地に足がつかない。 地に足をつける意味とは?オーラから見た地に足をついて生きる方法

仕事で地に足がつかない人の特徴6つ。地に足をつけた生き方を見つけ出すためには?

地に足がつかない

地に足がつかないとは? 地に足がつかないの類語や反対語• 地に足がつかない人に多い特徴• 地に足がつかない人の仕事での傾向• 地に足がつかないの使い方「例文」• 地に足をつけた生き方をするには• まとめ 1. 地に足がつかないとは? 地に足がつかないとは、足が地につかないと同義であり、浮かれている様子を表します。 嬉しいことや、興奮することがあると、心が揺れ落ち着きのない状態になることを指します。 また、浮足立っていることを意味し、どっしりと構えることのできない状態も表します。 緊張感や不安感に飲まれやすく、冷静さを保つことができないことを意味しています。 他にも、考え方や行動がしっかりしておらずフラフラとしている状態も意味しています。 経済的に不安定で、人生そのものが定まらず、常に揺らぎのある生き方をしていることも示しているのです。 地に足のつかない生き方というのは、さまざまな場面において問題やトラブルに繋がることがあるので注意が必要です。 自分の心の揺れや心の癖に気づき、影響され過ぎず、冷静に行動することによってトラブルを回避することができるでしょう。 自分の考えを持ち、明確な目標を定めて、確実で現実的な生き方をしていくことが大切です。 3-1. 嬉しいことがあると過度に興奮してしまう 地に足がつかない人の特徴として、嬉しいことがあると過度に反応してしまう点が挙げられます。 感情に左右されやすく、嬉しいことや楽しいことがあると、必要以上に浮かれてしまいやすいです。 我を忘れてはしゃいでしまったり、興奮しすぎて落ち着きを欠いてしまったりすることがあるので気をつけましょう。 箍が外れてしまった結果、思わぬトラブルを招いてしまったり、失敗することもあるので注意が必要です。 楽しいことや興奮することがあっても、冷静さを完全に失わないように気をつけましょう。 また、楽しいイベントであってもわくわくしすぎて緊張してしまうこともあります。 旅行やお祭の前日に眠れないという人も多いでしょう。 3-3. 緊張する場面に弱い 地に足がつかない人や、不安感や恐れに酷く影響されやすいです。 緊張する場面に弱く、心身にトラブルを起こしてしまうこともあるので気をつけましょう。 たとえば、何かを発表したり、パフォーマンスをする場面で、緊張しすぎて思うような行動ができなくなってしまうことが多いです。 練習ならできるのに、本番になると上手くできないといったタイプの人も多いです。 体が硬直してしまったり、震えてしまったり、お腹が痛くなったりと、身体的に悪い変化現れることも多いので注意しましょう。 自分自身で心と体をコントロールするトレーニングをすることが大切です。 特に自律神経を整えることに注意し、呼吸法や瞑想法を取り入れるのも良いでしょう。 3-5. 突然のトラブルや問題に酷く動揺する 地に足がつかない人は、さまざまな物事に動揺しやすい性格と言えます。 特に、突然のトラブルや問題が起きると右往左往してしまい、何もできずに混乱してしまうことが多いです。 自分だけではどうにもならないと投げ出してしまったり、逃げ出したりと、無責任な行動をすることもあるので気をつけましょう。 トラブルに対して喚いたり、騒いだりするのではなく、今自分が何をすべきか冷静に考える必要があります。 また、周囲から叱責されたり、幻滅されるのが嫌で混乱してしまうことも多いです。 しかし、失敗を冷静に受け取り、対処しなければ、より周囲からの信頼を失うことに繋がるでしょう。 地に足がつかないとは? 地に足がつかないとは、足が地につかないと同義であり、浮かれている様子を表します。 嬉しいことや、興奮することがあると、心が揺れ落ち着きのない状態になることを指します。 また、浮足立っていることを意味し、どっしりと構えることのできない状態も表します。 緊張感や不安感に飲まれやすく、冷静さを保つことができないことを意味しています。 他にも、考え方や行動がしっかりしておらずフラフラとしている状態も意味しています。 経済的に不安定で、人生そのものが定まらず、常に揺らぎのある生き方をしていることも示しているのです。 地に足のつかない生き方というのは、さまざまな場面において問題やトラブルに繋がることがあるので注意が必要です。 自分の心の揺れや心の癖に気づき、影響され過ぎず、冷静に行動することによってトラブルを回避することができるでしょう。 自分の考えを持ち、明確な目標を定めて、確実で現実的な生き方をしていくことが大切です。

