涼宮 ハルヒ の 消失 考察。 涼宮ハルヒの消失でキョンくんが刺された自分を助けるときに「すま...

『涼宮ハルヒの消失』のまとめ・考察・感想

涼宮 ハルヒ の 消失 考察

ハリウッドでも、ジブリアニメでもなかなかこんな演出観られないと思うよ。 別世界の長門は宇宙人ではなく、シャイな人間。 キョンに対してはある程度の好意を寄せており、勇気を出して部活に誘うも拒否されたと感じてしまう。 そんな長門の精神状態やキョンに対しての気持ちが台詞がなくとも、ビシビシ伝わってくるのです。 ここで終わると観客にフラストレーションが溜まってしまうんだけど、その後のキョンのセリフ 「なぜなら俺は、SOS団団員その1だからだ」 に救われるという構成ですね。 長門にとってはキョンが何言ってるか分からないんだけど、TVアニメ28話を超えた俺たちには伝わる。 同じような心理描写は劇中に何度かありまして、 「ハルヒを見つけて一歩踏み出せなくなるキョン」とか 「帰ろうとするキョンを全力の勇気で引き留める長門」などなど。 京アニ、そして武本監督らの演出力が最も光った長編映画といえるでしょう。 というわけで、以下感想。 というかただの語りになりますw 感想 ネタバレ ハルヒとの出会い 2006年版が放送されていた頃、私はまだ小学生でした。 さすがに名前くらいは知っていたんだけども、どんなストーリーかも知らないし興味もない。 ましてや京アニの存在など知る由もありません。 で、初めてハルヒを観たのは飛んで高校2年生。 ちょうど 「けいおん」が大ブームになって少し経ったくらいで、京アニの存在を認知し始めました。 そんなときに友人に勧められ、ハルヒを観たのです。 私はただの映画小僧でそのときも大量の映画を観ていましたが、レンタルしてきた映画を溜めてしまうほどにドハマりしましたw もうね、当初想像していたアニメとは全然違った。 「あぁ、そういうアニメなのか」と2話目くらいで知りましてね。 そのままぶっ続けで「消失」まで観切ってしまったわけ。 と、私とシリーズとの馴れ初めはこの辺にしましても、当時から「消失」のクオリティの高さに驚いてしまいまして。 ずーーーっと映画ばかり観ていた私に、ある種の新鮮さをくれたTVアニメ版。 そして再び映画の面白さと、日本のアニメ作品の繊細さを教えてくれた「消失」。 なんかシリーズを通して二度美味しかった気がしたんですよね。 ただ高校生で少し尖っていた私は 「TVアニメの最終回を映画にするとは何事か!」と考えていたりもして。 別にアニメでやればいいじゃんと。 映画以外で予習が必要な作品を認めたくない心がどこかにあって。 そんな考えも「消失」を観たことで一変。 これをアニメでやったらテンポが悪くてしょうがない。 映画だからこそ緊張感や喪失感を引き継いで観られるんだなと。 もちろん例外もあって、今でも 「これならTVドラマでやってくれないかな?」と思う作品はかなり多いんだけどw 一時代を築いたといっても過言ではない「ハルヒ」と京アニは、消失を作ることでより伝説的なものになったような気がします。 次から感想 キョンを裏切り続ける前半 いつも通りのSOS団の日常。 ハルヒがクリスマスパーティーを提案し、団員たちは再び振り回されることに。 そんな日常も束の間、世界が改変され ハルヒが消失した世界になってしまいます。 キョンは藁をもすがる思いで朝比奈さんに助けを求めるも怖がられ、鶴屋さんにも冷たくあしらわれる。 ハルヒの席には自分を殺そうとした朝倉が座っており、最後の砦・絶対防衛ラインである長門もいつもとは異なる様子……。 