変えず、窓から望む空を見ていた。 「私のためにレイヴンを辞めたって……、あれは嘘だったの……?」 そんな彼に絶望したように、彼女は呟くように言う。 別れを切り出したのは彼だった。 分けも語ろうとはせず、一方的なものであった。 彼女に思い当たる事は無く、結婚の 約束をした後だけだっただけにそのショックは今でも尾を引いている。 その後は友人として付き合っていたが、釈然とし ないのは今でも変わらない。 「嘘じゃねーよ」 その呟きに、目線をそのままにアルバートは呟くように返す。 「今でも惚れてるぜ」 「だったら……」 「今回は運が良かった」 彼女の言葉を遮るように彼は続ける。 「ディソーダーは動かない相手攻撃しねーけどよ、ACは違う。 あのままヴィクセンとやってたらよ、下手したら死んでた んだぜ、オメー」 呆然とした様子の彼女に、語りかけるようにアルバートは言う。 顔を正面に向けようとはせず、横目で彼女を見てい た。 「オメーは後ろで軍医やってりゃ良かったんだよ。 なんだって攻軍に志願しやがったんだ」 彼はエリザベスを責めているようだった。 思い詰めたように見つめるのは彼の握り締める両手、その先にある虚空 だ。 「私は、あなたの力になりたかっただけ。 あなたの近くにいたかっただけよ……」 搾り出すようなその言葉も、彼には届いていないようだった。 いつも危険を冒すアルバートを待つ事しか出来ない不安を、自らも同じ危険にさらす事という方法でしか解消する事 が出来なかった。 あまりに幼稚で向こう見ずな考えには我ながら呆れ果てる。 だが、彼が何の事について自分を責め ているのかは分からなかった。 「三人目にしたくねーんだよ」 それに対する彼の返事は誰に向けて放たれたものなのか、それは彼すら知らないのかも知れない。 虚ろだが、何か を見据えているその瞳は何を見つめているのか。 「何言ってるの?」 エリザベスにはそう言う他無かった。 彼と言う人間は直情的だが愚かではない。 むしろ知的でありながらそれを否定し ている節がある。 そんな彼が感情でも、理由でもなく言葉を発しているのだ。 誰にでも裏の顔はあるというが、これがア ルバートのその顔なのだろうか。 「俺ぁ、今まで三人の女に惚れた」 しばらくの沈黙の後、彼は口を開いた。 まるで独り言のような小さい声で。 「最初の一人は俺と同じレイヴンだった。 職場恋愛とは違うが、まあレイヴン同士傷を舐め合った仲だった。 ……死ん だ。 いきなりな。 俺の知らないところで」 彼の瞳は過去を見ていた。 今などもはや視界には入ってはいまい。 暗く、見つめるものを見失った瞳は既に通り過ぎ た光を捉えているのか。 「レイヴンの宿命ってやつか。 まあ予想はしてた。 どっちが先に死ぬかはさすがに分からなかったがよ」 そしてそれがもう十四年前になる、と付け加えた。 「俺はフライトナーズの一人になった。 まあレイヴンには違いないが真っ当な人間だ。 火星にはまだ行ってなかった。 あ くまで地球政府お抱えの特殊部隊だ。 LCCなんてもんは最初から最後まで役立たずだったからな。 だが、俺自身が俺 が真っ当な人間になり切れなかった時、そいつは声をかけてくれた。 今でもはっきり覚えてる。 ACに乗って戦えねー毎 日に耐え切れなくなって倒れは所構わずチンピラに喧嘩を吹っ掛けてた。 毎日ボロボロになるまでやりあって、そしたら 帰って寝る。 そんな毎日だ。 おまけに金に困らなかったからよ、他にする事が無ー。 下手すりゃ死ぬまでこのままだな。 そう人生諦めてた時だった。 通りかかったそいつなんて言ったと思う?」 突然のように話を振られ、エリザベスは何も答えられなかった。 しかし彼も答えなど求めてはいなかった。 やはり過去 を見つめる瞳には彼女の姿は無く、問い掛けたのは自分自身だったのだろう。 再び口を開いた。 「怪我してますよ、だとよ。 見れば分かんだろうが。 だが、何ヶ月かぶりに見た手前ぇの面は酷いもんだったよ。 そこか らはよく覚えてねー。 その場で腐抜けちまった俺をそいつは看病した。 そこがどこだったかはいまいちはっきりしねー。 俺ん家だった気もするが、違うような気もする。 とにかく何日も世話になってよ、いつの前にか俺はそいつに惚れてた。 名前も知らねー女だが、確実にな。 俺もまともになってきて、そろそろそいつと話の一つでもって時だった」 彼は空を仰ぎ見る。 過去しか見えぬ今の瞳には何が映っているのか。 「死んだよ。 交通事故だったらしい。 詳しくは知らねーが、そいつとはそれで終わりだ」 エリザベスは絶句する。 何と言う事だろう。 彼がこんなにも絶望していたとは。 今の彼の性格もこんな過去があって歪んでしまったものに違い 無い。 ならば自分の存在は彼にとってどういうものだったのだろうか。 「まあ、狂っちまいそうだったが、運が良かった。 そのあたりから色々騒がしくなってな。 そのうちあのレオス・クラインの 乱。 忙しいわ死にそうだわで何も考えずに済んだ」 彼は溜息を吐いた。 しかし次には彼女をしっかりと見据え、微笑んで見せる。 その瞳は間違い無く彼女を見ていた。 「で、グレートブリッジでお前に助けられたってわけだ」 彼女の記憶が彼と共有出来ているのはそこからだった。 戦後調査のためにかつての軍事拠点であるザングチシティ を調査中、全てのACの中で彼だけが唯一生き残っていた。 「お前で三人目だ。 今度は死んで欲しくねー」 それが彼の本音だった。 もうこれ以上狂うような思いはしたくない。 だからそのためにも他人である必要があったの だ。 「分かるか?」 だから彼は彼女との関係を断ち切った。 しかし身近にいる以上やはり他人であり切る事が出来なかった。 「分からないわ」 彼女は素直に言う。 分からないのだ。 「でも、私にエムロードを出ろって言うならそうする。 私もあなたと一緒にいたいのは同じだから」 しかし自分の気持ちを伝える事は出来た。 彼が何を考えているかなど関係無い。 自分はただ言いたい事を言う。 今 の彼のように。 「そうかい……」 アルバートはその言葉を聞くと力が抜けたようにベッドに倒れこんだ。 ばふんと綿から空気が抜ける音が耳に心地良 い。 そうして二人は沈黙し、窓の向こうで吹く風の音を聞いていた。 こうしていられる時間がとてつもなく懐かしい。 しばらくしてあの若い看護士が同様に若い医者を連れて戻ってきた。 歳は二十台半ば。 四角いフレームの眼鏡が辛 うじて彼に威厳を与えていた。 「遅かったじゃんよ」 もう随分経っているぞ、とアルバートは二人に尋ねた。 とは言えどれほど経っているのか自体は時計で計っていたわ けではないので分からないが。 「いえ」 医者の男が照れたような笑顔を見せて答えた。 まだどこか学生らしさが残る笑顔だ。 「入り辛かったんで」 どうやら聞いていたのだろう。 エリザベスは頬を赤らめて席を立った。 とても他人に聞かれて平気でいられる会話では ない。 「なあエリー」 そのまま病室を出ようとする彼女をアルバートは呼び止めた。 彼女は振り返る事が出来なかったが、その場に立ち止 まる。 「お互い無職になって結婚ってのはアリか?」 そして唐突なその言葉に病室全体が凍りついたように沈黙に包まれてしまった。 医者と看護士は下手な事は言えず、 エリザベスはもはや何を言って良いのか分からない。 その中ただ一人、アルバートはそれを楽しんでいるようだった。 そしてネックレスから金色の指輪を外すとそれを薬指 はめてみた。 痩せたと思った指にそれはぴったりとはまり、暖かな橙色の光が辺りを照らした。 自分と言う存在に疑問を感じたのはそれほど昔じゃなかった。 物事が需要と供給で成り立ってるんだったら俺という 存在をどこかで必要としてる何かがあるんだろう。 だがその目的は何だ? どうでも良い。 俺はようやく自由になった四肢を伸ばしその思考を遮断した。 縮んだ筋繊維が無理矢理伸ばされあちこちで悲鳴を 上げているが、医療ナノマシン、つまり生体分子結合メカをそちらを向かわせてとりあえず一息吐く。 窒素八十%。 酸素十七%。 アルゴン一%。 残りは二酸化炭素残り諸々。 こんなもんだろ。 上々だ。 周囲を見渡せば今まで見る事が出来なかった地上の風景が空間を満たしている。 特別な感情は無いが、こんなもん だろ。 上々だ。 死ぬ前に一度は見たいと思っていた光景だ。 こう簡単に見れるとは思わなかった。 足元には乾いた土があちこちで亀裂を作っている。 そこから這い出ている雑草が風に揺れて不規則に動いた。 俺も どきよりも何倍も人間らしい。 ふと、風と言うものを意識する。 表皮のセンサーが風の強さと飛ばされている粒子の存在を知らせる。 風が地下でも吹いている事は知ってる。 施設が作ってるだの、空気の供給の際に起きるだの、そういうもんだ。 で、天 然の風はと言えば自転と公転、太陽からのエネルギー照射で起きてるもんだ。 人工と天然でどれほどの違いがあるの か、疑問と言えば疑問だ。 荒野ってやつか? 植物と言えば木だろうが、そいつは見当たらねぇ。 こげ茶色の土がひたすら地平を埋め尽くし、 その向こうには空を侵食する山麓が太陽光を遮ってる。 その反対側には白い月が幽霊じみた気配を漂わせ、紺色の 夜を引き連れながら太陽を地平の向こうへ追いやろうとしてる。 天井は無い。 あるのは空間だけだ。 拡張された俺の感覚に見合う素晴らしい開放空間。 これ以上の戦場はそう無い。 今も昔も戦いの舞台だった地球という惑星。 なるほど、実際目にしてみれば分かる。 自由に使える上下左右。 ACは 元々閉鎖空間で戦うためのもんだがそんな事はどうでも良い。 俺はこういう場所で戦ってみたかった。 だがそんな無垢な感動をぶち壊す無粋な屑鉄どもが俺を取り囲んでる。 全高は俺の倍近い。 重量はおよそ十倍か。 俗にパワードスーツと言われる強化戦闘服を着込んだ馬鹿が六人。 右腕に仕込んだパルスビームの砲を俺に向け て照準を離さねぇ。 対AC戦闘でも使われる物だ。 さすがに一瞬で昇華、そのまま地下よりももっと深い場所に逝っちま う。 ここは大人しく従うのが正解だ。 表面はクロムモリブデン、その下はアルミ繊維の強化服ってところか。 何で出来てるかまではさすがに視界で判断は 出来ねぇ。 少なくとも俺の腕力でどうにか出来る代物じゃない。 こいつは正確には着る、ではなく他の兵器同様乗る物だ。 中心に人間が乗ってそいつの動きが全高三mの人型機械 にそのまま伝達される。 推進する時はブースト、と一言。 攻撃にもファイヤ、の一言で事足りる。 腕力は軽戦車の装甲 なら簡単に貫き、推進時の最大速度は時速二百kmを超える。 広域空間での戦闘時は更にアタッチメントが装備され て追加推進装置、ミサイルランチャー、弾倉が追加される。 もちろんACよりも人に近いマニピュレーターには他にも 様々な武装を搭載出来る。 戦闘能力は高いが維持が大変だったり、装備出来る人間は体格がある程度決められてい たり、中々使いどころは難しいらしい。 