アタリ ジャガー。 アタリジャガー: きこりあのブログ

アタリジャガーエミュレータで遊ぶ方法

アタリ ジャガー

ゲームに多少詳しい人なら「アタリ」というメーカーをご存じなのではないでしょうか。 有名なところでは『スペースインベーダー』登場前のゲームの黎明期に人気を集め、ゲームの市場を広げることになった作品『ポン』の製造元であり、『リンクス』『ジャガー』というハードを発売したものの売り上げがイマイチ以下だったりしたのも有名ですが、なんといっても「アタリショック」という言葉が同社の名前が使われたものでは一番有名では。 さてこのメーカー、度々「経営危機」とか「倒産した」とかいうニュースを聞いたかと思えばまたその名前を聞いたりする感じではないでしょうか。 かつてはアタリショックの時から、リンクス、ジャガーが売り上げ不振だった時など。 それのため、現在どうなっているのかよくわからない人も多い気がします(映画で言うと、何度も身売りとかがありつつ現存している「にっかつ」みたいに)。 それは海外での会社である「ATARI」と、ATARIの日本法人である「アタリジャパン」。 勿論世界的には米国のアタリの方が大きく、ゲーム黎明期からの影響もあるのですが、日本法人も1980年代にナムコと深い関係があったり語るところが多いのですが、今日はそこまで踏み込むと混乱するので、まず海外のアタリに絞ってその歴史を簡単に語ってゆくことにします。 世界初のゲーム専門会社、アタリ アタリはノーラン・ブッシュネルにより1972年に創業した、世界初のゲーム会社です。 この当時、ビデオゲームというものは市場に存在しないに近く、このアタリが実質世界初のビデオゲーム専門会社として設立されます。 ちなみにノーラン・ブッシュネルは、アタリ設立前に「コンピュータースペース」というアーケードゲームを開発しています。 ちなみに「アタリ」という名前で、日本語の「当たり」を連想した方がいらっしゃると思いますが、海外企業でそんなことはないだろうと思われるでしょう。 ですがそれは正解です。 創業者のノーラン・ブッシュネルは囲碁が得意だったことで、囲碁用語でも使われる「当たり=アタリ」からこの社名がとられたとのことですので。 さらにアタリのマークは、富士山をイメージしていると言われています。 アタリはしばらくはピンボールの販売などをしていましたが、同時期に「オデッセイ」という家庭用ゲーム機が発売され、その中に入っていたテーブルテニスを参考に、1972年に「ポン」を発売します。 これがとんでもない大人気となり、アタリは急成長を遂げます。 ただ、これが同時期に発売された家庭用ゲームの「オデッセイ」と酷似していたために訴訟になります。 結果として、初の大ヒットしたアーケードゲームは、初のゲーム訴訟も抱えることになります。 しかしアタリが当時版権を持っていたマグナボックスに特許料として700,000ドル支払っても、それを上回る売り上げで急成長を遂げてゆきます。 そしてこの急成長中の1973年に日本支社として「アタリジャパン」を設立します。 その人物の名は「スティーブ・ジョブズ」。 そう、現在世界的企業となっているアップルコンピュータの創立者です。 当時彼はアタリの新作ゲームである「ブレイクアウト」(ブロック崩し)の開発に関わっていましたが、この当時からもうひとりのアップル創立者であるスティーブ・ウォズニアックと共に、アタリの工場でゲームを遊び通していたそうです。 さらに「ブレイクアウト」のICチップを減らす回路を構築するのに対して、ウォズニアックが手助けもしていたということ。 このあと、ジョブス達はアップル社を設立し、パーソナルコンピュータ「アップルI」を開発します。 その会社の現在は多くの人が知る通り。 ブッシュネルの退社と社風の変化 アタリに話を戻します。 1976年にアタリの発売した「ブレイクアウト」は、これも大人気となり、ゲーム市場を拡大させます。 そして同時期、アタリは家庭用ゲーム機として「VCS(Atari 2600)」の発売を計画しますが、それの為の資金が不足します。 そこでアタリは株式をワーナー・コミュニケーションズ(後のタイム・ワーナー)に売却し、傘下に入ります。 そしてVCSは1977年に発売となります。 しかし、当初VCSは売れず、てこ入れのために後に会長となるレイモンド・カサールを、家庭用部門のトップとして入社させます。 ですが、ここからいろいろと順風に見えた会社に波乱が起こり始めます。 