そう、前半部分はただひたすらにキョンの期待を裏切り続け、観客をも絶望に陥れる。 あの、長門が。 何万回夏休みを繰り返した最強の長門ですら、改変の影響を受けていたなんて……。 絶対防衛ラインが崩壊したキョンと観客は次にどうしていいか本当に分からなくなるんですよね。 でも「ハイペリオン」の中から長門が残したであろう栞が出てきたとき、この映画で初めてホッとするのです。 この栞っていうのが超重要なアイテムになっていまして、宇宙人長門が残した唯一の手掛かりと繋がりです。 そしてもう一つ重要なのが一般人長門から手渡される文芸部への入部届け。 後半にも示唆されていますが、栞を選べばいつも通りの「非日常」。 入部届けを選べばいつもとは違う「日常」世界を選択したことになります。 この2つのアイテムの対比が良い具合に続きましてですね。 それが「ベストシーン」の項目で挙げた長門の演技にも繋がってきます。 長門からのメッセージを受け取った次の日。 再びホッとする出来事が陥れます。 谷口の口から 「涼宮ハルヒ」の名前が飛び出すのです。 彼女はキョンと同じ高校には進学せず、別の進学校に入学していました。 ここから解決に向けて一気に動き出します。 トントン拍子で進む後半 そんなこんなで ハルヒを見つけ、長門のいう「鍵」を揃えたキョン。 再構成プログラムにより改変前・後で同一となる3年前の七夕へとタイムトラベルすることに。 ここはTVアニメ版である 「笹の葉ラプソディー」を観ていないと分からない部分ですね。 まぁこの記事を読んでくれる人はアニメ見ているだろうから、解説は省きますが。 初見の時は 「笹の葉ラプソディー」が消失に繋がるとは知らなかったんで、感動した記憶がありますね。 過去にいる朝比奈さんと長門に助けを求め、長門が解決法を見つけ出し世界を基の姿に戻すと。 そこでキョンの一人語りシーンへ。 これまでのキョンはある種一般人として「傍観者」の立場で眺めていました。 しかし長門からすべての選択権を委ねられ、自身も異世界人になったことで立場が変わり「当事者」としてSOS団及び、 ハルヒと関わっていくことに。 いつもの「やれやれ」で振り回されるキャラクターを脱却し、積極的に ハルヒたちに関わっていくことにしたのです。 このシーンを観て頭の中で重なるのが 「ビューティフルドリーマー」で 諸星あたるが ラムの名前を呼ぶシーン。 「ビューティフルドリーマー」のシーンを開設すると、夢の世界から抜け出せなくなった 諸星あたるは、ラストで現実世界に戻るため 「会いたい人の名前を呼べ」と言われます。 諸星あたるは女好きのため身の回りにいる様々な女性を呼びますが、最後の最後で ラムの名前を呼ぶのです。 その瞬間現実世界?に帰還すると。 あたると ラムの関係は ハルヒとキョンの関係と似ているともいえる。 二人はいわゆる「くされ縁」であり、恋人でも友人でもない絶妙な関係なんですね。 で、鬼気迫るシーンで最後まで ラムの名前を呼ばないんだけど、最後には「会いたい人」として ラムを呼ぶ。 なんかちょっと「消失」っぽくないですか? キョンも普段は「やれやれ」しているけど、鬼気迫る状況になったら最後には ハルヒらSOS団との日常を選ぶ。 他にも小泉の所属している9組が消失していたりと、影響を受けていそうな雰囲気はあるよね。 「消失」が好きだったら、たぶん「ビューティフルドリーマー」もハマると思う。 おれは消失の方が好きだけど。 ……こんなもんですかね。 以上!!!.