一度使ってみたいものだが、今俺を睨んでるのがそいつだと思うとその気も萎え る。 対戦車拳銃の一丁でもあれば少しは反抗も出来るんだろうが、さすがに自殺行為だと自分に言い聞かせる。 そいつらの一人が何やら隣の奴と話している様子だ。 空気の振動が外に漏れないため何を言ってるかは分からん。 傍受する。 『で、こいつとあっちのやつを鉢合わせさせんだとよ』 案の定電波を拾えばそいつの言っている事がもう一つの耳に届いた。 情報受信という形でも結局空気の振動を脳が 分かりやすく解釈している音とでは大した違いは無い。 『ああ? どういう事だよそりゃ。 上の指示か?』 『みてぇだ。 多分見えの張り合いってところだろ?』 なるほど、随分と楽しい話をしてるじゃないか。 あちらの方がどういう面をしてるのかは興味がある。 そいつも俺と同じ ように手前と同じ面を見ながら戦い続けてきたんだ。 少しは骨のある奴だろう。 それともそいつも俺と同じ面なのか? だとしたら冗談を通り越して笑うしかない。 『で? どうすんのよ』 『このまま所定の場所に連れてくんだと』 『どこだい』 『おい』 話の途中に別の情報が割り込む。 この中の一人か。 『こいつに聞かれてるぞ』 『マジ?』 気付かれたようだ。 ラジオランプでも表示されてんのか? 『こいつは電波が聞けんだよ。 話は有線でしろ』 『あー、気味の悪ぃガキだねぇ』 そこで情報が途切れる。 そしてそいつは中指に当たるマニピュレーターの先からコードを引き伸ばすと隣の奴にその 先端を渡し、隣の奴はそれをマニピュレーターの掌に当たる部分に差し込んだ。 なるほど、有線会話ってわけだ。 しかし気味の悪ぃガキとは言ってくれる。 ガキ相手にそんなもんを着込んで取り囲む手前らよりは幾分かマシだと思え るが。 パワードスーツが作る壁の向こうに巨大な輸送車両が見える。 キャリアーリグだ。 表面に艶の無い緑色の塗装がなさ れ、まるでそれだけがはめ込まれたかのような不自然な巨体が景色に溶け込む事無く、隠密性を無視した糞喧しい機 械音を発してる。 そして同じような喧しい音がもう一方から。 センサー範囲外だが、おおよその位置は予想出来る。 振り返れば少しばかり遅れてきた同系のキャリアーリグの巨体が見えた。 まるで山が動いてるようにも見えるそいつ は、確実にこちらに向かっている。 こちらは艶の無い青緑色。 半分が舞い上がる土煙で見えないが、俺の目にはそれ が無視出来た。 それにあわせて俺を取り囲んでいた一人が右腕を持ち上げビームの砲身を向けながら左腕で俺を促す。 逆らうのは危険だ。 加えてその理由も無い。 俺は促されるまま歩き始める。 ようやく時が流れ始めた。 そんな気がし始めた。 コンマ何秒でカウントする人工脳髄とは関係無く、そう感じた。 ニコライはすでに手伝いとは言えなくなっていた患者の往診と治療を終えて、受付ロビーへ脚を向けた。 彼は地上の暑さにはどうしても慣れる事が出来ずにいた。 火星人と言われる彼は体質に加え地球に降りてからも地 下で暮らす日々を送っていた。 そんな彼に夏と言う季節に順応しろという事の方が酷なのかも知れない。 飲食店ならば食事時に来客は集中するのだろうが、病院ならばそういうわけにはいかない。 ここがカウヘレンの中心 的な病院というわけではないので、急患が引っ切り無しに送られてくると言う事は少なかった。 こういう点では彼は地下 にいた時よりも研究に集中出来たが、今彼の集中力を掻き乱すのはこの暑さそのものだった。 時間的な余裕か、精神 的な余裕か、どちらを取るかは今の彼には判断出来ない。 まあそれも良いだろう。 あまり根を詰めすぎると仕事もそれ以外も手がつかなくなる。 彼は医者という職業に押し潰された人間を何人も見てきた。 責任と能力が釣り合っていない者、死人に感情移入して しまう者、臓器に慣れる事が出来ない者。 特に二世の医者などはよく聞く話だが多くの場合使いものにならない。 そして 鬱病は彼の専門外だ。 坑鬱剤を渡す以外に治療は出来ない。 しようとも思わないが。 ガラス張りの天井から射す太陽光を避けるのはまるで吸血鬼にでもなった気分だが、血を吸う人間が日光を浴びて 灰になるという化学的根拠は全く無い。 堂々とすれば良いのだ。 「この病院にはクーラーは無いのですか?」 ニコライは受付で扇風機に当たりながら慣れない手付きでコンソールを叩いている女性にそう声を掛けた。 実際にあ る事は知っているのだが、それが動作しているのは見た事が無い。 「こんにちは」 そんな彼の挨拶に深い意味が込められていないという事を知ってか知らずかその女性は穏やかに挨拶をするだけだ った。 しかし彼女の笑顔を見る事が出来ればそれも気にはならない。 「ヒートポンプが故障してしばらく使えないみたいですよ」 「そうですか」 冷房"も"使えないのか。 ニコライは顔には出さずにウンザリした。 まだエレベーターの修理も終わっていないというの にまた新たな綻びが生まれたのだ。 そもそも修理作業が行なわれているのを見た事が無い。 修理業者が怠職務慢な のか、そもそも修理を要請していないのか。 医者という観点から見てもこの高温で治療を行なうというのは頂けない。 下 手をしたら傷口がすぐさま腐敗してしまう。 「私は地下で仕事をしますが何かありましたらすぐにお呼び出し下さい。 おそらく剖検室か資料謁見室にいると思うので 連絡はそちらへ。 放送はいりませんので」 まあそれは良いとニコライは彼女に用件を伝えた。 少しばかり変わった死体の研究を頼まれたとは言え、今人手の足りない状況では彼の手も絶対的に必要だった。 給 料も貰っているのだから尚更手を抜くわけにはいかない。 それに助ける事の出来る人間を余裕が無いという理由で見 殺しにする事は彼には到底出来なかった。 「はい、内線の指定番号は必要ですか?」 彼女は有能なようだ。 どんな事にでも気を使いその上美人ときている。 これでコンソールの操作が人並みなら完璧だ ろう。 「ああ、いえ。 私はここの正規の医者ではありませんし……」 「おーい!」 ニコライがその申し出を断ろうと話している途中に無粋な低い声が二人の間に割り込んだ。 小さい声に感じられるが それは遠くから発せられたからだろう事はすぐに予想が出来た。 声のする方向へ視線を移せば案の定死体安置所の管理人が手を振りながらこちらへ走っていた。 運動不足な不健 康且つ重い体を引きずりながら向かう姿はニコライよりもよほど地底人という言葉が御似合いと言えた。 「どうかしましたか?」 おそらく歳は自分よりも五つ以上も下であろうその男にニコライは実に紳士的に尋ねた。 普段ならば何の気兼ねもせ ずに話すところだが彼女の前ではそうもいかない。 「あ、あんただったよな。 さっき資料謁見使ってたのは」 その小太りの男は彼の前で止まると肩で息をしながらそう尋ねた。 赤いシャツには汗がへばり付き朱色のシミを作っ ている。 「もう何時間も前になりますが、どうかしました?」 そこでは研究資料、つまり人体と言う媒体を使ったナノマシンが安置されていた。 そのオーバーテクノロジーによって 作られていると思われるそれの性質を見極めるにはそれが最も有効、且つ効率的であったからだ。 電子顕微鏡で二十 四時間、その動きを監視し、その働きを見極める。

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3日目東地区ヤ行

えぬえいちすりー

……うん。 泣いてた 彼はまだ涙の浮かんでいる瞳を細め、笑顔でそう答えた。 結局守れなかった。 弾切れでさ、もうちょっと、もうちょっとだったのに……。 そしてさ、なんか、すごく嫌な気持ちになっ た だが、そこで言葉を切り、俯く。 照明の元、影になって表情は読み取れない。 今でもよく分からないけど……、許せなくなった。 すごく。 そしたらなんか、自分が誰なのかも分からないようになって、な んか、すごく 影になった彼から、涙が零れた気がした。 しかし、薄暗いためそれが涙だったのか、分からない。 怖いよ 彼からその言葉を聞くのは初めてだった。 レイヴンだから、きっと意識してないところで人を殺してるんだと思う。 それもきっと許されない事だけど……、でも…… 嗚咽のように震えた声で彼は確かにそう言った。 俺……、人を殺したいと思ったの初めてだよ…… そして彼は翌日、ここからいなくなっていた。 彼女には一言も声をかける事も無く、フエーリアエと共に。 そして今日で それから丸一日経つ。 一応このガレージの整備士である彼女にも連絡があっても良いのだろうが、無いのだ。 それにあったところで彼女に 何も言う資格は無い。 その事は分かっているのだが……。 彼女は思わず見上げる。 遥か高い窓から射す朝日に照らされるACハンガーにあの派手なヒーロー色に彩られたAC の姿は無い。 巨大な腕そのもののロボットアームがそこでその役割を待っているだけだ。 人を殺したいと思ったの初めてだよ…… 再びその言葉を思い出す。 彼女が思い返してみれば、それこそ数え切れないほど人に対して殺意を抱きながら生きてきた。 初めて人を殺したい と思った時の事など思い出せない。 ただ、今でも家族を殺したレイヴンに対する憎悪、殺意は癒えてはいない。 それが 初めて彼女が抱いた殺意だとすれば、ジーノはその事自体に恐怖は感じない。 むしろ、そのレイヴンが今でものうのう と生きているとすれば、それが悔しくて仕方がない。 しかし、ロジャーの言葉を思い出すとそんな考えを持つ自分がこれ以上無く醜く感じられた。 人間なら誰もが抱くはずの負の感情にロジャーは自身に恐怖していた。 望まないながらもレイヴンとして人を殺してしまい、いざ殺意を抱けばそれに恐怖するロジャー。 殺意は抱くがそれを 実行する事の無い自分。 一体人間としてどちらがまともなのだろう。 トゥワイフという医者なら答えられそうな気がした。 彼は自分が元々レイヴンであると彼女に知らせた。 正確には口にしたわけではなく、レイヴンしか持つ事の許されな い携帯ナーヴを持っている事で彼女にその事実を伝えたのだ。 彼もかつてレイヴンとして苦悩したのだろうか。 ロジャーのように。 そしてそのロジャーは今どこにいるのだろう。 なぜここを出て行かなければならなかったのだろう。 そこまで考えてジーノは首を振った。 どうしてしまったのだろう。 気付けばロジャーの事ばかり考えてしまう。 そう思えばこの間はコヨミの事ばかりを心配し ていた。 実は自分が思う以上に思い悩む性格なのだろうか。 そう考えて彼女はひとり自嘲した。 そんな事を考えている時点で思い悩む性格である証拠だ。 ジーノは何も考えないようにと自分に言い聞かせ、足早に自室へと向かった。 今日からACが一機、このガレージで預かる事になる。 そうすればまた忙しくなるだろう。 仕事をしていれば思い悩む 事も無い。 友達じゃん 不意にそんな言葉を思い出す。 もし、また会うような事があれば、 「認めてもいいかな」 彼女は自分自身にしか聞こえない声で、そう呟いた。 