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地に足がついていない感覚ってこんな感じか?と悟ったこと|Kazumi|note

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【足が地についた】生き方って、どんな生き方? では、 【足が地についた】生き方ってどんな生き方なのでしょうか? 【足が地につく】の意味を捉えていくと、 『現状を冷静に正しく認識して、こころも身体も安定して落ち着いた状態』 であることがわかりました。 では、このような状態の 生き方とはどんなものか、考えてみましょう。 経済的に恵まれて、こころにも余裕やゆとり、落ち着きがあって、健康であること。 人間関係にも恵まれていること、などがあげられるのではないでしょうか。 人生のさまざまな角度が、バランスよくすべてそれなりに 満たされた状態であるといえます。 人生のさまざまな角度とは、つぎのようなものがあります。 心・精神• 人間関係 では、 バランスが整って満たされた状態とは、どのような状態をさすのでしょうか? それは、個人の主観や価値観、感じ方によって大きく変わるところでもあります。 さらに、それらの現状を客観的に 正しく把握していくことが大切です。 そのためにも、 自分自身をよく理解しているということが重要になってきます。 【足が地についた】生き方を実現するためには、つぎのようなことをふまえた上で、あなたが優先するものや価値観と照らし合わせながら、人生のさまざまな角度をチェックしてみてください。 自己理解 (自分を知る、自分の望みを知る)• 客観的に見る• 現在地、現状を把握する• 価値観の優先順位 そして、安定している状態というものを少し勘違いしてしまうと、変化のないことが良いことと捉えてしまいがちです。 変化がないということは、実は 緩やかな衰退になってしまうこともしばしば。 仏教では、 『諸行無常』という言葉があり、生きる上で基本的で重要なあり方・考え方とされています。 『諸行無常』とは、この世の一切のものは変化し、不変のものは無いということです。 この世では、同じ状態は続かないということです。 この 無常の世界を理解した上で、 安定した状態・生き方をつくることが大切です。 そのために必要な力が、次のようなことです。 自分をよく理解している• 現実・現状を正しく把握する力• 心の健康度が高く、精神的に落ち着いている• 現実を見据えた上での行動力• 自分の軸をしっかり保つ• 堅実である• 変化を恐れない柔軟性• さまざまな人生の角度がバランスよく保たれている このようなことを見ていくと、 【足が地についた】生き方をつくるためには、 自分の土台をしっかりつくっていくことが大切だといえるのではないでしょうか。 自分の土台とは、 生きるための 知恵や知識だったり、 仕事をしていく上での 技術であったり、 自分をよく 理解することや自分で 考える力、 良好な 人間関係をつくること、 心も身体も 健やかであること などになります。 現実の人生の中で、心の余裕をつくり出すためには、貯金など経済的な面がある程度(どの程度のことを言うのか、人それぞれ価値観や感じ方は違いますが)整っていることも大切でしょう。 たとえば、もしどこかに家を建てるとするならば、しっかりと整った土地であれば、どんな家だって建てられますよね。 反対に、地盤が緩く、ズブズブとぬかるんでいたら、もし家を建てたとしても、あっとうまに崩れてしまいます。 自分の生き方や人生も同じで、なにか予期せぬ出来事が起きたときに、自分自身の土台がしっかりしていなければ、あっというまに崩れてしまう。 【足が地についた】生き方とは、ただ安定して安全であるだけなく、自分をよく理解した上で、人生を組み立てたり、柔軟に対応できる力を備えている 自分の土台があることといえるでしょう。 そして、 【足が地についた】生き方とは、自分自身をよく理解したうえで人生をつくり上げていく力があること。 それは、 自分の土台をしっかりつくっていくことです。 それらに必要なことが、人生のさまざまな角度がバランスよく整っていることや、精神的に安定していること、現状を把握する力や柔軟性のある行動力などを持っていることになります。 自分の土台をしっかりつくって、しなやかに、 【足が地についた】生き方をしていきたいものですね^^ 最後までお読みいただきまして、ありがとうござました。 サイトにご訪問いただきありがとうございます。 ジャンルに偏りがありますが、好奇心旺盛で、なんでも知りたい派の40代OL(既婚)です。 夫(会社員)とふたり暮らし。 暮らしを真ん中に、こころにも時間にもゆとりのある人生に憧れています^^ わたしが好きなこと、興味あることをとおして、誰かのこころが満たされたり、豊かな暮らしにつながればうれしいです^^ そんな形で役立つ記事を書いています! 本当のわたしで生きるために、こころの在り方やこころを満たすことを大切にしています。 好きなこと: 香り、アロマテラピー、ハーブ、おいしいもの、きれいなもの、心地よい時間 資格: JAAアロマコーディネーター アロマエンライトメント認定プラクティショナー中級終了 AFT色彩検定 1級 カテゴリー•

