池田 大作 指導。 池田大作

池田先生の指導・励ましから 第11回=完 座談会――善知識たる友の集まり

池田 大作 指導

創価学会第3代、池田大作名誉会長の指導について。 たとえば、家が貧しくて、学校の月謝が思うように払えない人もいるかもしれない。 欲しい物が買えず、寂しい思いをしている人もいるかもしれない。 しかし、過去の多くの人たちがそうだったのです。 貧しいことは、ひとつも恥ではない。 邪 よこしま に生きることが恥です。 心が貧しいことが恥ずかしいことなのです。 大邸宅に生まれたから幸福か。 貧しい家に生まれたから不幸か。 そんなことは絶対に言えない。 今の人は、お金があれば幸せだと思っている人が多い。 大きな間違いです。 財産と幸・不幸は、まったく別の問題です。 裕福で、だれもが、うらやむような家庭でも、外からみたのではわからない深刻な悩みがあるものです。 以前、世界的に有名な財界人と語り合った。 彼はこう言っていた。 「自分は有名になり、財産もできた。 しかし、貧乏の時のほうが生きがいがあり、目標があり、人生に戦いがあった」と。 そして「だからこそ今、人々に貢献していかなければならないと、最近わかってきた」と語っていた。 重みのある話です。 そうではない。 「だからこそ、人間らしい世界であり、人間らしい自分になれるのだ」。 こう思ってもらいたい。 立派そうなうちに生まれたら、理想的に思えるかもしれないが、しきたりや伝統や見栄に縛られた、機会のような世界では、本当の人間らしい生き方はできないでしょう。 親の夫婦げんかを見ても、自分が怒られても、人に馬鹿にされることがあっても、にっこり笑って、全部、自分を、人間として「大きな人間」にしてくれているんだ、自分の「大きな心」をつくってくれているんだ、と思うことです。 そういう苦しい思いをしてこそ、人の気持ちもわかるのです。 人の気持ちがわからない人は、本当のリーダーにはなれない。 今の社会の不幸は、人の気持ちがわからない指導者が多すぎることです。 悲しみと苦痛が、自分という大地を耕してくれる。 そこから「人を幸福にしたい」という美しい心の花が咲くのです。 「お母さんが、あまりにも口うるさいので、腹が立って、ほとんど口をきかない」という人もいます。 もちろん、お母さんと仲がよくて、何でも話せる人もいますが・・・。 私も、進路のことや、生活上のことで、よく母と口げんかしました。 「自分の思い通りにさせてほしい。 ほっといてよ!」と 笑い。 池田 母親というのは、うるさいものなんだ 笑い。 母親が口うるさくなかったら、「他人」になってしまう。 母親が「勉強しなさい」とか、「いつもテレビばっかり見て!」とか、「朝寝坊するな」とか言うのは、大昔から決まっていることです。 それを変えようと思っても、しかたがない。 自分が親になれば、親の気持ちもわかってくるでしょう。 だから、うるさく言われたら、「大声が出るのは元気な証拠だ。 よかった」 笑い 、「あれが愛情の表現なんだ。 ありがたいな」と、おおらかに受け止めたら、どうだろうか。 それができないうちは、精神的に子どもと言われても、しかたがないのではないだろうか。 どんな動物でも、親から餌の食べ方や、獲物の捕り方、行き方、知恵を授かっている。 いわんや人間です。 いろいろ言ってくれるから、正しい方向に行くことができる。 それは大人になってから、わかることだ。 (『青春対話』池田大作より) ですが、実際は、 創価学会名誉会長の池田氏は全国の会館を別荘のように使い、(専用の部屋がある) 夫人には専属のヘアメイクが付き、洋服もすべて御誂えですのに、 貧困にあえぐ末端の会員さんの苦しみや辛さが解るはずがない!! (第二代会長の戸田氏は「裕福になりなさい」と指導していましたが。 この指導についてどう思われますか? >この指導についてどう思われますか? 池田氏の言葉には重みがありますね。 あなたが言うところの 池田氏への批判は、まったく的を射ていません。 それに、あなたが創価学会員に対する強い偏見を持っている以上、どんなに素晴らしい教えも、創価学会員の姿も正しく認識することはできないでしょう。 >過去の話とは言え、そのような方々を >高金利で縛り付け、挙げ句の果ては、 >担保として、家土地までも奪い取っていく。 >そんな黒い過去がある彼に、 >「何ヌカしとるんじゃ、ヴォケが!!」 >と思うのは、私だけでしょうか? かつて金融機関に勤めていたことを揶揄しているのでしょうが、仕事と宗教は違います。 それに、あくどい商売をしたという根拠さえありません。 あくどいのは、このbilさんですよ。 知恵袋で創価学会員を見つければ、すぐに相手を特定して攻撃を始めます。 もともと、創価学会に対して異常なほどの敵対心と邪心を抱いているのです。 知恵袋はケンカの場ではありません。 それから、画像の記事は、新聞「赤旗」1988年7月18日の15面ですね。 ご存知かと思いますが、共産党は創価学会や公明党を攻撃するため、赤旗を使ってデマ記事を載せます。 政治的には公明党と敵対関係にあり、その支持母体である創価学会を攻撃するのは、他の政党と同じです。 このような記事が書かれた背景を考えれば、記事の信憑性というものを少しは考えるべきでしょう。 あなたは、新聞という名のもとに記事が載れば、何でも信じるほど愚直でおめでたい方なのですか?笑 自分を利するために共産党のデマ記事を利用するのですか? それとも、君は共産党支持者か?笑 道徳を説く人物、社員に説教を垂れる経営者ほど自分だけは財産ため込んでるものですんで注意が必要です。 また下の回答者の方が「戸田城聖が事業をしていて池田大作は戸田の下で働いていた」と正直に答えて下さって私は本当に感謝したい 創価在日は戸田と池田が事業をしていたことを絶対に認めません のですが、 『その事業とは大蔵商事という無尽 闇金 ですwwwwwww』 「戸田先生に仕え、仏法を実践しながら社会で奮闘し、裕福になった」のではありません。 下々の労働者、自営業者に違法な高利でカネを貸し身ぐるみを剥がし一家を離散させ娘をソープへ売らせ内蔵を売らせて債務者に人生を散々に狂わせて池田大作はカネを貯め込み文部官僚を札束で叩いてFラン学校法人の理事長に転がり込み、自民党に選挙資金を提供してカネで飼いならしのし上がってきたのです。 こんな薄汚い人間が宗教家だといえるのでしょうか?.