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「涼宮ハルヒの消失」の感想と考察。4つの魅力的なポイント

涼宮 ハルヒ の 消失 考察

ハリウッドでも、ジブリアニメでもなかなかこんな演出観られないと思うよ。 別世界の長門は宇宙人ではなく、シャイな人間。 キョンに対してはある程度の好意を寄せており、勇気を出して部活に誘うも拒否されたと感じてしまう。 そんな長門の精神状態やキョンに対しての気持ちが台詞がなくとも、ビシビシ伝わってくるのです。 ここで終わると観客にフラストレーションが溜まってしまうんだけど、その後のキョンのセリフ 「なぜなら俺は、SOS団団員その1だからだ」 に救われるという構成ですね。 長門にとってはキョンが何言ってるか分からないんだけど、TVアニメ28話を超えた俺たちには伝わる。 同じような心理描写は劇中に何度かありまして、 「ハルヒを見つけて一歩踏み出せなくなるキョン」とか 「帰ろうとするキョンを全力の勇気で引き留める長門」などなど。 京アニ、そして武本監督らの演出力が最も光った長編映画といえるでしょう。 というわけで、以下感想。 というかただの語りになりますw 感想 ネタバレ ハルヒとの出会い 2006年版が放送されていた頃、私はまだ小学生でした。 さすがに名前くらいは知っていたんだけども、どんなストーリーかも知らないし興味もない。 ましてや京アニの存在など知る由もありません。 で、初めてハルヒを観たのは飛んで高校2年生。 ちょうど 「けいおん」が大ブームになって少し経ったくらいで、京アニの存在を認知し始めました。 そんなときに友人に勧められ、ハルヒを観たのです。 私はただの映画小僧でそのときも大量の映画を観ていましたが、レンタルしてきた映画を溜めてしまうほどにドハマりしましたw もうね、当初想像していたアニメとは全然違った。 「あぁ、そういうアニメなのか」と2話目くらいで知りましてね。 そのままぶっ続けで「消失」まで観切ってしまったわけ。 と、私とシリーズとの馴れ初めはこの辺にしましても、当時から「消失」のクオリティの高さに驚いてしまいまして。 ずーーーっと映画ばかり観ていた私に、ある種の新鮮さをくれたTVアニメ版。 そして再び映画の面白さと、日本のアニメ作品の繊細さを教えてくれた「消失」。 なんかシリーズを通して二度美味しかった気がしたんですよね。 ただ高校生で少し尖っていた私は 「TVアニメの最終回を映画にするとは何事か!」と考えていたりもして。 別にアニメでやればいいじゃんと。 映画以外で予習が必要な作品を認めたくない心がどこかにあって。 そんな考えも「消失」を観たことで一変。 これをアニメでやったらテンポが悪くてしょうがない。 映画だからこそ緊張感や喪失感を引き継いで観られるんだなと。 もちろん例外もあって、今でも 「これならTVドラマでやってくれないかな?」と思う作品はかなり多いんだけどw 一時代を築いたといっても過言ではない「ハルヒ」と京アニは、消失を作ることでより伝説的なものになったような気がします。 次から感想 キョンを裏切り続ける前半 いつも通りのSOS団の日常。 ハルヒがクリスマスパーティーを提案し、団員たちは再び振り回されることに。 そんな日常も束の間、世界が改変され ハルヒが消失した世界になってしまいます。 キョンは藁をもすがる思いで朝比奈さんに助けを求めるも怖がられ、鶴屋さんにも冷たくあしらわれる。 ハルヒの席には自分を殺そうとした朝倉が座っており、最後の砦・絶対防衛ラインである長門もいつもとは異なる様子……。 