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地に足がつかないとは?地に足がつかない人の特徴・類語・反対語

地に足がつかない

逃げたい現実が強すぎる。 まあ、 切り取り方の違いかなと感じています。 スピリチュアル的なことの批判の1つの切り返しとして、「もっと現実をみよ。 」「地に足をつけよ。 」という声がチラホラ聞こえてきます。 スピリチュアルなんか現実逃避やろ。 って感じですね。 また、宇宙人とかプレアデスとかスピスピ言ってないで、地球に生まれたことをよく考えよ。 みたいなこともよく聞きます。 ぼくは、これらに関しては、蓼食う虫も好き好きだな。 という感想しか浮かばないのですが、 おそらくみなさんが捉えている「 スピリチュアル」が異なる。 のが主な原因の1つなのではないでしょうか?「幸せ」の尺度が違うように現実もスピリチュアルな世界もぼくは境界線ってわりと曖昧なような気がしています。 みなさんはどう感じているでしょうか? 目次• スピリチュアルとはなにか?スピリチュアルにおける多様性 スピリチュアルとは何かと言われてもぼくは正直、定義がわかりません。 ただ、わかりやすく言葉にするのであれば、 目に見える世界と 目に見えない世界でざっくりわけていいのかなという感じがあります。 この境界線が白と黒、陰と陽の世界みたいにはっきりと分かれた方が好きな人もいれば、白い世界に生きているけど黒い世界も好きだな。 とか、陰の感覚もわかるし陽の世界も良いなとか。 陽だけが素晴らしいモノだとか。 色々あるんじゃないかな~。 というイメージです。 スピリチュアルにおける多様性 ぼくのなかにある「スピリチュアル」は 多様性とほぼイコールです。 小学生でもわかることばを使えば、いろいろなひとがおる。 この一言に尽きます。 光や愛。 覚醒や目覚め。 宇宙人やどこから来たのか(出身星)、サイキック能力、引き寄せ、ツインなどなどがスピリチュアルと思えばそれは確実にスピリチュアルですよね。 一方で、目に見えない類も踏まえつつ、現実とわけて、それをどう活かしていくか、みたいな部分にフォーカスするのもまず間違いなくスピリチュアルでしょう。 何に対しても言えることではありますが、一気に美化したり、神格化したり、はたまた毛嫌いしたり色々なリアクションが人それぞれ起こるとぼくは感じていますが、ぼくらはめにみえないモノになると、その色がかなりハッキリと分かれて、 境界線や壁を明確にしたがる生き物のなのかもしれません。 そんな中で、ぼくが「スピリチュアル」が面白いと感じるのは、この「 多様性」を色々な分野に比べる広くかつ大きくと感じられるからです。 趣味や興味がコロコロ変わるぼくと相性がいいだけですね(笑) 過去記事で「スピリチュアル」における考え方は、できる限り広範囲で文章化しているので興味がある方は読んでみてください。 スピリチュアルに傾倒する人は現実逃避なの?現実とスピリチュアルにおける境界線 ここから少しずつスピリチュアルに傾倒することは「現実逃避」なのか。 っていう話をしていきます。 ぼくは、これは現実とスピリチュアルをあまりにかけ離れているモノと捉えているだけなのかなという印象があります。 まあ、本当にどちらでもよくて好みでしょうね。 仏教的なしきたりを大事にしつつ、キリスト教的な概念も取り入れちゃうぼくら日本人であれば、その曖昧さや境界線の薄さを現実とスピリチュアルにも適用させればぼくはもっと多様性がでてくると感じているのですが、 なぜか抵抗が強い人が多いです。 まあ、ある種の「攻撃対象」があればぼくらは「自分たち」を正当化しやすくなる傾向があるっていうのもありそうです。 現実をみよ。 という人にとっての「現実」 現実とスピリチュアルにおける境界線ってけっこう曖昧な気がしませんか? 現実をみて生きろよ!っていう人の現実って、例えば、学校行って、ある程度の年齢に行ったら働いて、お金稼いで結婚して、子どもできて、家買って親の面倒みて「善く」生きる。 みたいな「現実」です。 堅実っぽい現実ですね。 