それまでのアタリの社風は、自由奔放ないわゆる技術者が趣味を生かしてゲーム作りをしている雰囲気だった社風だったものが、ワーナー傘下になったことによる事業拡張と、レイモンド・カサールをはじめとする売上重視の人間が役員になったことで、技術者で軋轢が起こり、そんな中、ブッシュネルがワーナー側の役員抜きで会議を開いたことが決定打となり、1978年12月、創業者のノーラン・ブッシュネルが解任されます。 その後、レイモンド・カサールが会長となるものの、カリスマ的創業者であったブッシュネルが去ったことや、それに伴い以前の自由な社風が厳しいものに変わってきたために、2? 3年のうちに古くからの主要スタッフがどんどん離れてゆくこととなります(解雇されたものも含む)。 社風が利益重視になってきた結果、経営陣は自分からゲーム機で遊ぶことさえもしなくなったそうです。 それでもVCSは『スペースインベーダー』や『パックマン』の移植もあり、軌道に乗り始めます。 しかし、1980年代になると、この人気にかげりが見え始めます。 そして「人気作品を出せば売れる」ということで粗製濫造のソフトも溢れるようになりました。 アタリショック そして1982年のクリスマス商戦、アタリが投入したソフト「E. 」の売り上げが予想を遙かに下回り、アタリは業績を下方修正することになります。 アメリカではゲームソフトの返品制度があるため、売上高も急落し、翌年の業績は営業赤字に陥ります。 このあたりの現象は「アタリショック」と言われます。 ただ、一般的に「アタリショック」と言われると、ゲーム市場に粗製濫造のソフトが溢れ、それが原因でユーザーに見放され、ゲーム市場が瞬く間に崩壊したというふうに言われていますが、現実は必ずしもそうではありません(ただ、事実とは別に市場崩壊の恐れとして比喩的に使われる言葉としては個人的にアリだとは思っていますが)。 上記の通りアタリの業績が悪化したのは事実です。 しかしアタリの業績低下の主たる原因は、「E. 」の売り上げが見込みよりはるかに下回り(600万個を製造していたのにもかかわらず、100万しか売れなかったとのこと)、それが返品制度のあるアメリカでは利益に非常に響いたために、アタリの業績を圧迫したというのが事実みたいです。 また、いきなりこの年に急にゲーム市場が縮小したわけではなく、Commodore64などのホームコンピューターや、ColecoVisionという対抗ゲーム機が出現していたためにそちらにユーザーの興味が移行して、VCS自体がハードとして末期にさしかかっていたために売り上げを下げたと言えるでしょう(もちろん売り上げを保ち続けるようなおもしろいソフトを出せなかったのも敗因ですが)。 故に、「ユーザーがいっぺんに見放して市場崩壊した」というよりは「 アタリの経営判断ミスによる自爆」的側面が強いのではないかと。 ただ、市場が急速にではないにせよ、訴求力のあるハード&ソフトがなく、徐々に縮小していたのは事実でしょう。 1985年あたりではアメリカのゲームは空洞化します。 そこに1985年、NES(ファミコンの米国名)が登場して市場を席巻するわけですが、それはNESとそのソフト(『スーパーマリオブラザーズ』等)の力があったのはもちろんですが、空洞化していたゲームに対する需要が存在したというのもあるのかもしれません。 このアタリの業績低下により親会社のワーナーコミュニケーションズも煽りを受けます。 そしてカサール会長は解任されます(その際にインサイダー取引の疑いも浮上した模様)。 しかし、アタリの業績は回復せず、その後NESで進出してきた任天堂にその市場を奪われることとなります。 しかしアタリゲームズは、『マーブルマッドネス』、『ハードドライビン』など1980年代の名作アーケードゲームを生み出します。 そして子会社である『テンゲン』も設立しますが、これは任天堂と裁判になったりもしています。 そのうちタイムワーナー社に買収され、一時的にタイムワーナー・インタラクティブとなったあと、1996年3月ウィリアムス・インダストリーズに買収。 さらにそこから分離したミッドウェイゲームズにアタリブランドは引き継がれます。 しかし2000年2月にミッドウェイはアタリブランドを停止、それ以後使われなくなってしまいます。 おそらくこのへんのゴタゴタが、アタリが消えたとか消えてないとか混乱することになっているのでしょう。 さらに、2009年2月12日、ミッドウェイゲームズ社は連邦倒産法第11章に基づく再建のための法的手続きを開始。 その後破産したミッドウェイを買収したのは、ワーナー。 アタリゲームズは再びワーナーの傘下となりました。 そしてもうひとつのほうのアタリコープですが、家庭用パソコン市場に参入し、成功します。 そしてゲームハードとして1989年にリンクス、1993年にジャガーを発売するのですが、どちらも失敗。 