そう、前半部分はただひたすらにキョンの期待を裏切り続け、観客をも絶望に陥れる。 あの、長門が。 何万回夏休みを繰り返した最強の長門ですら、改変の影響を受けていたなんて……。 絶対防衛ラインが崩壊したキョンと観客は次にどうしていいか本当に分からなくなるんですよね。 でも「ハイペリオン」の中から長門が残したであろう栞が出てきたとき、この映画で初めてホッとするのです。 この栞っていうのが超重要なアイテムになっていまして、宇宙人長門が残した唯一の手掛かりと繋がりです。 そしてもう一つ重要なのが一般人長門から手渡される文芸部への入部届け。 後半にも示唆されていますが、栞を選べばいつも通りの「非日常」。 入部届けを選べばいつもとは違う「日常」世界を選択したことになります。 この2つのアイテムの対比が良い具合に続きましてですね。 それが「ベストシーン」の項目で挙げた長門の演技にも繋がってきます。 長門からのメッセージを受け取った次の日。 再びホッとする出来事が陥れます。 谷口の口から 「涼宮ハルヒ」の名前が飛び出すのです。 彼女はキョンと同じ高校には進学せず、別の進学校に入学していました。 ここから解決に向けて一気に動き出します。 トントン拍子で進む後半 そんなこんなで ハルヒを見つけ、長門のいう「鍵」を揃えたキョン。 再構成プログラムにより改変前・後で同一となる3年前の七夕へとタイムトラベルすることに。 ここはTVアニメ版である 「笹の葉ラプソディー」を観ていないと分からない部分ですね。 まぁこの記事を読んでくれる人はアニメ見ているだろうから、解説は省きますが。 初見の時は 「笹の葉ラプソディー」が消失に繋がるとは知らなかったんで、感動した記憶がありますね。 過去にいる朝比奈さんと長門に助けを求め、長門が解決法を見つけ出し世界を基の姿に戻すと。 そこでキョンの一人語りシーンへ。 これまでのキョンはある種一般人として「傍観者」の立場で眺めていました。 しかし長門からすべての選択権を委ねられ、自身も異世界人になったことで立場が変わり「当事者」としてSOS団及び、 ハルヒと関わっていくことに。 いつもの「やれやれ」で振り回されるキャラクターを脱却し、積極的に ハルヒたちに関わっていくことにしたのです。 このシーンを観て頭の中で重なるのが 「ビューティフルドリーマー」で 諸星あたるが ラムの名前を呼ぶシーン。 「ビューティフルドリーマー」のシーンを開設すると、夢の世界から抜け出せなくなった 諸星あたるは、ラストで現実世界に戻るため 「会いたい人の名前を呼べ」と言われます。 諸星あたるは女好きのため身の回りにいる様々な女性を呼びますが、最後の最後で ラムの名前を呼ぶのです。 その瞬間現実世界?に帰還すると。 あたると ラムの関係は ハルヒとキョンの関係と似ているともいえる。 二人はいわゆる「くされ縁」であり、恋人でも友人でもない絶妙な関係なんですね。 で、鬼気迫るシーンで最後まで ラムの名前を呼ばないんだけど、最後には「会いたい人」として ラムを呼ぶ。 なんかちょっと「消失」っぽくないですか? キョンも普段は「やれやれ」しているけど、鬼気迫る状況になったら最後には ハルヒらSOS団との日常を選ぶ。 他にも小泉の所属している9組が消失していたりと、影響を受けていそうな雰囲気はあるよね。 「消失」が好きだったら、たぶん「ビューティフルドリーマー」もハマると思う。 おれは消失の方が好きだけど。 ……こんなもんですかね。 以上!!!.