もう、何日も、何年も歩いている錯覚を覚える真っ白の通路、俺は呼ばれ、そこを進む。 何のために呼ばれているのか、そんな事は知らん。 ただ呼ばれたから行くだけだ。 気にいらねぇが、自分の身分って やつを考えるとそうも言っていられない。 所長室。 そこで俺が何を言われるか、もしくは何を知らされるか。 想像は出来るがしようとは思わない。 実際見ていない事、聞いていない事を信用する気は無いからな。 他のやつとは違う。 俺は自分で考え、自分で決める。 他のやつとは違うんだ。 俺に付き添う人間はいない。 妙な行動をとろうにも通路を見渡せばざっと2、3の監視カメラが目に付く。 そいつが俺 の動きに合わせて首を振り、ピントを合わせる機械音が聞こえる。 こいつらが常に行動を監視する。 おまけに何か出来 たとして俺の体内で生命活動を補助しているナノマシンが自殺命令を受ければ俺は即死するしかない。 そしてその命 令はボタンひとつで発せられるわけだ。 冗談じゃない。 だが、長い間こんなところで生きていればその穴も見えてくる。 おかげで資料のひとつでもパクる事は出来たんだが、 まあ、それだけだ。 その穴もどこにでもあるわけじゃない。 思考を走らせながら脚が遂に所長室に辿り着く。 前にも来た事はあるが、その時は警告だった。 お前は危険だが、いつでも殺せる。 せいぜい生きろ。 確か、そう言われた。 しっかりと覚えちゃいないが。 目の前に丸く縁取られた亀裂のようなもんがある。 趣味の悪い出入り口だ。 その上に設置された監視カメラが俺を睨みつける。 気に入らない面構えだ。 そのカメラで俺がここに来た事が分かったのか、目の前でドア、と言うよりもゲートが開く。 何をそんなに怯えているの か二重ゲートになっていやがる。 『入りたまえ』 どこまでも気に入らないカメラはそんな事まで言う。 何か機会があれば握り潰したいところだが、そう簡単じゃないの が残念だ。 促されるままにそのカメラを潜る。 二重になっている分厚い敷居を跨ぎ、そこは通路の延長のような白い閉鎖空間 だ。 少しばかり広いが、その先に白いデスクと、偉そうな人間がひとり。 初めて見る顔だが所長室にいるのだから所長だろう。 前に来た時は見なかった。 「13だな」 ナンバーを抜かし、気だるそうに男が言う。 歳は四十そこそこ。 鼻の下と顎に中途半端な黒い髭を生やしてる。 背丈 は俺よりも低い。 殴りかかれば例え銃を持ち出しても確実に殺せる。 問題は例のボタンか。 俺は黙る。 そちらの方が都合が良い。 「二十時間後、別施設との二次試験がある」 別施設。 さっきの資料にあったエデンとヘヴンか。 試験ってのは例の如く殺し合いか、ACを使った殺し合い。 殺し合い、殺し合い、生き残れば強い。 簡単な事だ。 「この施設では、お前を選抜する事になった」 まあ、だろう。 俺は他の馬鹿とは違う。 もちろん、1番強い。 俺が最強だ。 どんな野郎が出てこようが俺は勝つ。 その 自身がある。 「お前は色々と問題を抱えている。 だが、せめて試験中大人しくしていれば、無事は保証してやろう」 してやろう、と来た。 ふざけるな。 俺はお前のために生きてるわけじゃない。 俺が生きてるのは俺だけのためだ。 だが、口には出さない。 下手に騒いで、もう二度と口を開けないようにされても困る。 「その試験は極めて単純、いつものように戦え。 違うのは場所と相手と使うACだけだ」 ほう、ACが違うのは楽しみだ。 相手もな。 いつものような退屈な的、乗り物じゃあ欠伸3回の間に決着がつく。 そう考えれば少しくらいの危険は楽しみで仕方が 無い。 もちろん、最後の勝つのは俺だ。 負ける訳が無い。 「金色の目の使用を伝えておく。 存分に戦え」 所長は続ける。 そんな下らない事は文章にしてくれりゃいいんだが。 まあ、いい。 うまくいけば自由が手に入るかも知れん。 そういう期待もある。 「以上だ」 そしてもう一言、この言葉を期待していた。 いつまでもこんな辛気臭いところにはいたくない。 もちろん、ここに辛気臭く ないところなど無いから代わり映えはしないが。 逆らう理由は無い。 リスクに対するリターンも無い。 軽く一瞥し、踵を返す。 俺が向き返ったと同時に丁度良く開いたゲートに気を良くしながら、所長室を後にした。 ゲートの閉まる糞喧しい音を背後で聞きながら、おそらく生まれて初めて腹の中で何かが煮え滾るような感覚を抑え る。 妙にはしゃいで暴れれば名刺も持たない無礼な死神に首をさっくり持ってかれるかも知れん。 だが、うまくいけば……。 気分が良い。 そんなわけは無いが、白い通路が薔薇色に思えてくるほどに。 薔薇など生まれて一度も見た事は無いが。 「アルビノエンジェル……、長ったらしいな」 バーメンタイドは目の前のACと手前のコンソールパネルに表示されたその名前を見るとどうでも良いように呟いた。 このガレージに来る前に作業を受けたのか純白の塗装も奇麗なもので、関節にも疲労らしいものも無い。 このガレー ジにACを送ったのは仕事が減ったからか、それともレイヴンの気まぐれか。 とは言えこのガレージはネオアイザックの 中心に位置しているだけあって仕事には事欠かない。 所有者から換装の依頼は無い。 それほど汎用性の高い機体なのかとアセンブルデータを覗いてみればエネルギー バランスが悪く、武装もエネルギー系統だけときている。 そこへシールドとくればよほどの好きものなのか、兵なのか。 とにかく換装も修理も無ければ今まで通り暇なだけだ。 一対の大型の電極が邪魔でハンガーの設置に手間はかかったがそれも簡単なものだ。 AC用ハンガーは現行規格 のACならばどのようなアセンブルパターンでもあっても問題無くACを固定してくれる。 規格兵器はこういう面でも非常 に便利だ。 暇である事に対して小さく溜息を吐くと、今月の収入の事を考え更に溜息を吐く。 個人運営のガレージだ。 下手に根回りの無い分資金の無駄が無いため貧しいわけではないが、経営者としてはあま り気分の良いものではなかった。 従業員の殆どがアルバイト扱いなのが救いだ。 コンソールパネルの電源を落とし、パネルの冷却フィンが停止する音を確認すると、お前も熱かろうと彼は首に巻い ていた濡れタオルをその上に置いた。 昨日辺りから今までの肌寒い天候とうって変わり、夏らしい蒸し暑さが戻ってきた。 バーメンタイドは体質柄寒いよりも 暑い方が助かるのだが、こうも急に変わればその限りではない。 「夏風の使い過ぎ足れば、日は微笑み、雲は眠らん、か」 目の前で純白のACが零れ射す光を反射し僅かに辺りを照らす。 かつてはこのハンガーに赤い原色のACがかけられていた。 だが、あの巨体も手続きひとつでここではない何処かへ 運送される。 その運送先を知るのはガレージ管理人である彼だけだ。 少なくともここでは。 そしてそれは誰にも教えては ならないようになっている。 レイヴンはあらゆる意味で人の恨みを買う。 当然の事だ。 だが、フエーリアエに乗るレイヴンは違う。 少なくとも、人間としては。 そこまで考えて彼は止めた。 そうだとしてどうするというものではないのだ。 踵を返し、自室へ向かおうとするとジャケットの中で派手な電子音が鳴り響いた。 携帯電話への着信だろう。 着信音 からするにテキストメールだ。 「仕事だ、仕事」 そしてその着信音はこのガレージに送られてきたものを携帯電話へ送信したものだ。 さすがに大きな容量を持つ画 像などは出来ないが、簡単なテキストならば携帯電話でも十分再生出来る。 ストレートタイプの液晶画面に受信したメールのテキストが表示される。 簡潔で、あまりにも短い。 『ACを使用する。 用意を。 R999KkyT0q ナイツ』 ただ、それだけだ。 この十桁のパスワードは全通りで十京近い並びがある。 地球と火星のレイヴンを足した総数でもたかだか一、二万程 度のレイヴンにそのすべての通りが使用出来るわけではないが、偶然で一致する事はまず無い。 このパスワードを完全に覚えると言う特技をいつの間にか身に付けていたバーメンタイドはそのメールが悪戯で無い 事を確認する。 用意というほどの用意は必要無いがコンコードからの迎えがいつ来てもいいようにする必要はある。 彼は携帯電話をジャケットにしまい直すと、改めて自室へと向かった。 悪くない。 目の前の鏡に映る手前の面に俺は満足する。 今までの黒い擬似光学カメラなんてつまらないもんじゃない。 完全な戦闘用の目玉だ。 俺にとって一番必要で、他には代わりの無い目玉。 金色の目。 およそ連続使用数百年の耐久性、極めて高い伝導効率、光ファイバーと純金繊維、そしてナノ精製された保護組織。 完璧だ。 こういうのが欲しかったんだよ。 体中に走る光学繊維の神経にはこれくらい無けりゃ釣り合わん。 強化された全身の筋肉繊維にはこれくらい無けりゃ 釣り合わん。 後頭部に追加された人工脳髄にはこれくらい無けりゃ釣り合わん。 他とは違うんだよ。 生きるために殺すんだ。 俺が生きるために。 他とは違う。 命令されて戦うような肉人形とは違う。 金色の目が入っていた合成スチールのケースに今までの出来そこないを放り込むとケースごと目の前の男に渡す。 「どうだ?」 そいつは馴れ馴れしくそんな事を聞きやがる。 こんな所にいなけりゃすぐにでも殺す。 殺してやるよ。 周囲は例の如く真っ白く塗られた滅菌室だ。 つまらない、退屈な色だ。 出来るなら真っ黒く塗り潰してみたいもんだ。 チカチカするんだよ、白ってのは。 折角の新しい目が草臥れちまう。 「目を入れ換えるってのはどんな気分なんだ?」 男は汚い顔を俺に近づけ、にたつく。 こいつも白い白衣を着たつまらない野郎だ。 「教えてやろうか?」 そいつの面に俺は二本の指をかざしてやった。 入れ換えるには今あるものを取り出す必要がある。 眼球を抉られると思ったんだろう。 男は座っていた椅子から転げ落ち、情けない声を上げる。 俺にそんな気は毛頭無 いんだがな。 そんな事をしたら次の瞬きが一生ものになっちまう。 男はまだあわあわ言ってやがる。 下らねぇ。 人工脳髄が三十分の時間経過を伝える。 嬉しくてたまらない。 「後十八時間と三十分」 いつの前にか声に出してしまっていた。 腰が抜けたそいつは呆けたように俺を見ている。 「誰を殺させてくれるんだ? 俺もどきじゃねぇんだろ? 教えてくれよ。 色々よ」 もう、止まらなかった。 待ち遠しくて仕方無ぇ。 早く、早く、戦わせろ。 病院屋上、大した高さではない。 しかし風が強く吹き、彼の羽織ったあり余りの白衣をはためかせた。 空は真っ青で、 唯一シティを警護しているのであろう無人航空機が丸い影を落としていた。 その姿は文字通り空跳ぶ円盤である。 彼は血の匂いを嫌うように缶に入った匂いの強い紅茶のプルタブを開け、それを花壇を仕切るコンクリートの上に置 く。 鮮やかな黄色、しかし控えめな大きさだ。 それが並び、一目には黄色いガードレールのようにも見える。 