ゲームハードから事実上の撤退となります。 その後買収が矢吸収合併が行われた結果、現在はインフォグラム傘下になっています。 インフォグラムでもアタリブランドが使われてきましたが、2009年に「インフォグラム」と「アタリ」の二重ブランドによる混乱を解消するため、アタリ Atari SA へと改称。 ここに会社としてのアタリが復活することになりました。 親会社である仏Atariから米Atariは独立し、モバイルゲームメーカーとして再建を目指しているようです。 業界紙『ゲームマシン』の編集長だった赤木真澄氏が書かれたもので、ゲームの初期のことから非常に興味深く書かれている500ページ以上の分厚い本です。 他ではなかなか書いていないアタリのくだりや、他ゲーム業界における会社事情なども、この本にはしっかりと書かれており(特に特許などの係争事件に対してかなり詳しい)、調べる上で非常に参考になるものでした。 現在も読み進めている最中だったりします。 ゲーム史に興味のある方は是非読んでみてください。

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アタリの日本支社、アタリジャパンはそれからどうなったのか : Timesteps

アタリ ジャガー

2007年05月07日 10時57分 世界中で売れなかったゲーム機ワースト10 ファミコンからPS3に至るまで、さまざまなゲーム機が発売されてきましたが、それらの中で特に売れなかったゲーム機のワースト10です。 数字は世界累計の販売台数で、日本でしか発売しなかったゲーム機はカウントされていないので、日本市場での印象とは異なった結果が出ています。 詳細は以下の通り。 1998年に日本で、翌年北米で発売されたセガの最後のゲーム機。 北米市場ではサターン、32X、Sega CD メガCDの北米での商品名 などの評判が悪かったので、それを何とかするべく投入されましたが、わずか3年程度で終わってしまいました。 日本での販売台数は225万台、全世界では1045万台。 日本でそこそこの成功をおさめ、1989年に北米でも発売されました。 しかし、NECの広告戦略の失敗などによって敗北。 全世界では1000万台を売りましたが、北米では250万台にとどまりました。 日本でも北米でも、プレイステーションの登場するちょっと前に発売されましたが、やはり3年程度しか持ちませんでした。 ゲーム機本体の価格が高かったこと 北米では399ドル:約4万7000円 、ソフト開発がちょっと難航したことにより、プレイステーションに駆逐されてしまいました。 日本では580万台売れており、一時はプレイステーションと互角ぐらいには戦っていたような気がするのですが、全世界での販売台数が876万台と海外での受けが非常に悪かったようです。 メガドライブは北米市場ではジェネシスという名前で発売され、シェアが54%にもなるほどの大人気ハードでした。 しかし、メガCDは299ドル 約3万6000円 と拡張機器としてはかなり高価で、時代の流れに乗り遅れた機器だったために600万台しか売れずにその命を終えました。 また、セガのサポートがかなり悪かったらしく、その後セガブランドは評価を下げていったそうです。 日本では松下やサンヨーが出していて、アインシュタイン博士を使ったCMが印象的でした。 エレクトロニック・アーツの創始者が設計し、ハードウェアとしての能力はかなり高かったのですが、やはり高い価格 700ドル:約8万4000円、日本では当初は7万9800円、のちに値下げして5万4800円 が足を引っ張ったようです。 EAがバックアップしたおかげか、200万台ほど売れたらしい。 セガサターンなどが登場した後に発売されましたが、赤と黒という画面の見た目の悪さや、180ドル 約2万円 という価格が嫌われて77万台ほどしか売れませんでした。 ゲーム機というよりはマルチメディア機器のようですが、ごくわずかな数のゲームソフトが出ていたらしい。 1991年に発売され、後発の安く高性能なハードウェアに押されて消えていきましたが、フィリップスは1998年までサポートを続けていたそうです。 販売台数は57万台。 64ビットの能力を持ったグラフィックスカードを搭載した32ビットマシンで、250ドル 約3万円 で発売されましたが、売れたのはわずか25万台だそうです。 日本ではプレイステーションと同じ日に発売されました。 日本ではプレイステーションとセガサターンによる戦いが始まったために不要のものとなり、北米ではあろうことかセガサターンの足を引っ張って共倒れに。 もう少し登場する時期が早ければ、結果は変わっていたのかも知れません。 ちなみに、GIGAZINE編集部にはスーパー32Xを持っている人間がいます…。 アップルとバンダイが協力して作ったゲーム機でしたが、599ドル 約7万2000円 という高価なハードだったこと、ろくなゲームソフトが出なかったことなどにより、販売台数は5万台程度で生産が打ち切られました。 なお、記事内の価格は現在の相場で換算しているので、参考程度にしかならないかもしれません。 日本でランキングをつけるとしたら、PCエンジンやメガドライブの周辺機器が山ほど出てきて大変そう…。