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映画あんてな: 「涼宮ハルヒの消失」とかいう超超超名作映画

涼宮 ハルヒ の 消失 考察

2010年2月に公開されたアニメ映画、『』をまとめる。 本作はの『』(角川、2004年)を原作とするアニメ映画である。 主語がない文で始まっている箇条書きの場合、その主語は。 ---------------- ・オープニングテーマ「」 ・12月16日。 がクリスマスパーティの開催を決定。 古泉がの変化を指摘。 ・12月17日。 谷口が24日に光陽園学院の1年とデートする予定であることを自慢。 が学校で鍋を振る舞うことを決意。 ~~~世界改変~~~ ・12月18日。 谷口のデートがご破算に? 学校で風邪が流行る(さえ欠席?)。 国木田の話で一週間前から流行っていることが明らかに。 ・朝倉が登校しての席へ! と1年9組(古泉)と朝比奈の記憶が消失していることが明らかに!! ・部室に行き、に会うも、彼女にさえ拒絶される。 帰る際、入部届を渡される。 ・12月19日。 がいない今の世界が幸せなのか悩む。 ・『憂鬱』でから借りた本から「プログラム起動条件 鍵をそろえよ 最終期限・二日後」と書かれた栞を発見 ・に誘われ、彼女の家へ。 が5月に図書館の貸出カードをに作ってもらったこと(『憂鬱』を参照)を話し、彼に感謝。 ・朝倉が鍋を届けに来る。 が帰ろうとするを止める(に惚れている模様)。 結局、3人で食べる。 ・「俺はに会いたかった」 ・12月20日。 谷口が(東中の)を知っていることが明らかに。 ・谷口の話を頼りに光陽園学院へ。 ・喫茶店でがジョン・スミスに「2回」会ったことを話し、の話に興味を持つ (2回目は「世界を大いに盛り上げるためのジョン・スミスをよろしく」と言われた)。 古泉が2つの解釈(と世界改変)を示す。 その後、のへの好意を示唆し、「羨ましいですね」とぼやく。 ・(髪型はポニーテール)と古泉がの体操服で変装し、と一緒に北高に侵入。 そして書道部にいる朝比奈を捕まえて、がいる部室へ。 ・(元の世界の)がパソコンで鍵が揃ったことを告げ、緊急脱出プログラムを提示し、に決断を迫る。 が入部届をに返し、自分がSOS団の一員として元の世界に帰りたいと思っていること再認識し、エンターキーを押す。 ~~~3年前の7月7日へ~~~ ・大人の朝比奈が、TPDDがタイム・プレーン・デストロイド・デバイスであること、 ではなく世界改変であること、その犯人が以外であることを明かす。 ・に「世界を大いに盛り上げるためのジョン・スミスをよろしく」と言う(伏線回収) ・朝比奈と一緒にの家へ。 が、世界改変者がの力を利用して1年間を変えたこと(ゆえに3年前の今は正常)と、 3年後に行って再修正プログラム(銃)を撃てば元の世界に戻ることを話し、その改変者の名前を告げる。 ・がと朝比奈の手に対抗処置を施す。 朝比奈がを3年後に連れて行く。 ~~~3年後の12月18日、と古泉が着替えをした場所へ~~~ ・世界改変者・が世界を改変する。 がの異常行動が「(恋愛)感情」であると理解する。 ・自問自答したあげく、がいる元の面白い世界を望む(もう1人の自分が自分を踏む描写あり) ・を撃とうとするも、朝倉に刺される。 それを未来の自分達が助ける。 ~~~元の世界へ~~~ ・12月21日。 病室で目覚める。 その後、寝袋にくるまっていたとやって来た朝比奈に心配される。 ・屋上でに「有希(雪)」と言い、彼女に味方する ・12月24日。 の鍋を食べるためにクリスマスパーティへ。 見て損はない。 特に好きに勧めたい作品。 要するに本作は「彼女が人間らしい(恋愛)感情を初めて持つようになる」話である。 を中心にして見ると、そう評価できる。 ただし、個人的には、「が改めてに会いたい(が好きだ)と再認識する」話だと捉えている。 要するに「恋愛」と「再認識」がテーマになっている。 2つをまとめると「好きだという再認識」がテーマである。 このことは12月19日のが「俺はに会いたかった」と言うシーンや、 12月20日の彼がエンターキーを押すシーンや、クライマックスの彼が自問自答するシーンを見れば容易に理解できる。 これらはいずれも「やっぱりがいる元の世界が好きだ」と彼が再認識するシーンである。 実はこの基本構造は『憂鬱』も同じで、 『憂鬱』も「閉鎖空間の中でが元の世界がよいと再認識する」構造になっている。 ついでに言えば、「への好意を再認識する」構造にもなっている。 そうでなければ、わざわざ彼女にポニーテールを要求することもないし、ましてキスもしないだろう。 以上の観点でもう一度この2つの作品を見てみると、 なぜ『シリーズ』が売れたのか冷静に批評できるようになる。 akamemukan.

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