「……マリーゴールド……か」 年間を通して気温の低い火星には咲く事は無い夏の花だ。 それに並ぶように彼はゆっくりと腰を下ろした。 潰してしまわないように注意を払いながら。 それが目の前で眩しいほどの太陽光を吸収し、生きている。 そこには怒りも、憎しみも無い。 その代わりに喜びも、楽 しみも無いのだろう。 植物に精神や、感情があるという話も無くは無いが、進化の過程で動物と植物は最も早い段階で 分離した、完全な異生物だ。 あるとしても、分かり合える事は無いのだろう。 そもそも動物、つまり動物細胞生物は他の細胞生物を取り込み、つまり捕食する事によってエネルギーを得る事を選 んだ。 酸素を得る事により活発に活動出来るようになった彼らは自らよりも弱い者を取り込む事により、従来よりも何 倍も効率の良い生命活動を行なうようになった。 それに対して植物は根本的には今からなんら変わる事の無い性質を持ち続けている。 太陽から受ける事の出来る無 償のエネルギーと原子の海に多量に含まれていた二酸化炭素を組み合わせ、自らの礎とする。 そこに求めるという行 為は無く、もはや両者の間には相容れる事の無い何かがあったのだろう。 そしてその中、動物は意志を持った。 あくまで動物同士にしか理解し合えない意思であるのかも知れないが、辺りに 影響を与える事によって意思を示す事が出来るのは動物だ。 そしてその意思の根本にあるのは言わば肉食だ。 つまり支配だ。 そう言った性質を持つ以上、他種の生物は愚か、人間同士であっても争うのは言わば必然なのかも知れない。 そうだとしたら医者はどうしたら良い。 彼、ニコライは心の底から、そう思う。 冷たい紅茶を口に含む。 鼻を吹き抜ける香りが、消毒液と血の匂いを洗い流してくれるようだった。 照りつける日光が彼の短い金髪に反射し、皮膚に夏の暑さを浴びせかける。 火星出身の彼には過酷な天候だ。 だが、今は院内に戻る気は無かった。 遂先程まで例の強化人間と思われる人間ひとりを解剖した。 その時の、死体らしからぬ生暖かい臓器と無理やり取り 替えられたであろう人工臓器、人工繊維、どのように接続され、どのように連動していたかも分からない人工脳髄。 血 液中に多量に含まれていたナノマシン。 これを調査しろとは言われたが、短く、しかし正確に表現するとしたら、 「完全なオーバーテク」 彼は呟く。 しかしそんな事は全く問題が無いように思う。 彼にとって想いの種はその強化人間はこんなものを身体の中に内蔵して何を思っていたのかだ。 記憶細胞と言われるものが脳以外の臓器にも存在する事は分かっている。 そう言った観点からすれば、その大部分 を失った強化人間とははたして人間なのだろうか。 いや、きっと人間なのだろう。 少なくとも本人にとっては。 医者になると理屈っぽくなって仕方が無い。 ニコライは無駄に考える事を止めると再び紅茶を口にした。 その冷たさに口の中だけが別の世界に飛ばされたような 感覚を覚え、幼稚な妄想に彼は笑みを溢す。 そこに下らない理屈や妄想を持ち込むのはあまりにも非倫理的だ。 死は終わりであり、個人にとっては全て、世界の終わりも同然だ。 他人の考えや、科学の介入は全くの無意味。 彼は職業柄下手な軍人よりも多くの死体に立ち会う事が多いが、常々そう思う。 自分もいつかこうなるという恐怖では なく、どのような想いを遂げられずに死んでいったのかという無意味な同情。 医者であるためには少しくらいは不感症になった方が良いのだろう。 そうも思う。 ニコライは白衣のポケットから白いプラスチックのケースを取り出すとそこから薄乳白色のサプリメントを取り出した。 何粒かなどは考えず、出てきただけ掌に受け取り、それを口の中に放り込む。 それをガリガリと噛み砕き、紅茶で流し 込む。 こうして彼の昼休みは無事終わりを告げたのだった。 気分が良い。 俺は宛ても無く白い通路を闊歩している。 時折同じ顔をした人形がすれ違うが、もう違う。 俺の双眼はもうただの人工 眼じゃない。 戦闘用の金色の目。 殺すための、選ばれた者の眼ってわけだ。 元々こいつらは俺の相手にもならない肉屑だ。 どいつもこいつも同じような動き、それこそコピーだ。 動きを読むどこ ろか、"分かる"。 覚えちまったからな。 まずは上昇。 理に適ってると言えばそうだ。 ACは性質上真下への攻撃は出来ても真上への攻撃は苦手だ。 つまり上 にいれば有利と言う事になる。 だが、それも真上にいればの話だ。 距離を離せば空中にいる方が不利になる。 地上ではスラスターの出力を軽減し、その分をブースター出力に回せる が、空中では姿勢制御のためにもそうはいかない。 同じ武装で撃ち合えばどちらが勝つか、馬鹿でも分かるが肉人形 らには難しい問題のようだ。 そう言えば、俺らには生まれ持って戦うための知識、つまり小脳に戦闘に関する記憶が刷り込まれているんだそう だ。 それはどれも同じ、たったひとりの人間がモデルらしいが、そういうのもあるんだろう。 もちろんどれも同じようなや つじゃあ何の意味も無いからそれには色々情報操作が入ってるそうだ。 そしてその結果俺みたいなやつも出来たんだ ろう。 その人間が誰か、俺が知るわけもないが、多分レイヴンだろう。 ACの乗り方に関する事なんだからな。 あちこちで俺を監視するカメラがピントを合わせる機械音が鳴り響く。普通の人間には聞こえないような音だろうが、 俺には聞こえた。そういう風に出来ている。 いつ生まれ、いつこういう身体に仕上げられたか、そこの部分だけ記憶も、 人工脳髄の記録も曖昧で詳しくは分からんが、そんな事はどうでも良い。 選ばれたのは俺だ。いつまでも働き蟻をしているつもりは無い。 自由になったその時はここにいる俺もどきは皆殺しにしてやる。それと俺のボタンを握ってやがる奴も、ボタンも残ら ずだ。 後ろで色々やってやがるクラインとか言うレイヴンも、俺を知ってる奴もみんな殺す。 気に入らない奴も、目障り な奴も、みんな殺す。 それぐらいしてもいいだろう。 そのための力だ。 足元で白く光を放つ蛍光灯が妙に面白く感じられる。 もしかしたらこの蛍光灯を壊せばこの施設中が真っ黒になるに なるのでは、そんなくだらねぇ妄想のひとつも今では許せた。 脳内のエックス線センサーが前方、曲がり角の向こうで何かが動いている事を知らせる。 初めは中々慣れなかった が、今となっては便利で仕方ない。 そして予想通り前方から俺もどきが現れる。 しかし今までとは少し違う。 金色の眼の可視する周囲の熱は通常よりも低く、強化された聴覚から通常よりも軽い事が知覚出来た。 それはつまりプラスじゃない事を意味する。 俺よりも下、四班、五班と言ったところか。 下と言っても老化が止まってい る俺に比べてそうは違わねぇが。 白く反射するプレートにはNO44。 ぞろ目か。 13なんていう中途半端な数字を与えられた俺にとってはなんとも気に なる数字だ。 「羨ましいな」 俺は思うまま言葉を吐き出す。 そいつは俺の言葉を無視するでもなく、一瞥をくれてそのまま横を通り過ぎようとする。 つまらん奴だ。 「待てよ」 44の前に腕を伸ばし、邪魔をする。 だが、その腕を避けて更に無視を続けるそいつは正に俺の殺したい人間だ。 気に入らねぇ、下らねぇ、つまらねぇ。 「おい」 腕を伸ばせばすぐに届いた。 俺の手が知覚するそいつの腕はあまりに弱い、人間の物だ。 つくづく思う。 弱い奴に生きる価値は無い。 「放せ」 何? こいつが言ったのか? 弱者が吼えたのか? もどきが、俺と同じ声でか? そしてそいつが黒い本物の眼で俺を睨みつけている事に気付き、人口脳髄が思考を止める。 右手の中で何かが砕けるのを知覚する。 そして摂氏42度前後の血液、痙攣する筋肉。 だがセンサーがその無駄な 情報を送り込むのを中断させ、そのまま投げ飛ばす。 飛び散った血で白い壁が赤く染まるのが思いがけず面白い。 普通の人間ならショックだの、苦痛だので意識を失うんだろう。 だがこいつも一応まともじゃない側だ。 面を顰めてや がるが意識はしっかりとしていそうだ。 そう簡単には殺さん。 生身なら生身なりの扱い方がある。 強化されていない眼球を抉り出し、筋肉を引きずり出し、心臓を取り出して口に詰め込む。 そう思考したところで機械音を知覚する。 下、上。 視覚には温度の上昇、大気のうねりが"見える"。 施設防衛用のレーザーか何かだ。 騒ぎをかぎつけて強硬手段という分けか。 流石にはしゃぎ過ぎたな。 俺はそう後悔しながら半歩後退する。 その瞬間を見計らったように熱が目の前を通過する。 レーザーというよりも極めて単純なカロリービームか。 床から、 いや天井から何条も何重に渡り照射されているのが大気熱の動きで分かる。 もちろんあちこちで火花が上がっている 以外に可視は出来ないが身動きがとれない事も十分に理解出来た。 44は運良く熱に切り裂かれずに済んだようだがやはり無事ではなかった。 ビームが掠めただけなんだろうが床に突 っ伏し、微動だにしない。 白い服からは炎が上がり、死んでいる事は容易に想像がついた。 まったく、これだから生身は嫌だ。 すぐにくたばる。 ビームの照射は止まない。 流石にこれだけ長時間照射していると気温の上昇も尋常じゃない。 感覚センサーに連動 する人工脳髄は常人ならばこの場にいるだけで全身を火傷するほどの温度を叩き出している。 もちろん全身の生命維 持ナノマシンは細胞組織が傷つく側から再生させ、そもそも遺伝子レベルで強化されている身体はこんなもので音を上 げない。 遠方でスピーカーが振動するのを知覚する。 音声が接続されたんだろう。 『13』 案の定可愛げの無い野太い声が俺の番号を呼ぶ。 『お前を拘束する。 そのまま動くな』 そして接続が中断された。 動こうにもこれじゃ動けねぇが。 まあ流石に今回の事はしょうがないかも知れん。 サーカスのライオンもピエロを食い殺せばその末路は悲惨極まりな い。 溜息を吐き、直立不動のまま待つ事にした。 考え方を変えれば殺されなかっただけ幸運だ。 それだけ俺が重宝されているのか、死よりも酷い仕打ちが待っている のか、考ええるだけ無駄か。 なるようにしかならない。 少なくとも自由になれるまでは。 再び溜息を吐き、高熱の大気を人工肺に吸いながらふと思う。 サーカスのライオン、ピエロ。 俺のこういった知識はいつ、どこで得たものなのだろう。 「ああ、そうそう。 とりあえずお前とサライだけでも来てくれよ。 今ACが出るから戻ってくる頃にさ」 バーメンタイドは受話器を手に捲くし立てる。 電話線の向こうでは少しばかり機嫌の悪そうな若い男の声が応えてい る。 『あのですね? 親方。 サライさんは分かんないですけど僕は勉強中でしてね? 今年は大学受かりたいな〜っていう 切なる願いがありましてね?』 「なあ、ベンよ」 ベンの言葉には耳も貸さず、彼は続ける。 「車傷ついてたんだよ。 俺の知らない間に。 ケツの方」 全く関係の無い話だった。 傍目にはそう感じられる。 