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定義 AJ: アタリ ジャガー

アタリ ジャガー

アタリ ジャガーを起動 今回はアタリ社最後の家庭用ゲームマシン、ジャガーを起動します。 ジャガーが日本で発売されたの は1994年末。 当時は任天堂のスーパーファミコンがまだまだ絶好調、かつ次世代機の機運が最高に 盛り上がっていた頃です。 当時の次世代機といえば初代プレステとセガサターン。 プレステは同年の 12月3日に発売、サターンは少し早く11月22日。 一方ジャガーは12月8日らしい。 ジャガーは発売前に 雑誌で紹介されたのを見たのですが、その時の主催者の感想を申しますと・・・。 「これは次世代機と しては弱い。 ヤバイ結末しか見え無い・・・」と言う物でした。 それで「まあ日本で発売さたとして、どれ ぐらい出回るのだろう?」と思ったのですが、結局のところ海外ゲームに力を入れている業者が少数 販売しただけの様です。 取り扱い店舗がどれだけあったかは知りません。 その様な事なので実物を 見たとか実際に触った事がある人は極少数と思われます。 しかし年月が経つと、マイナーハードほど 興味&お宝感が出てくると言う物です。 主催者は前から興味のあったジャガーソフトがありました。 名前はテンペスト2000。 これはテンペスト と言うアーケードゲームが大昔にあり、それをリニューアルした物です。 今回ジャガーを入手する機会 があった訳ですが、それならばテンペスト2000とかRGBケーブルも手配、ジャガーを起動して見ます。 入手したジャガーはUS版。 これは結構重要で、イギリス版とかフランス版ではTVの方式の違いからRF とかビデオ接続では映らないと思われます。 主催者の場合はRGBで映しますから、この場合は映るの かも知れませんが。 入手したジャガーには箱とか取説は無かったのですが、とりあえず欠品は無い様 です。 と言うか本来のセット内容がどの様な物か分からないので想像なのだけれど。 内容は本体、AC アダプタ、コントローラーが一つ。 それからナゼか!RFスイッチ。 下の写真左がセット内容。 写真右は ジャガーの後部。 本体左端はDCジャック、右端はRFモジュレーターのピンとチャンネル切り替えです。 この辺りはスーファミと同じです。 中央にはカードコネクタが2つ出ています。 大きい方が映像出力です。 5mm、中心の穴は2. 1mmで外側+。 これ はファミコンと同じです。 実際ファミコンに刺して普通に使えました。 RFスイッチもファミコンとほぼ同一。 ちなみにRF出力ですが、アメリカと日本ではTV (アナログ)の方式は同じですが、放送の周波数が違うのでアメリカ仕様のモデルで国内TVに映す事は 出来ません。 国内販売モデルのRF出力が国内chになっていたのなら、わざわざ国内版を別途生産した 事になり敬服するのですが。 さて次は色々とネタになったコントローラー。 そこへ来てジャガーのコ ントローラーです。 もうブッチギリに増えています。 ボタン数で勝負するなら完全勝利です。 実際には冗談 だろとか、何の意味があるのか等の評価で完全ネタ扱いでした。 主催者は今回入手して初めて持って見 たのですが、意外とホールドし易いです。 実際に手にすると初代プレステのコントローラーの感覚に似て います。 プレステのグリップの間にテンキーがあると考えたら分かりやすいです。 と言いましてもプレイ 中にテンキーの操作等やってられませんから、やはりネタである事に変わりはないのですが。 ちなみに 本体への接続コネクタはシュリンクDサブ15ピン(VGAコネクタ)です。 さていよいよジャガーを起動して見ます。 ソフトはテンペスト2000、RGBケーブルでいつもの24インチ 液晶に接続します。 が・・・。 何も映りません。 画像だけで無く音声も出ません。 これはもしかしたら バグって動作していないのかも。 そこでカセットの接続コネクタ部分をクリーニングして見ますがまだ ウンともスンとも言わない。 