そこからちょっと抜け出して、例えば画家とか歌手とかアーティスト系の夢追ったり、起業家さんを目指したり、いわゆる就職しない生き方をしている人にも「現実をみよ!」っていう言葉を適用させます。 つまり理想と現実は違うぞみたいな現実です。 「現実世界が大事」という言葉もかなり多様性があるにも関わらず、ぼくらは例えばお金を稼いでいる。 とか、結婚している。 とか、家庭をきづいている。 とかそういうわりと 狭い範囲の外堀り=現実になっていませんかね? スピリチュアルに傾倒している人の「スピリチュアル」 一方で、スピリチュアルっぽいことに傾倒している人のスピリチュアルもぼくはけっこうバランス感覚どこいったん?って思うときがあります。 少し、偏った表現するのであれば、あなたは宇宙からきたスターシードです。 使命があります。 (現実はみずに、)宇宙に想いを馳せましょう。 統合して目覚めてください。 アセンションしなければもう間に合わないです。 みたいな感じですね。 スピリチュアルなこと(多様性のある世界)であるはずなのに、なぜか画一性を一気に帯びさせるひとが多いような気がしています。 「現実」をみよ!とは逆の方向なだけで、結局やっていること一緒感がどうしても否めない世知辛い世の中です。 目に見えない世界と目に見える世界 ぼくは、正義と悪みたいにスピリチュアルと現実は 境界線がないくらいがちょうどいいのではと感じています。 もっといえば、実は境界線って曖昧なのではという感覚が強いです。 以前も記事にしていますが、目に見えない世界の方が大事で力強く絶対だ。 なんて主張は突っ込みどころが満載だし、目に見える世界で頑張らねば。 みたいな意見も、少しとげとげしいですよね。 ぼくらは多様な現実感を日々、堪能しているはずだし、その多様な境界線に区切りをつけられないはずなのに、なぜかどこからか引っ張ってくる価値観でスピリチュアルと現実を白と黒の世界のように分けて考えます。 ケビンカーターと「ハゲワシと少女」からみる現実の境界線 少し話を逸らしますが、ぼくは国際協力という分野に興味をもっていたので、考えてみてほしいことを共有します。 「 ハゲワシと少女」という写真をご存知でしょうか?写真家のケビン・カーターがアフリカはスーダンで飢餓に苦しむ少女とハゲワシをファインダー越しに捉えた世界的に有名な「アフリカの飢餓」を象徴する写真です。 彼は、この写真がきっかけとなり、1994年にピュリツァー賞を受賞しています。 ガリガリにやせこけた少女を狙うハゲワシにも みえる写真です。 この数カ月後、カーターは少女が苦しんでいるのに写真撮っているなんて非道だ。 と世界中から批難され自殺してしまいます。 この切り取った写真には背景があって、少女がハゲワシに襲われそうになっているわけでも、少女が飢餓で苦しんでいるわけでもなく、 お母さんが配給された食料を取りに地べたにちょっとした時間放置しただけでした。 ぼくらが安易にアフリカ=危険=貧しい=ハゲワシも狙うほど少女は貧困状態にあると「 決めつけた」結果の自殺であり、結果のピュリッツァー賞かもしれません。 みんなが感じている真実や現実はこうしてつくられていませんか?ある程度の決めつけ、行き過ぎた思い込み、作られた理想論、言葉なんでもいいですが、ぼくらの境界線は非常にあやふやなのに、こうであるべき。 こうしなければとなると、 現実は一気に縮小されていきますよね。 とりあえず、人間、一度はアフリカに行きたくなるっていう話ですよね。 スピリチュアルからみる地に足をつけた生き方とは? 今回は地に足をつける。 を堅実に現実を生きるみたいなニュアンスではなく、オーラバランスから説明していきます。 もちろん、堅実に生きることが地に足をつける生き方と感じているのであればそれはそれでいいと思いますよ。 「オーラ」といわれるものですね。 ぼくがヒーリングセッションでみさせてもらうと、地に足のついているひとはバランスが良いです。 尾骨のあたりを第1として頭のてっぺんが第7といわれていますね。 以下の図がイメージしやすいです。 「地に足の着いた人」は、全体的なオーラのバランスがクリアです。 