しかし、少なくともベンにとってはそうではないらしく、"切なる願い "の続きを言い出せなくなった。 『……へぇ〜、世の中不思議な事もあるもんですね〜』 代わりに白々しくもそう言うが、明らかな動揺が聞き取れた。 電話線の向こうできっと顔を引きつらせているに違い無 い。 「ジーノは既に自供してるぞ」 『……あいつ。 いや、僕はあいつに頼まれてですよ。 ホント。 僕もね、止めたんですよ〜? でもほら、あいつロジャーの 奴と何かあったから』 だがバーメンタイドの一言で彼は簡単に観念した。 猿ぐつわを外された如くぺらぺらと言い訳をする。 「嘘だ」 それを止めるように彼はただ一言、そう言う。 『はぁ?』 ベンはそれに間抜けな声を出すしか無い。 それ以外何も出来ないが、嫌な予感だけはしっかりとした形で彼を縛り付 けるのだった。 「ジーノは何も言ってねぇよ」 ただ沈黙が流れ、しばらく後、更にもう一言。 「早く来い」 『はい』 ようやく聞く事の出来たその素直な言葉を最後にバーメンタイドは端末のリセットボタンをひと押しし、回線を切断する と予め登録しておいた短縮ナンバーを入力する。 受話器の向こうで呼び出し音が一回、二回、その途中彼の視界に見知った背中が見えた。 水色の光沢を放つ合成繊維のボディーバッグを背負い、靴の踵を合わせるように何度も爪先で合成金属の壁を蹴り つけている。 傍目には陰湿な八つ当たりのようにも見えるが、そうではないと思いたい。 『おーい。 どうかしましたか〜?』 その光景を見ているといつの間にか呼び出し音は中断されており、受話器の向こう側から女声が彼を読んでいた。 こ こで雇っている整備士の一人である、サライの声だ。 「ん? ああ」 一瞬何の用事だったが忘れてしまったがすぐに思い出す。 しかしそれほど急ぐ事でもなかった。 「掛け直す」 『なんだそりゃ』 不満そうな声を無視してバーメンタイドは受話器を電話端末の上に載せるとやや駆け足でその背中に向かう。 広いガ レージにあっては端から端までがちょっとしたマラソンだ。 そうでなくとも数十メートル単位で離れている。 色々な意味で 距離を感じてしまうのもしょうがなかった。 「ジーノ」 彼はその背中に辿り着く前に声をかけた。 こちらの方が早い。 声をかけられジーノは律儀に振り向いた。 しかし露骨に嫌そうな表情を作り、両手を腰に当ててその場でバーメンタイ ドを待ち構えた。 「何だぁ? その面ぁ」 そんな顔をされたらいくら姪とは言え正直いい気ではいられない。 最近ぶり返してきた夏の暑さもあり少しばかり不機 嫌にもなる。 「どうせ、なんだ、またコヨミのとこか。 いい加減迷惑だろ。 それよりもこっちを手伝え、じゃなかったら勉強しろ、でし ょ?」 「まあそうだな。 保護者としては特に勉強しろ、を推したい」 皮肉を込めたジーノの言葉に叔父の彼もまた皮肉で返す。 ただ彼の場合あまりにも露骨であったが。 「で、どこ行く気だ?」 「コヨミんとこ」 「やっぱな」 「悪い?」 「勉強しろ」 「教えてもらうのよ」 「大体あっちまでの脚無ぇだろ?」 「歩く」 「若いねぇ」 「誉め言葉?」 「違うに決まってんだろ」 「どうしろっての?」 「手伝え」 「ヤダ」 「あのな?」 バーメンタイドは溜息を吐く。 これでは堂々参りだ。 ただ、あの男がいなくなった事の負い目はあまり無いようで正直な ところ少しばかり安心する。 それにしても昔は良くこんな口論をしたものだった。 もう何年前になるか。 お互い我の強い性格が災いして下らない事 で言い争った。 その度母親の食料制裁を受け無理矢理仲直り。 今となっては遠い昔の出来事だ。 「やっぱ姉貴の子供だよ、お前」 ついつい笑みを溢しながらバーメンタイドはそう言うのだった。 案の定ジーノは彼が何を言いたいのか分かりかねた。 また何かの皮肉か、などとも思ったがバーメンタイドはポケット のチェーンにつけられていた幾つもの鍵の中から一つだけを取り外すとそれをジーノに差し出した。 「え、何?」 それがどういう意味か分からず、ジーノはその鍵を受け取る事も出来なかった。 「スクーターの鍵だ。 使え」 これはこうなってしまえば何を言っても無駄だろうと言う彼なりの理解の示し方だった。 しかしそれも十分とは言えな い。 「あたし免許無いよ」 当然のようにそう言い返すがバーメンタイドは涼しい顔だ。 「なーに。 スクーターってのはバイクとは違う。 自転車乗れれば誰だって乗れんだよ」 確かにクラッチが無く、車高の低いスクーターとバイクとでは扱い方は大きく違う。 パワーと重量の関係でそれほどス ピードも出ない。 とは言えやはり免許が無ければ運転していいものではない。 「あたし自転車乗れないよ」 しかしそれ以前の問題である事を彼は思い知る。 初耳であるのと同時にそう言えばジーノが自転車に乗っているのを 見た事が無いのを思い出した。 「あ〜、そうか。 歩いて行け、だったら」 もうどうでも良いと彼は笑うとジーノの肩を叩いて再びサライに連絡をとるため電話端末に向かう。 「あのさ」 「あん?」 その彼の背中にジーノは声をかけた。 その声は先程口論していた時とは打って変わった控えめな声で、バーメンタイ ドは何事だと振り返る。 「本当に行っていいの?」 「はあ?」 ジーノのその言葉にバーメンタイドは思わず吹き出した。 改まって言ってみればいきなり何だ、と。 しかし、それを見るジーノにしてみれば馬鹿にされているようで良い気はしない。 「なに?」 「いいや」 まだ口を抑えながら横隔膜の痙攣と格闘している彼はそう言うのがやっとだ。 鍛えられた腹筋も内側からの攻撃には 全く無力で、痛くて仕方が無い。 「なんかムカツク」 当然のように出る彼女の言葉に手をひらひらさせながら、 「分かった分かった」 何とか笑いを堪えながら彼は言葉を繋げる。 「行けよ。 別に悪い事するわけじゃねぇし」 そしてそう言うと限界に達したのか、今度はガレージ中に響くような大声で笑いながら奥に消えていった。 その様子を呆れながら見送り、ジーノも踵を返す。 無駄に体力を使ったようで変に疲れたが、悪くなかった。 彼女にと って父親はやはり一人だが、父親代わりとなればやはり叔父のダイン・バーメンタイドでしか有り得なかった。 そして今 更ながら彼の心遣いに気付き、振り返ると既に小さくなっている彼の背中に心の中で小さく、ありがとう、と言うのだ。 その途端に誰かにぶつかった。 背負ったボディバックの中にある参考書の硬い感覚が、ぶつかった人物の力で押さ れているのが分かる。 「あ、ごめんなさいっ」 ジーノは反射的に出た言葉と共に慌てて振り返る。 振り返った先には少年が一人、立っていた。 衝突を避けた左手がかざされ、巨大なシャッターから射す夏の陽射しに 少年の白髪が鈍い光を放っている。 背丈はジーノよりも幾分か低く、歳も大きく見積もって十二、三程度に見えた。 「えっと」 その少年は黙ったまま、睨んでいるでもなく表情の宿らない瞳でジーノを見つめていた。 意思のようなものは読み取 れず、中途半端に長い前髪から覗くどこか人間離れした金色の目が金属的な光沢を見せた。 その顔を見てジーノは不思議な、しかしはっきりとした感覚を覚えた。 見覚え、だ。 しかし彼女の友人や知り合いのこの歳の少年はいない。 いたとして覚えてはいないのだ。 少年はその視線を彼女から反らし、虚ろな顔のままジーノの横を通り過ぎようとした。 「ねぇ」 その少年にジーノは声をかけた。 知らない人間に話し掛けるのは苦手だが相手は自分よりも年下であるし、そんな子 供がこんな所で何をしに来たのかも気になる。 だが、少年はその声がまるで聞こえていないように無視し、その歩みを止めない。 「ねぇってば」 先程よりも大きな声で再び声をかける。 だが、やはり彼に反応は見られない。 どこ吹く風と言った様子だ。 「ねぇ」 ジーノは少年に立ちはだかった。 体格で勝っているため気持ち的にもそれは簡単だった。 進路を断たれ少年は立ち止まり、しかし変わらぬ無表情を見せる。 一見不機嫌そうには見えるが、そうではないのか も知れない。 「何だ?」 彼は用事を尋ねた。 その声は見た目以上に低く、ただ空気が吐き出されているだけのような声だった。 言わば人間 味のようなものが無く、他者を拒絶しているようにすら感じられる。 「え、えと」 その声で改めて尋ねられるとすぐには答えられず口篭もってしまったが、しかし調子を取り戻す。 「何でこんな所にいるの? ここは君の来るような所じゃないよ?」 ジーノは相手を見た目相応の子供として優しく声をかけた。 あの男ならば相手が彼女ほどの歳でもこんなものだろう が、ジーノにとってはそうではなかった。 そんな彼女が鬱陶しいのだろうか、相変わらずの無表情がその内心を晒すのを拒んでいたが、少年は行動で示し た。 ジーンズのポケットから取り出した黒いカードを彼女に見せ、再び感情がこもらない低い声。 「R999KkyT0qナイツ。 ACの用意は済んでいるか?」 少年がまるで当然のように発した言葉にジーノの開いた口は塞がらなかった。 そう、彼の発しているのは他ならぬレ イヴンの言葉だ。 レイヴンとして以外には発する事の無い言葉。 返事を待つ前に奥にハンガーから開放された純白のACを確認するとそちらへ向かい歩き始めた。 それは主の搭乗 を待つように幾重にも重なったその胸部装甲板を持ち上げ、そこからはコックピットフレームが競り上がっている。 ACは暗黙の了解としてレイヴン以外の人間が搭乗し、操縦する事はタブーとされている。 そのためリグへの運搬もレ イヴン自身が行わなければならない。 一部のガレージではこのAC運搬のためにレイヴンとして登録したメカニックもい ると言うのだから、レイヴン以外の人間にとって、特にガレージの人間にとってはこれ以上面倒な事は無いのだ。 少年の背中は次第に小さくなっていく。 既にそれを追う気力も無く、ジーノはシャッターを潜る。 すると低い音に気付 き、そちらへ振り返ると周囲の建物よりも大きな巨大コンテナを持つキャリアーリグがディーンドライブと共に大量の大 気を排出しながらこちらへ向かっているのが、まるで何かに押し潰されそうな圧迫感と共に目についたのだった。 全身を強化合成繊維のベルトで巻きつけられ、さすがに身動きがとれず俺はコンテナ詰めにされどこかへ運搬されて いるようだった。 頭部には鉛のナノ結合繊維で出来たマスクがはめられ、何も見えない、何も知覚出来ない。 ただ全身の感覚は働いている。 そこから現在の体感速度、走行状況、そして大体の向かっている場所は分かる。 がこんがこんとマスクを貫通して聞こえる振動音。 ホバー推進ではなく、車両だ。 振動そのものは少ないからキャタピ ラか。 まあ、このあたりはさすがに分からん。 いつまでこんな事をしていればいいのか、俺は視床下部あたりで今にも暴れだしそうな欲求をやっとの事で押さえつ けるとひたすら人工脳髄で知る事が出来る時間の経過を待つ。 このまま殺されるような事が無ければ後二時間足らずでお楽しみの時間だ。 