そこで液晶は一旦諦めてブラウン管TV(PC-TV454)に接続して見ます。 同じ映らない場合でもブラウン管TVなら何らかのノイズが出るとか、何かしらヒントが出る場合があ るのです。 しかし結果は真っ黒なままで何も変化がありません。 PC-TVはRGB21ピン入力の場合は チューナー或いはビデオ入力にしておき、RGBの信号が入った時点で自動でRGBに切り替わるので すが、これが切り替わらないのです。 うう~むRGBも一旦諦めてRFでトライして見ます。 で、やって見たのですがチューニングポイントによっては何やら ノイズに変化が見られますが、やはり映りません。 ノイズに変化と言う事は信号は出ているのかも。 そこで本来のアメリカのTVに繋いで見ます。 TVは別のコーナーに出てきたプレ ディクタTVです。 すると・・・。 映った! 映ったと言う事はRGBケーブルに問題がある様です。 そこでRGBコネクタのカバーを開いてチェックしま す。 すると何か配線がヘンです。 RGBの色信号配線が本来の場所にありません。 それで調べて分かった のですが、日本のRGBマルチ21ピンと海外のSCARTではコネクタの外観は同じだがピンアサインはまる で違ったのでした。 そこでSCARTコネクタを国内の21ピン仕様に改造します。 下の写真左は入手時のコネクタの状態。 本来 "G"入力があるはずのところの配線が無いのが分かります。 その隣はジャガー側のコネクタ。 24ピンの エッジコネクタなのですが、主催者が今回入手した品は上下の区別がありません。 普通に上下逆に刺さ ります。 なので上側の表示シールは必須です。 右端はジャガー本体のピンアサインです。 音声GNDと映 像GNDが別に出ています。 電圧出力も5Vと8. 8V(実測)の2つ出ています。 なおS出力の出力確認はして おりません。 それで21ピンコネクタのコネクタピン入れ替えを始めたのですが・・・。 上のピンアサイン表で言うところの 5Vが繋がっていません。 5Vが無いとRGB切り替えが出来ません。 8Vは繋がっているのですがこちらで は電圧が高すぎます。 仕方が無いのでジャガー側コネクタハウジングを開いて見ますが、接着されてい るのか中々開きません。 そこを何とか開くとやっぱり・・・。 ホットボンドで接着されていました。 これはメー カー品と言うよりマニアの自作品っぽい。 これでしたら元の配線を全て取り外し、新たに配線し直した方 が上手くできます。 そこでコネクタのホットボンドを綺麗に取り去ったのが右の写真。 新たに配線を完了させました。 自作品っぽい製品ですがケーブル自体はよい物が使われていました。 配線は完了したのですが、ホットボンドを全て取り去るとやはりハウジングとコネクタ本体が固定出来ま せんでした。 う~むぐらぐらです。 このままではすぐに断線しそう。 考えた結果、せっかく配線しましたが また配線を取り外し、コネクタに基板を付けて配線しなおします。 使われているコネクタハウジングは本来 Dサブ用の様で、内部にネジ取り付け用のモールドがありますから、そこに引っ掛ける訳です。 その結果 今度はしっかりと固定出来ました。 出来たケーブルを接続、電源を入れます。 すると・・・。 ガルルルル・・・出たー!(起動時に出るジャガー の声)。 そのまま画面を見ているとタイトル画面になり、その後ゲームのデモ画面が出ました。 このゲー ムは筒形とか矩形型の外壁に沿って敵が攻撃してきます。 そこで同軸上に自機を合わせ、敵を撃って 破壊すると言うものです。 起動したので早速プレイします。 オリジナル(ゲーセン)のテンペストではコントローラーにパドルを使用、 マイキャラの操作がダイレクトに行えましたがジャガーではどうでしょうか。 ジャガーは付属のパッド使用 ですから、十字キーでの操作になります。 で、1STプレイは・・・。 中々難しい。 マイキャラの動きが速いの で、敵のいる軸より一つ進んでしまいます。 で、後退するつもりが押すところを間違えて前進してしまい、 もう一周しますがまた一つ進んでしまう事がしばしば。 これがパッドじゃなくレバー(2方向)ならまだいい のだけれど。 つーか一番いいのはやはりパドル。 実はテンペスト2000は開発者の方が気を利かせてパド ル入力に対応しています。 過去にテンペスト2000の事を初めて知った時、パ、パドルはあるの?と即座に 思ったのですが、そんなモンは無いと知ってがっかりしたものです。 しかしそれは開発者の方も重々承知 していて、隠しでプログラムは入っていたのでした。 さすが分かってる。 そこでパドルモードを呼び出して 見ます。 やり方はジャガー本体にパッドを2つ挿します。 