第一から第七までブレがなく光が力強いです。 一方で 「 地に足をつけすぎている人」=(現実を生きよ!的な考えに縛られている人)は、第一はブレなく綺麗なのですが、直感的な部分とか、目に見えない不思議なパワーを毛嫌いしている、あるいは(自分も含め)あまり信じていない人に多くみられます。 (あくまで傾向です、ぼくが勝手に見えているだけですが。 ) 反対に、 「 地に足をつけなさすぎな人」=(スピリチュアルに傾倒しまくっている人)は、第七や第六は美しい感じもみえますが、第一チャクラどこいったん?って言う人が多いです。 (笑) ぼくらの面白さは、この絶妙なバランス感覚を知っているところにあるはずなのに忘れてしまっているところだと感じています。 なんとなくどちらも大切じゃないですか? オーラやチャクラについては以下の関連記事でも説明していますので、興味のある方は読んでみてください。 また、不幸やネガティブな感情にフォーカスしがちです。 やることなくて暇なら自分磨きに時間をあてた方が充実かも。 とか、批判や批難する暇があるなら、鏡見つめていた方が良いかもってぼくは思っちゃいますが、大きい声では言いません(笑) 案外、自分の内側の方が楽しいかもしれませんね。 自分の軸を何か別のモノに委ねたり、モノや人を神格化したり、美化しすぎたりするのは逆方向の自己批判や他者批難になりがちです。 こちらも、常にヒントは内側にあるかもしれませんね。 こちらもヒントは常にウチと今に在りですが、子どもをみているとよくわかります。 そして、スピリチュアルっぽい地に足をつける生き方のヒント集みたいなのは、以前書いた、「宇宙の法則」の記事に共通するとぼくは感じています。 全ては波動で、意識が現実を象るのかもしれませんね。 まとめ:現実を生き切るのもスピリチュアルで現実逃避するのもバランスが大事かも ぼくの率直な意見では、現実に生きよ!地に足をつけろ!という考えも、スピリチュアルな世界がすべて。 と思うのも、本当にどちらでも構わないし、いろんなひとがおるよなあ。 という感じですが、せっかくなのでバランス感覚を持つともっと楽しめるかもしれません。 Netflixに「」っていうサイコパスを描いたドラマがあるんですが、サイコパスな主人公が女性をストーキングするストーリーが展開されています。 主人公のジョーはサイコパス決定なんですが(笑)、あらゆる視点であらゆる登場人物に感情移入してみると、全員サイコパスなんじゃないか説に辿り着きます(笑)(妻とドハマりしたドラマです。 ) 自分の正義や自分のマインドってどこに置くのも間違いじゃないし、すべて正解なんですが、その主張やエネルギーを強くしたり、弱くすると一気にそれらの境界線が浮き彫りになってきます。 現実とスピリチュアルも一緒で、自分が何が好きで何を信じるかはとても自由で多様性があるとぼくは感じていますが、それを雁字搦めにしたり、押し付けたり、絶対そうだ!と決めつけることは、もったいない気がしています。 案外、ぼくらってファジーなところにいるかもしれませんね。 みなさんはどう捉えていますか? いつも読んでくださってありがとうございます。 あいお 当たり前に割に境界線なく感じてた事なのに 周りの反応が怖くて閉じ込めていた見えない世界 まぁなんとなく生きてきて色々あったはずの過去が幸せと感じ今が幸せで未来も幸せだと思うのはスピが意識する事なく私の中にあったからだと最近感じてます だからこそ 自分に興味津々笑!今は意識してスピを感じてるから面白いものを見つけた子供みたいに夢中になってる 宇宙の事も過去世の事も使命の事もアカシックの事もぽゃゃゃんとしかわかんないから知りたいと思う 半世紀生きて魂の入れ物がだいぶ古くなってきたから壊れる前に使命とやらを知りたいな スピ1つとってもいろんな人のいろんな活用の仕方や多分使命みたいなのがあって見てるだけでも面白いけどまめたろうさんの記事が私にはしっくりくる 喫茶店でたまらなく楽しい話を時間を忘れて話してる感覚 毎度コメントに見境いない….

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