その事を考えれば何とか我慢出来る。 俺の人間じゃない部分が何の違和感も無く"俺"として働くその瞬間が最高だ。 そしてそれが敵を叩き潰す時、これも また最高だ。 戦っていられれば良い。 何も考える必要が無い。 そのための力だ。 しかし暇だ。 こうしてその時を待ち侘びるのも良いがそれまでの間に出来る事と言えばただひたすらの思考しか無 い。 この宇宙の成り立ち。 物質生成の過程。 万里の生まれた瞬間。 重力の正体。 下らない。 どんな理屈を並べようとする事は変わらねぇ。 だがそんな結論を出しちまうのも新たな退屈を生むだけだ。 ふと、思考は過去を振り返った。 しかし"人間"だった頃の記憶は曖昧だ。 それでもただひたすら戦っていた記憶しかないが、学ぶと言う記憶は特に無 い。 そもそも小脳に刷り込まれた何かが戦い方や基本的な知識となってるらしい。 つまりなんで俺らがACに乗って戦う必 要があるかと言えばその刷り込まれた基本的な知識の本来の持ち主がACに乗ってたって事だ。 逆に言えばそいつの 知識を刷り込まれた以上ACに乗る以外に有効な使い方は無いってわけだ。 まあそう言うわけでACを使った試験が連日行なわれる。 まあ試験とは名ばかりの殺し合いだが、俺はそれを生き残 った。 今生きてるのはもちろんその中で生き残った奴でしかないんだが、死んだやつは同じ条件で生産されたやつで補 充されると言うから解釈に困る。 殺された奴はその補充された奴と個体として同じなのか、だ。 まあ俺以外の奴は存在する価値も無いゴミ屑だ。 同じでもそうでなくても同じか。 思考を閉じる。 ただ時間の経過を待つ事にした。 人工脳髄に時間経過のタイマーを設定し、必要の無い睡眠へ、移行する。 男は見覚えの無い場所で目を覚ました。 三十台半ばで、あるのか無いのかはっきりしないほど短い黒髪。 それと同じ程度の無精髭が鼻の下から顎先、もみ あげまで伸びている。 彼はベッドで寝かされ、見上げる天井では正方形の照明がその明かりを灯さずに佇んでいる。 ここは白い壁に囲まれた個室の病室のようだ。 窓から射す日は高く、時刻は昼頃だろう。 右手首には冷たい感覚があり、それ以外の全身の感覚ははっきりしない。 だが、実感出来る事があった。 「ははっ、あれで生きてたのかよ」 突如現れたディソーダーの群れ。 地上も上空もその甲殻に埋め尽くされ、本来の目標であるヴィクセンは影も無い。 そして上空から放たれたビームの雨にフレンダーも音を上げ、強烈な衝撃、そこで記憶は途絶えている。 ベッドの右側には一瞬人のようにも思えたが五リットルは有りそうな大きな供給筒を携えたアルミ柱が彼を見下ろして いた。 点滴されているのか。 彼は状態を起こす。 そして供給筒に表記されている内容物を確認してみるが、彼に理解できるわけが無かった。 まあ栄養剤と睡眠剤と言ったところだろう。 いや、全身の感覚が鈍いため麻酔や痛み止めの類が入っているのかも 知れない。 何にしてもやはり無事ではなかったのか。 彼は深く息を吐いて再び横になる。 そしてその時初めて違和感に気がついた。 左手で探ってみるとやはり、そうだ。 いつもしているネックレスが、無い。 彼の頭に血が上り、弾けるように上体を起こすと周囲を見渡す。 しかし苛々するほどの白く殺風景な光景があるばか りで、彼が探しているものは見つからなかった。 腰を捻った拍子に脇腹に酷い痛みが走る。 視界が一瞬真っ白になり、しかし今度は意識を失うわけにはいかなかっ た。 痛みが引くのを待ち、ゆっくりとベッドの身体を横たえた。 くそっ 声には出せないが悪態を吐く。 こんな惨めな思いをするのは久し振りだ。 痛みのする脇腹に指先を伸ばすと湿った脱脂綿の感触があった。 どうやら軽い手術を受けたようだ。 これではしばら く動けない。 彼が口の中で恨みの言葉をぼやいていると引き戸になっているドアから薄水色の医療衣を着たまだ17、8程度の若 い看護士がファイルを片手に入室してきた。 「あ」 と、間抜けな声を上げて彼を見つめる。 「何だよ」 彼もそんな看護士を見て鬱陶しそうに尋ねた。 自分は予定よりもずっと早く目覚めたのだろうか。 彼は看護士を横目にそう思う。 「先生呼んできます。 ちょっと、ちょっと待っててください」 「いや、待てよ」 もう既に病室から出ている看護士を彼は呼び止めた。 これまた驚いた表情の看護士はその顔のまま振り向く。 「俺の……指輪知らねーか。 ネックレスについた指輪……」 彼の言葉に看護士は首を傾げるだけだ。 元々医大研修の一環として手伝っている彼にそんな事が分かるはずが無 かった。 「いやあ、分かりません」 「あそ」 彼は横になりながら溜息を吐く。 「それカルテか? だったら俺の分見せてくれねーかな。 薬のおかげで自分でもよく分かんねーんだ」 「すいません。 そう簡単なものじゃないんで」 「あそ」 退室した看護士を見送る事も無く彼は不機嫌さを紛らわせるために眠りにつこうとするが、どうにも眠れそうにも無か った。 これで睡眠剤が入っていないのは確実だ。 それともカフェインでも入っているのだろうか。 まだ痛みの残る体をゆっくりと持ち上げ、今度はゆっくりと周囲を見渡した。 どの程度こうしていたのだろうか。 あまり長く眠っていた気はしないが、今は自分の感覚などあてにはならなかった。 診察台の上デジタル式のカレンダーを見つける。 銀色のプラスチック台に緑色のカウンターが踊っている。 2日寝てたのか。 とにかくウラシマタロウにならずに済んだと安心する。 だが1日4時間睡眠の生活を送っていた彼にしてみれ12日分 は寝た事になる。 しかし他の連中は無事だろうか。 スピアー、エリー、カランタン、トイ隊長。 航空部隊は絶望だ。 戦車大隊はあの数だ。 知り合いがいるのかどうかも分からない。 彼が物思いに耽っているとドアが引かれる音がした。 ドアから伸びていた影が少しずつ小さくなり、遂には小さくなる。 その影を縫って女性が一人入室する。 「何だ? お前も生きてたのか? センセ?」 彼はその言葉とは裏腹に安心したような声でその女性に声をかけた。 歳は30に差し掛かったあたりで、フレームの無い眼鏡の奥のその瞳は微笑んでいた。 白衣を着ており、短い癖のあ るブロンドの髪が彼女を知的に見せた。 「俺は一体どんな怪我をしたんだい」 「そうね」 横たわったまま尋ねる彼に彼女は答えた。 「全身打撲に肋骨四本、それと内蔵損傷、だったかしら」 意外なほどの重症に彼は自身の幸運を呪った。 これではしばらく動けない事は間違い無い。 「よく生きてた」 「私達だけじゃない。 意外なほど生き残ってるわ」 彼女はベッドの横から丸椅子を取り出すとそれに座る。 「私は無傷だったから、お手伝いよ」 「スピアーは?」 彼の問いに彼女は首を振る。 「……あいつは」 しばらく黙り込み、思い出したように彼は口を開く。 「あいつの妹が明後日結婚式なんだ。 毎日、あいつは言ってたよ。 スピーチがどーのこーの。 相手の男がどーのこーの ってな。 今頃あっちに行ってる頃のはずだった」 そして彼は小さく笑う。 「そう、そうだったの」 彼女はあまり多くは語らず、彼の心境を察した。 「他は?」 「カランタンはもう部隊に戻ってホーイックロックスよ。 トイ隊長は隣の部屋でまだ寝てるわ」 「へぇ。 本当に生き残ってる」 彼は感心してみせた。 確かに五人の中で四人が生き残れば上々だろう。 「リグ隊は全員戦死。 航空部隊も全員。 戦車大隊は半分半分てとこ」 「拠点の方は」 「ジオの侵攻があるかと思ったけどディソーダーが出たおかげで大っぴらには攻撃が無いわ。 散り散りの部隊ならホー イックロックスの砲だけで迎撃出来るから、心配は無いと思う」 「虎の子ね」 それはホーイックロックスの拠点に三基設置されている常識外れの固定砲台だ。 110mmの徹甲弾を秒間60発も 発射し、有効射程10kmを誇る。 性質上長時間の使用は出来ず、近距離となれば使用は出来ないが、MT中隊程度 ならば10秒足らずで殲滅してしまう。 しかし本格的な進行となれば炸裂兵器で無い分弾幕を張るしかないがそうすれ ば本来の機能は発揮出来ない。 あくまでプレッシャーとして存在しているのだ。 「ここは?」 彼は病室の窓に視線を移しながら尋ねた。 窓からは穏やかな青空が望むばかりで辺りの様子は窺えない。 「ガルの衛星都市。 その病院の一つよ」 「軍病院じゃねーのか」 女性は頷く。 「ホーイックロックスの険しい山麓を行くよりこちらの方が近かったんでしょうね」 「管轄は?」 「大丈夫。 エムロードだから」 「そりゃ安心だ」 彼はまだ痛む身体を持ち上げ深く息をついた。 「こうしてても流れ弾に当たる心配が無い」 やはり今の戦闘形態にあっては歩兵などは無力だ。 人型であるMTやACが直立歩行を許されるのは人型であるが 故の重装甲にある。 特に内骨格まで備えるACの耐久性は圧倒的だ。 ライフル弾の一撃で死んでしまう人間とは違い、 兵器である彼らは失血死も、ショック死もしない。 それに歩兵と言ってもパワードスーツのある現在では歩兵が人間とし て戦うのは余程のわけがあってでしかない。 「ヴィクセン騒ぎはどうなってる。 少しくらいは打開案が見つかったのか?」 「それも大丈夫みたい」 その質問を待っていたかのように彼女は表情を明るくして答える。 彼にとっても朗報が期待出来た。 「昨日に入ってからその類の話は無いわ。 もちろんメディアは今でもその話題で持ち切りだけど、具体的な被害は報告 されてないわ」 「朗報だな」 確かに朗報ではあった。 だが、彼の中にはまだ釈然としないものが残っている。 「詳しい話は?」 「この事件について公式な見解はまだ無いみたい。 ヴィクセンの所在にディソーダーとの関係、被害の大きさは分かり きっていないし、今度の復旧の目処も立ってないみたい。 また地球政府に非難が集中するでしょうね」 その原因がはっきりしてないのなら尚更、彼は苛立ちを募らせるしか無い。 今までは戦いで不幸がある度にその怒り をぶつける具体的な対象があった。 レイヴン、各企業、個人。 しかし今回は違う。 イナゴの大群のように現れたそれが 過ぎ去った時、何に対して怒りをぶつければ良い。 イナゴか? それともイナゴの大群を作り出した"何か"か? 「ウラシマタロウになった気分だ」 「ウラシマ?」 聞き慣れない言葉に彼女は思わずその言葉を反復した。 彼は心の整理をつけるように再び深く息を吐くと答えた。 「ウラシマタロウっていう漁師がいた。 そいつがある日漁に出かけると一匹の亀が裏返しになって浜に打ち上げられて た。 こいつは可哀想だとウラシマタロウはそいつを助けた。 すると亀はお礼にって海の宮殿に招待した」 「何よそれは」 笑いながらその話はおかしいと言う彼女を無視して彼は続けた。 「そこはパラダイスだった。 ウラシマタロウは三日三晩遊び、そして地上に戻った。 だけどいつの間にかそこは見慣れな い土地になってた。 なんとそいつが海で遊んでいた間に三百年の月日が流れてた、そういう話」 「つまりどういう事?」 