そしてゲームを起動、1コンのBボタンを押します。 するとゲームタイプのセレクト画面になりますから(下の写真左)、続けて1コンのオプションボタンを押し ます(下の写真中)。 そこで両方のコントローラーのポーズボタンを押します。 するとコントローラータイプ 設定モードが出現します。 コントローラーは1P、2Pそれぞれに設定出来ます。 どうしようかと思いましたが、とりあえず両方共パドル (ロータリー)に設定。 そこで普通のパッドでゲームをプレイして見ましたが、パッドの左右を押すとロータリーエンコーダーの片方 だけ繋いだ様な挙動。 まあ当たり前か。 そこで次にコントローラーを改造します。 改造は簡単で、パッドの 左右入力の部分にロータリーエンコーダーを繋ぐだけ(下の写真左)。 この状態でゲームを起動、操作した ところ良好な操作感。 これはイケル!そこで次にこれを組み込みます。 組み込み場所としては十字キーを 廃棄してその場所に付ける方法と、十字キーを残して他の部分に付ける方法が考えられます。 十字キー を残す場合は、そこにロータリーエンコーダーが繋がっていますから、別途スイッチを付けて十字キーとの 切り替え式にする必要がありそうなのと、十字キー以外の場所では肝心のテンペスト2000のプレイがしに くそうなので、今回は十字キーを廃棄してその部分に付ける事に決定。 取り付け方は十字キー部分をアク リルでフタをしてそこにエンコーダーをナットで取り付け。 問題はノブ。 これはあまり小径だとプレイしにくい し、サイズ、デザインも含めて丁度いいやつはローレット軸(ギザギザ軸)用だった。 しかもこのノブ、プラ製 ヘラヘラのノブ本体にアルミのキャップをはめ込んだ構造で、精度が悪く微妙にセンターがずれている。 な のでアクリルでノブ本体を新たに作り、アルミのキャップをはめ込む構造にします。 結果安定した操作感に。 下の写真右が完成したパドルコントローラー。 完成したパドルでプレイするとやっぱケタ違いの操作感。 下の写真左の面辺りまで行くと通常パッドでは きついですが、パドルなら快適。 思った位置にピュッと高速移動、ピタッと停止。 これはパドルならではで す。 下の写真中はボーナス面。 十字の照準を円の中にくぐらせると言うものですが、ここはパドルではム リだった。 完全にパッドでの操作に調整されている様です。 上下移動はA及びCボタンで問題無いのです が、左右移動がパドルでは大きく動いてしまいます。 しかしボーナス面以外ではパドルの完全勝利。 アイ テム取りまくり、エフェクトかかりまくり。 取ったアイテム名が画面に出るのですが、読んでいるヒマがあり ません。 ちなみに主催者、スーパーザッパー及びジャンプはまるで使こなせていません。 上の写真右の面を超えるとフィールドのワクが赤色に。 音楽も一段とカッコよくなりました。 しかもより難しく なっています。 ちなみに被弾した時のヤラレパターンは星型の枠グラフィックで、ベクタースキャンっぽくて いいです(下の写真中)。 元祖テンペストはベクタースキャンの大ヒット作です。 主催者のプレイはこの次の 面で全滅、ネーム登録画面になりましたが文字列が操作出来ず登録出来ませんでした。 しかしパドルコン トローラーを2P側に挿したところ良好に操作、登録出来ました。 さて次は主催者がもう一つ持っているジャガーソフト、ディフェンダー2000を起動します。 ジャガーソフトで 他に興味のあるソフトと言えばコレでした。 先のテンペスト2000はパッドを改造しましたが、ディフェンダー 2000は横スクロールのシューティングなので付属のパッドで問題無いはず。 ちなみにこのゲームは別の コーナーで出てきたファミコンソフト、スターゲイトの血筋を引くゲームで す。 では早速プレイ。 うむ、こちらも先のテンペスト2000と同様、色使いといい音楽といい何かシビれる世 界観。 しかし初プレイはやはり散々。 ゲームは左右転換可能な横スクロールシューティングなのですが、 自機が大きく、スピードも速い為に前方確認が追いつかず、敵にぶつかる、或いは通り過ぎてしまうので す。 下の写真中はディフェンダー2000のプレイ画面。 ゲームは敵を全部やっつけるのですが、敵宇宙船に キャプチャーされた人類も助けます。 面をクリアすると救出された人が踊り狂って祝福してくれます。 (下の 写真右)。 ここで重要なのは助けるのはオッサン。 しかもどう見てもサラリーマン。 美女(美少女)を助ける ナンパオなゲームとは格が違うのだよ格が! さてディフェンダー2000のソフトには他にもディフェンダープラスとクラシックディフェンダーも入っています。 下の写真で左がディフェンダープラス、右がクラシックディフェンダーです。 ディフェンダープラスはものすご くサイケ(褒め言葉)。 一方クラシックディフェンダーは全体的に線が太めだが自機が小さくプレイし易い。 ここで思いました。 テンペスト2000では操作法が選択出来ました。 なのでもしかしたらディフェンダー2000 でも操作法が選択出来るかも。 主催者がプレイした感覚では初代アーケードのディフェンダー式コントロー ルが良さそう。 初代アーケードのコントロールは、レバーが上下2方向、後は全てボタンで加速、方向転換、 ショット、ボムと言う構成なのです。 更に何度でも使える緊急回避としてワープもあります。 加速がボタン だと自キャラが大きくても細かな操作が出来そうな気がします。 それで取説を見てみると、通常の3ボタン コントロールの他に、6ボタンコントロールと言うのが掲載されています。 何だかそれっぽいぞ、と思い続け て読んだところクラシックディフェンダーのみ対応の様。 ううむ2000、プラスには対応していないのです。 これは残念。 とりあえずクラシックディフェンダーだけでも6ボタン仕様を確認して見ます。 6ボタンコントロールは6ボタン パッド専用と言う訳では無い様です。 6ボタンパッドで追加されたボタンはテンキーから配置されているらし いので、どちらにしろ対応は可能なはず。 6ボタン仕様にセッティングして早速クラシックディフェンダーを起動します。 操作は十字ーが上下のみ、 ボタンはAがショット、Bが加速、Cがスマートボム。 あと方向転換がテンキーの4番。 ん?ワープ(英語名 ハイパースペース)がありません。 この部分は未対応なのか?何か釈然としませんが仕方が無い。 その ままゲームをプレイします。 プレイした感想は確かにオリジナルに準じたコントロールで悪くは無いので すが、操作部分が多くなると、どうもパッドではやりにくい。 やはりここはジャガー用のジョイスティックが欲 しいところ。 そこで改めてパッドの配線を調べ、ジョイスティック化が出来るか検討します。 もし可能なら 先のテンペスト2000もロータリーエンコーダーでは無く、センサー式を取り付けたいところです。 ジャガーパッドの中にはロジックICが一個入っています。 これはカスタム品では無く一般ロジック。 なので パッドを潰さなくてもフル自作が可能なはず。 それでジャガーパッドの回路を簡単にまとめたのが下の図。 回路はシリアル変換とかは無く、バッファとダイオードが入っているだけです。 図では分かり易くする為に テンキーの部分は省略しています。 まあテンキーの部分も他と同様で、ダイオードを介してマトリクス状に 繋がっているだけです。 上の図を見ると、先のテンペスト2000でパドルモードを呼び出す時に2コンのポーズを押す・・・。 ジョイスティック化も少しの工夫でJAMMA用のアーケードコントローラーが使えるアダプタが作れそ う。 92Vあります。 ハテ?ボタン入力の後で抵抗で プルアップしていますから、これではボタンを押しても5V準拠で言うところのLoになりません。 ちなみにボ タンのダイオード側の電圧は5. 06Vでした。 そこでテスターを当てたままボタンを押すと、5. 06Vが4. 92Vに 下がり、ジャガー本体はキチンと認識しています。 良く分からんがジャガー本体は電圧ではなく電流を見 ているのか?どちらにしろJAMMA用コントローラーを繋いでいきなりLo(0V)にするのは問題があるかも。 う~んこれはジョイスティックアダプタよりも、専用のジョイスティックを作った方がいい様な気がしてきた。 JAMMAのジョイスティックが使えるアダプタを作ったとしても、クラシックディフェンダー用のボタン配置パ ネルは別途作らなくてはなりませんし、テンペスト2000のパドルもギアによる加速無しの軸直結がいいの で、加速しているアルカノイド等の業務用は使えず、やはり自作しなければなりません。 むー、しかし専用 パネルを作っても6ボタンコントロールに対応しているがクラシックディフェンダーのみだし、ワープも出来 無いし。 とか思いながらクラシックディフェンダーをやっていて何と無くテンキーの6番を押して見ました。 するとワープしました。 ハテ?ワープ入っとるやん。 続けて何度かワープしたのですが、テンキーの右列 (3、6、9、 )のどれを押してもワープします。 どう言う事やろ。 しかしワープすると結構な確立でバグる事 が分かりました。 バグとは自機が右向きの状態でワープすると別の場所に左向きで出現、加速ボタンを 押すと左向きのまま右へスクロール。 ショットは左へ発射。 