最後まで聞いても彼が何を言いたいのか分からなかった。 直線的に物事を言う彼にしては珍しい事だ。 「少しばかり寝てただけだと思ってたのにオメーに聞いてばっか。 情けねーったらねーよ」 「愚痴らない」 そんな事かと彼女は笑う。 彼にとっては二日は三百年と同じだと言うのだろうか。 「ウラシマタロウはその後どうしたの?」 「知らねー」 どうでも良いと彼は投げやりに答えた。 「どうせろくなもんじゃねーよ」 それにこの話がいつのものか分からないが、今では三百年もあれば世界が変わる。 もしその三百年後というのが今 ならばウラシマタロウはさぞ驚いただろう。 今から三百年後となればこの世界があるのかどうかも疑わしい。 もうしばらくこんな所にいなければならないという憂鬱と己の無力感で彼は脱力していた。 寝ていたというのにもう疲れ てしまっている。 だがこういう時に限って眠気は引いた潮のようになかなか戻らないものなのだ。 視線を泳がせていると彼女の薬指にはめられている指輪に気がついた。 純金製で表面には文字が刻まれ、そこにプ ラチナが流し込まれ白く煌く文字を形成している。 それが何と書かれているかは遠目には分からないが、彼には見なく とも分かる。 「まだそんなもんしてんのか」 アルバート・ギュスタフ。 彼の名だ。 「もう終わったんだぜ。 俺らは」 呆れたように彼、アルバートは言う。 どういうわけか、その口調は冷たかった。 「預かってる物があるの」 しかし彼女はそう言うと、白衣から何かを取り出した。 軽い金属音と共に取り出されたのは銀色のチェーンと、それに つけられた純金の指輪。 これにも文字が刻まれ、白金が流し込まれていた。 エリザベス・ギュスタフ。 彼女の名だ。 しかし、姓は違う。 この指輪はその時のためのものだったのだ。 それを見てアルバートは口の中で、なるほど、とぼやいた。 まったく、面目丸潰れだ。 「だったら返せよ」 エリザベスは彼に促されるままそのネックレス、そして指輪を渡した。 彼の掌でチェーンがチャリチャリと金属音を立て た。 アルバートは両掌でそれを遊ばせた。 指輪は灯りに照らされ煌く。 かつて王の金属と呼ばれたそれは太陽光のように 生きた光を発する。 今では土と海水から生成され、兵器や電子機器の電力回路に使用されるのが大部分だ。 「アルこそ、まだ大事にしてるのね」 彼女はまるで彼を茶化すように言うのだ。 「当り前だろ」 しかしアルバートは極真剣に言い返した。 「一個二百万ドルだぜ」 どちらも世界に二つと無いオーダーメイド品だ。 その程度して当然だった。 「ん?」 彼はそう言いながら薬指にはめようとした。 しかし途中で止めて指をじっと眺めた。 「少し痩せたか?」 「そうね、確かにそのくらいしたかしら」 彼の言葉を遮るようにエリザベスは静かな顔で、しかし強い調子で言った。 「でもそういうものじゃないでしょ」 「じゃあ、どういうもんだってんだよ」 うんざり、と言った様子だった。 まともに取り合おうという気は無いようで、その視線は窓の向こうに向けられた。 無駄 に爽やかな青空を白い雲が漂う。 あの雲になれたらどれほど快適な事か。 アルバートはそんな幼稚な空想をする。 「もう何年も前の事だし、蒸し返したくないけど」 「だったら黙ってろよ、ウゼぇな」 あまりに投げ遣りな態度にエリザベスはさすがに感情的になった。 整った顔に皺を作り、声を荒げる。 「あなたはいつもそうなのよ。 大事な事は何も言わないで。 いつまでレイヴンを気取ってるつもり!?」 アルバートは答えない。 顔色一つ変えず、窓から望む空を見ていた。 「私のためにレイヴンを辞めたって……、あれは嘘だったの……?」 そんな彼に絶望したように、彼女は呟くように言う。 別れを切り出したのは彼だった。 分けも語ろうとはせず、一方的なものであった。 彼女に思い当たる事は無く、結婚の 約束をした後だけだっただけにそのショックは今でも尾を引いている。 その後は友人として付き合っていたが、釈然とし ないのは今でも変わらない。 「嘘じゃねーよ」 その呟きに、目線をそのままにアルバートは呟くように返す。 「今でも惚れてるぜ」 「だったら……」 「今回は運が良かった」 彼女の言葉を遮るように彼は続ける。 「ディソーダーは動かない相手攻撃しねーけどよ、ACは違う。 あのままヴィクセンとやってたらよ、下手したら死んでた んだぜ、オメー」 呆然とした様子の彼女に、語りかけるようにアルバートは言う。 顔を正面に向けようとはせず、横目で彼女を見てい た。 「オメーは後ろで軍医やってりゃ良かったんだよ。 なんだって攻軍に志願しやがったんだ」 彼はエリザベスを責めているようだった。 思い詰めたように見つめるのは彼の握り締める両手、その先にある虚空 だ。 「私は、あなたの力になりたかっただけ。 あなたの近くにいたかっただけよ……」 搾り出すようなその言葉も、彼には届いていないようだった。 いつも危険を冒すアルバートを待つ事しか出来ない不安を、自らも同じ危険にさらす事という方法でしか解消する事 が出来なかった。 あまりに幼稚で向こう見ずな考えには我ながら呆れ果てる。 だが、彼が何の事について自分を責め ているのかは分からなかった。 「三人目にしたくねーんだよ」 それに対する彼の返事は誰に向けて放たれたものなのか、それは彼すら知らないのかも知れない。 虚ろだが、何か を見据えているその瞳は何を見つめているのか。 「何言ってるの?」 エリザベスにはそう言う他無かった。 彼と言う人間は直情的だが愚かではない。 むしろ知的でありながらそれを否定し ている節がある。 そんな彼が感情でも、理由でもなく言葉を発しているのだ。 誰にでも裏の顔はあるというが、これがア ルバートのその顔なのだろうか。 「俺ぁ、今まで三人の女に惚れた」 しばらくの沈黙の後、彼は口を開いた。 まるで独り言のような小さい声で。 「最初の一人は俺と同じレイヴンだった。 職場恋愛とは違うが、まあレイヴン同士傷を舐め合った仲だった。 ……死ん だ。 いきなりな。 俺の知らないところで」 彼の瞳は過去を見ていた。 今などもはや視界には入ってはいまい。 暗く、見つめるものを見失った瞳は既に通り過ぎ た光を捉えているのか。 「レイヴンの宿命ってやつか。 まあ予想はしてた。 どっちが先に死ぬかはさすがに分からなかったがよ」 そしてそれがもう十四年前になる、と付け加えた。 「俺はフライトナーズの一人になった。 まあレイヴンには違いないが真っ当な人間だ。 火星にはまだ行ってなかった。 あ くまで地球政府お抱えの特殊部隊だ。 LCCなんてもんは最初から最後まで役立たずだったからな。 だが、俺自身が俺 が真っ当な人間になり切れなかった時、そいつは声をかけてくれた。 今でもはっきり覚えてる。 ACに乗って戦えねー毎 日に耐え切れなくなって倒れは所構わずチンピラに喧嘩を吹っ掛けてた。 毎日ボロボロになるまでやりあって、そしたら 帰って寝る。 そんな毎日だ。 おまけに金に困らなかったからよ、他にする事が無ー。 下手すりゃ死ぬまでこのままだな。 そう人生諦めてた時だった。 通りかかったそいつなんて言ったと思う?」 突然のように話を振られ、エリザベスは何も答えられなかった。 しかし彼も答えなど求めてはいなかった。 やはり過去 を見つめる瞳には彼女の姿は無く、問い掛けたのは自分自身だったのだろう。 再び口を開いた。 「怪我してますよ、だとよ。 見れば分かんだろうが。 だが、何ヶ月かぶりに見た手前ぇの面は酷いもんだったよ。 そこか らはよく覚えてねー。 その場で腐抜けちまった俺をそいつは看病した。 そこがどこだったかはいまいちはっきりしねー。 俺ん家だった気もするが、違うような気もする。 とにかく何日も世話になってよ、いつの前にか俺はそいつに惚れてた。 名前も知らねー女だが、確実にな。 俺もまともになってきて、そろそろそいつと話の一つでもって時だった」 彼は空を仰ぎ見る。 過去しか見えぬ今の瞳には何が映っているのか。 「死んだよ。 交通事故だったらしい。 詳しくは知らねーが、そいつとはそれで終わりだ」 エリザベスは絶句する。 何と言う事だろう。 彼がこんなにも絶望していたとは。 今の彼の性格もこんな過去があって歪んでしまったものに違い 無い。 ならば自分の存在は彼にとってどういうものだったのだろうか。 「まあ、狂っちまいそうだったが、運が良かった。 そのあたりから色々騒がしくなってな。 そのうちあのレオス・クラインの 乱。 忙しいわ死にそうだわで何も考えずに済んだ」 彼は溜息を吐いた。 しかし次には彼女をしっかりと見据え、微笑んで見せる。 その瞳は間違い無く彼女を見ていた。 「で、グレートブリッジでお前に助けられたってわけだ」 彼女の記憶が彼と共有出来ているのはそこからだった。 戦後調査のためにかつての軍事拠点であるザングチシティ を調査中、全てのACの中で彼だけが唯一生き残っていた。 「お前で三人目だ。 今度は死んで欲しくねー」 それが彼の本音だった。 もうこれ以上狂うような思いはしたくない。 だからそのためにも他人である必要があったの だ。 「分かるか?」 だから彼は彼女との関係を断ち切った。 しかし身近にいる以上やはり他人であり切る事が出来なかった。 「分からないわ」 彼女は素直に言う。 分からないのだ。 「でも、私にエムロードを出ろって言うならそうする。 私もあなたと一緒にいたいのは同じだから」 しかし自分の気持ちを伝える事は出来た。 彼が何を考えているかなど関係無い。 自分はただ言いたい事を言う。 今 の彼のように。 「そうかい……」 アルバートはその言葉を聞くと力が抜けたようにベッドに倒れこんだ。 ばふんと綿から空気が抜ける音が耳に心地良 い。 そうして二人は沈黙し、窓の向こうで吹く風の音を聞いていた。 こうしていられる時間がとてつもなく懐かしい。 しばらくしてあの若い看護士が同様に若い医者を連れて戻ってきた。 歳は二十台半ば。 四角いフレームの眼鏡が辛 うじて彼に威厳を与えていた。 「遅かったじゃんよ」 もう随分経っているぞ、とアルバートは二人に尋ねた。 とは言えどれほど経っているのか自体は時計で計っていたわ けではないので分からないが。 「いえ」 医者の男が照れたような笑顔を見せて答えた。 まだどこか学生らしさが残る笑顔だ。 「入り辛かったんで」 どうやら聞いていたのだろう。 エリザベスは頬を赤らめて席を立った。 とても他人に聞かれて平気でいられる会話では ない。 「なあエリー」 そのまま病室を出ようとする彼女をアルバートは呼び止めた。 彼女は振り返る事が出来なかったが、その場に立ち止 まる。 「お互い無職になって結婚ってのはアリか?」 そして唐突なその言葉に病室全体が凍りついたように沈黙に包まれてしまった。 医者と看護士は下手な事は言えず、 エリザベスはもはや何を言って良いのか分からない。 その中ただ一人、アルバートはそれを楽しんでいるようだった。 