要はバック状態と言う事です。 こりゃアカン。 ちなみに方向転換を押すと本来の状態に戻ります。 まあ姿勢はすぐに立て直せるのでプレイ出来無い事 は無いのですが・・・。 ひょっとしてこの部分は未完成のまま製品化されたのでしょうか。 パネルをどうするかは今後考えるとして、まずはパッド基板を作ります。 下の写真左が作ったパッド基板。 コネクタから出ていない配線がありますが、テンキーに繋がる部分です。 テンキーを付けても今のところ 方向転換とバグッたワープしか用途がありませんので今は配線無しです。 ジャガー本体との接続は、コネ クタがシュリンクDサブ15ピンなのでVGAケーブルをそのまま使うつもりでいましたが、実際には使えませ んでした。 電源がショート状態になってしまいます。 原因はジャガーではVGAケーブルで言うところのGND 端子が電源供給として使われている為で、VGAケーブルではGNDが内部で全部繋がっているのでショート 状態になってしまうのです。 全線独立結線のケーブルなら使えますが、手持ちではありませんでした。 なの でVGAケーブルは諦めてジェンダーチェンジャーでジャガー本体と接続します。 で、動作チェックをしたとこ ろ無事動作。 レバーはセイミツのLS-56を使用。 上の図面を見れば分かりますが、レバー入力のU、D、L、 Rの片側は全て同一の共通端子なので、レバーの改造をする事無くそのまま接続出来てラッキーでした。 レバーがOKなので次はテンペスト2000用のパドルを作ります。 パドルは加速無しでOKですから、その分 製作がラクです。 なお、アーケードのテンペストのパドルも加速無しの軸直結なのですが、ウェイト付き で慣性が働く様な感じです。 なので今回の自作品でもウェイトを付けて見ました。 ここで動くかどうか分からないのですがセンサー基板を作ります。 上の説明にあった様にセンサー出力の 片側がGNDではありませんからいつもと勝手が違います。 とりあえずセンサーのフォトトランジスタを単な るスイッチとして使用します。 それで最初に実験したのが下の写真左。 一回点24パルスのスリット板を使 用。 これはパッドで使ったロータリーエンコーダーが24パルスだったので同じ数の物を使いました。 それで テンペスト2000を動かすと・・・。 フォトトランジスタはOKでゲームは操作出来たのですが、なんか回転が 速い。 ブン回すとジャガー本体が追従しきれません。 う~むこれは逆にギアで減速したい気分。 しかし今 更減速ギアを組むなんて面倒くさい。 そこで小型のスリット板を新たに製作、パルスを減らす方向で対応 します。 それが下の写真中。 パルスは半分の12。 先のロータリーエンコーダーの時に24パルスで丁度良 かったのは、回転にクリックがあってそんなに早くは回せないので逆にバランスが取れていた模様。 で、 スリット板のパルスを12にした結果ですがまずまずの操作感に。 だけどやはりギア減速の方がいいかも。 いよいよパネルを作ります。 最初は6ボタンコントロールの事もあり鉄板でフル自作を考えていたので すが、先のバグとか用途がクラシックディフェンダーのみとかの件もあって何かそこまでする気が無く なってきました。 そこでセガのバーチャスティックのケースを利用して作る事に。 ただこの場合、ケース の厚みが薄いので上のパドルが収まりません。 なので薄いのを新たに作って取り付けます。 それなら ばパッド基板も新たに小さく作り、内蔵を容易にします。 見本があると続けて作るのはラクですからね。 それで完成したのが下の写真。 パネル表面のデザインは当初はカラーシートでも貼るか、と思っていたのですが、切り出した鉄板に サンダーをかけたところ何だかいい模様になったので表面に保護フィルムを貼ってそのまま使用。 それで早速使用した感想ですが、ディフェンダー2000は左右入力を入れるとすぐに最高速に達して しまい、敵を捕捉する前にぶつかってしまいます。 なのでチョンチョンと方向入力を入れて速度コン トロールするのですが、レバーだとそれがし易い。 一方テンペスト2000は、パドル入力がロータリー エンコーダーでは無く、クリックの無いセンサーなので高速回転がスムーズです。 ただ低速回転は ロータリーエンコーダーの方が安定します。 ジャガー側でのセンサー信号の分解能が低いのでパド ルからの出力も低分解になります。 その為ゆっくりした回転時はクリックの無いセンサー式では、 信号の切り替わり時にもたつく時があるのです。 まあこれは慣れの問題かも知れません。

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