そしてネックレスから金色の指輪を外すとそれを薬指 はめてみた。 痩せたと思った指にそれはぴったりとはまり、暖かな橙色の光が辺りを照らした。 自分と言う存在に疑問を感じたのはそれほど昔じゃなかった。 物事が需要と供給で成り立ってるんだったら俺という 存在をどこかで必要としてる何かがあるんだろう。 だがその目的は何だ? どうでも良い。 俺はようやく自由になった四肢を伸ばしその思考を遮断した。 縮んだ筋繊維が無理矢理伸ばされあちこちで悲鳴を 上げているが、医療ナノマシン、つまり生体分子結合メカをそちらを向かわせてとりあえず一息吐く。 窒素八十%。 酸素十七%。 アルゴン一%。 残りは二酸化炭素残り諸々。 こんなもんだろ。 上々だ。 周囲を見渡せば今まで見る事が出来なかった地上の風景が空間を満たしている。 特別な感情は無いが、こんなもん だろ。 上々だ。 死ぬ前に一度は見たいと思っていた光景だ。 こう簡単に見れるとは思わなかった。 足元には乾いた土があちこちで亀裂を作っている。 そこから這い出ている雑草が風に揺れて不規則に動いた。 俺も どきよりも何倍も人間らしい。 ふと、風と言うものを意識する。 表皮のセンサーが風の強さと飛ばされている粒子の存在を知らせる。 風が地下でも吹いている事は知ってる。 施設が作ってるだの、空気の供給の際に起きるだの、そういうもんだ。 で、天 然の風はと言えば自転と公転、太陽からのエネルギー照射で起きてるもんだ。 人工と天然でどれほどの違いがあるの か、疑問と言えば疑問だ。 荒野ってやつか? 植物と言えば木だろうが、そいつは見当たらねぇ。 こげ茶色の土がひたすら地平を埋め尽くし、 その向こうには空を侵食する山麓が太陽光を遮ってる。 その反対側には白い月が幽霊じみた気配を漂わせ、紺色の 夜を引き連れながら太陽を地平の向こうへ追いやろうとしてる。 天井は無い。 あるのは空間だけだ。 拡張された俺の感覚に見合う素晴らしい開放空間。 これ以上の戦場はそう無い。 今も昔も戦いの舞台だった地球という惑星。 なるほど、実際目にしてみれば分かる。 自由に使える上下左右。 ACは 元々閉鎖空間で戦うためのもんだがそんな事はどうでも良い。 俺はこういう場所で戦ってみたかった。 だがそんな無垢な感動をぶち壊す無粋な屑鉄どもが俺を取り囲んでる。 全高は俺の倍近い。 重量はおよそ十倍か。 俗にパワードスーツと言われる強化戦闘服を着込んだ馬鹿が六人。 右腕に仕込んだパルスビームの砲を俺に向け て照準を離さねぇ。 対AC戦闘でも使われる物だ。 さすがに一瞬で昇華、そのまま地下よりももっと深い場所に逝っちま う。 ここは大人しく従うのが正解だ。 表面はクロムモリブデン、その下はアルミ繊維の強化服ってところか。 何で出来てるかまではさすがに視界で判断は 出来ねぇ。 少なくとも俺の腕力でどうにか出来る代物じゃない。 こいつは正確には着る、ではなく他の兵器同様乗る物だ。 中心に人間が乗ってそいつの動きが全高三mの人型機械 にそのまま伝達される。 推進する時はブースト、と一言。 攻撃にもファイヤ、の一言で事足りる。 腕力は軽戦車の装甲 なら簡単に貫き、推進時の最大速度は時速二百kmを超える。 広域空間での戦闘時は更にアタッチメントが装備され て追加推進装置、ミサイルランチャー、弾倉が追加される。 もちろんACよりも人に近いマニピュレーターには他にも 様々な武装を搭載出来る。 戦闘能力は高いが維持が大変だったり、装備出来る人間は体格がある程度決められてい たり、中々使いどころは難しいらしい。 一度使ってみたいものだが、今俺を睨んでるのがそいつだと思うとその気も萎え る。 対戦車拳銃の一丁でもあれば少しは反抗も出来るんだろうが、さすがに自殺行為だと自分に言い聞かせる。 そいつらの一人が何やら隣の奴と話している様子だ。 空気の振動が外に漏れないため何を言ってるかは分からん。 傍受する。 『で、こいつとあっちのやつを鉢合わせさせんだとよ』 案の定電波を拾えばそいつの言っている事がもう一つの耳に届いた。 情報受信という形でも結局空気の振動を脳が 分かりやすく解釈している音とでは大した違いは無い。 『ああ? どういう事だよそりゃ。 上の指示か?』 『みてぇだ。 多分見えの張り合いってところだろ?』 なるほど、随分と楽しい話をしてるじゃないか。 あちらの方がどういう面をしてるのかは興味がある。 そいつも俺と同じ ように手前と同じ面を見ながら戦い続けてきたんだ。 少しは骨のある奴だろう。 それともそいつも俺と同じ面なのか? だとしたら冗談を通り越して笑うしかない。 『で? どうすんのよ』 『このまま所定の場所に連れてくんだと』 『どこだい』 『おい』 話の途中に別の情報が割り込む。 この中の一人か。 『こいつに聞かれてるぞ』 『マジ?』 気付かれたようだ。 ラジオランプでも表示されてんのか? 『こいつは電波が聞けんだよ。 話は有線でしろ』 『あー、気味の悪ぃガキだねぇ』 そこで情報が途切れる。 そしてそいつは中指に当たるマニピュレーターの先からコードを引き伸ばすと隣の奴にその 先端を渡し、隣の奴はそれをマニピュレーターの掌に当たる部分に差し込んだ。 なるほど、有線会話ってわけだ。 しかし気味の悪ぃガキとは言ってくれる。 ガキ相手にそんなもんを着込んで取り囲む手前らよりは幾分かマシだと思え るが。 パワードスーツが作る壁の向こうに巨大な輸送車両が見える。 キャリアーリグだ。 表面に艶の無い緑色の塗装がなさ れ、まるでそれだけがはめ込まれたかのような不自然な巨体が景色に溶け込む事無く、隠密性を無視した糞喧しい機 械音を発してる。 そして同じような喧しい音がもう一方から。 センサー範囲外だが、おおよその位置は予想出来る。 振り返れば少しばかり遅れてきた同系のキャリアーリグの巨体が見えた。 まるで山が動いてるようにも見えるそいつ は、確実にこちらに向かっている。 こちらは艶の無い青緑色。 半分が舞い上がる土煙で見えないが、俺の目にはそれ が無視出来た。 それにあわせて俺を取り囲んでいた一人が右腕を持ち上げビームの砲身を向けながら左腕で俺を促す。 逆らうのは危険だ。 加えてその理由も無い。 俺は促されるまま歩き始める。 ようやく時が流れ始めた。 そんな気がし始めた。 コンマ何秒でカウントする人工脳髄とは関係無く、そう感じた。 ニコライはすでに手伝いとは言えなくなっていた患者の往診と治療を終えて、受付ロビーへ脚を向けた。 彼は地上の暑さにはどうしても慣れる事が出来ずにいた。 火星人と言われる彼は体質に加え地球に降りてからも地 下で暮らす日々を送っていた。 そんな彼に夏と言う季節に順応しろという事の方が酷なのかも知れない。 飲食店ならば食事時に来客は集中するのだろうが、病院ならばそういうわけにはいかない。 ここがカウヘレンの中心 的な病院というわけではないので、急患が引っ切り無しに送られてくると言う事は少なかった。 こういう点では彼は地下 にいた時よりも研究に集中出来たが、今彼の集中力を掻き乱すのはこの暑さそのものだった。 時間的な余裕か、精神 的な余裕か、どちらを取るかは今の彼には判断出来ない。 まあそれも良いだろう。 あまり根を詰めすぎると仕事もそれ以外も手がつかなくなる。 彼は医者という職業に押し潰された人間を何人も見てきた。 責任と能力が釣り合っていない者、死人に感情移入して しまう者、臓器に慣れる事が出来ない者。 特に二世の医者などはよく聞く話だが多くの場合使いものにならない。 そして 鬱病は彼の専門外だ。 坑鬱剤を渡す以外に治療は出来ない。 しようとも思わないが。 ガラス張りの天井から射す太陽光を避けるのはまるで吸血鬼にでもなった気分だが、血を吸う人間が日光を浴びて 灰になるという化学的根拠は全く無い。 堂々とすれば良いのだ。 「この病院にはクーラーは無いのですか?」 ニコライは受付で扇風機に当たりながら慣れない手付きでコンソールを叩いている女性にそう声を掛けた。 実際にあ る事は知っているのだが、それが動作しているのは見た事が無い。 「こんにちは」 そんな彼の挨拶に深い意味が込められていないという事を知ってか知らずかその女性は穏やかに挨拶をするだけだ った。 しかし彼女の笑顔を見る事が出来ればそれも気にはならない。 「ヒートポンプが故障してしばらく使えないみたいですよ」 「そうですか」 冷房"も"使えないのか。 ニコライは顔には出さずにウンザリした。 まだエレベーターの修理も終わっていないというの にまた新たな綻びが生まれたのだ。 そもそも修理作業が行なわれているのを見た事が無い。 修理業者が怠職務慢な のか、そもそも修理を要請していないのか。 医者という観点から見てもこの高温で治療を行なうというのは頂けない。 下 手をしたら傷口がすぐさま腐敗してしまう。 「私は地下で仕事をしますが何かありましたらすぐにお呼び出し下さい。 おそらく剖検室か資料謁見室にいると思うので 連絡はそちらへ。 放送はいりませんので」 まあそれは良いとニコライは彼女に用件を伝えた。 少しばかり変わった死体の研究を頼まれたとは言え、今人手の足りない状況では彼の手も絶対的に必要だった。 給 料も貰っているのだから尚更手を抜くわけにはいかない。 それに助ける事の出来る人間を余裕が無いという理由で見 殺しにする事は彼には到底出来なかった。 「はい、内線の指定番号は必要ですか?」 彼女は有能なようだ。 どんな事にでも気を使いその上美人ときている。 これでコンソールの操作が人並みなら完璧だ ろう。 「ああ、いえ。 私はここの正規の医者ではありませんし……」 「おーい!」 ニコライがその申し出を断ろうと話している途中に無粋な低い声が二人の間に割り込んだ。 小さい声に感じられるが それは遠くから発せられたからだろう事はすぐに予想が出来た。 声のする方向へ視線を移せば案の定死体安置所の管理人が手を振りながらこちらへ走っていた。 運動不足な不健 康且つ重い体を引きずりながら向かう姿はニコライよりもよほど地底人という言葉が御似合いと言えた。 「どうかしましたか?」 おそらく歳は自分よりも五つ以上も下であろうその男にニコライは実に紳士的に尋ねた。 普段ならば何の気兼ねもせ ずに話すところだが彼女の前ではそうもいかない。 「あ、あんただったよな。 さっき資料謁見使ってたのは」 その小太りの男は彼の前で止まると肩で息をしながらそう尋ねた。 赤いシャツには汗がへばり付き朱色のシミを作っ ている。 「もう何時間も前になりますが、どうかしました?」 そこでは研究資料、つまり人体と言う媒体を使ったナノマシンが安置されていた。 そのオーバーテクノロジーによって 作られていると思われるそれの性質を見極めるにはそれが最も有効、且つ効率的であったからだ。 電子顕微鏡で二十 四時間、その動きを監視し、その働きを見極める。

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