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池田先生の指導・励ましから​ 第1回 誓願――広宣流布への決定した一念

池田 大作 指導

「信心だけは、好きであろうが、嫌いであろうが、 どうしても必要なものです。 ご飯を食べ、水を飲まなければ生きていけないように、 正しい信心がなければ、絶対に福運ある生涯は送れない。 活力ある、楽しい人生を送ることはできません」 「信心は、究極においては神経質であってはいけません。 罰があろうが功徳があろうが、 「御本尊様は絶対だ。 どんな事態があっても、一切が変毒為薬(へんどくいやく)されるんだ。 何かの意味があって、この現証があるんだ」 こう確信し切って、題目をあげて、あげ抜いていく。 学会活動に一直線に進んでいく。 この人が、本当の信仰者です」 「観念論であってはなりません。 仏法は実証主義です。 現証主義です」 「種(たね)を蒔けば、必ず花が咲く。 10年、20年と信心に励んだ人が、「これほどまでに幸せになった」 「ありがたい、想像もしなかった幸福生活である」となる。 これが所願満足です」 (以上、大白蓮華2014年12月号 飛翔の原点 記念撮影会より) 残業続きの日々。 通勤電車で開いた大白蓮華(だいびゃくれんげ)。 くたくた、よれよれの体に池田先生の指導が染み渡る。 感謝と歓喜が入り混じった血潮が動き始める。 心が温かくなり、こぶしをぎゅっと握りしめる。 私は幸せです。 「本当に功徳はあるのだろうか」と疑いたくもなるでしょう。 でも、全部、解決する。 この信心は、おとぎ話じゃない。 信心は理屈ではありません。 理屈なんか食べることも着ることもできません。 私は理屈で信心なんかしません。 幸せになれるか、なれないか、その一点が重要なんです。 不幸に泣いてばかりいる人生なんか嫌です。 私は幸せになるために信心をしました。 そして「想像もしなかった幸福生活」を得ることができました。 冬を春へと変える。 悲嘆を歓喜に変える。 枯れ木に花を咲かせ、荒涼とした砂漠にオアシスを創る。 自分自身という人生を使って仏法の偉大を証明する。 その決意があるから、私は今も闘争を続けられるのです。 私は必ず、生涯、「所願満足の人生」をまっとうします。 それは、池田先生が望まれている人生だからです。 私は大白のこのシリーズが大好きです。 信心は神経質になってはいけない、何があろうが意味があるととらえてお題目をあげ抜いていく。 人生何がおこるか本当にわかりませんもんねえ。 私は怖がっています。 でも、とにかくお題目がある。 今年の私の本当に苦しかった体調不良もとにかくお題目と仏法対話とまたお題目で乗り越えてこられたと思います。 体調不良のおかげで未入信の母がお題目をあげてくれるようになった事、ここまで回復できたこと、辛い事にも意味があり、この信心にはやっぱり力があること教えてもらいました。 まだまだ心配な事、たくさんありますから、祈って祈って動いていこうと思います。 きっと一番いい方向に進んでいくんだと思います。 外部リンク• 検索 カテゴリ 最新のコメント by そうねん。 at 14:04 by kaisen at 10:49 by sokanomori3 at 05:07 by sokanomori3 at 04:53 by sokanomori3 at 04:32 by そうねん。 at 18:22 by sokanomori3 at 14:54 by sokanomori3 at 14:33 by sokanomori3 at 14:25 by sokanomori3 at 14:11 by sokanomori3 at 13:38 by kaisen at 08:19 by kaisen at 06:00 by 千早 at 19:38 by キョンシー at 08:53 by sokanomori3 at 21:06 by ゆうこらそん at 15:41 by sokanomori3 at 07:01 by sokanomori3 at 17:22 by sokanomori3 at 15:24 リンク.

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楽天ブックス: 池田大作先生指導集 幸福の花束3 平和を創る女性の世紀へ

池田 大作 指導

池田先生は、若き日から日蓮大聖人の仏法を基調とした人間主義の哲学を通して、世界中の同志を励まし、人生の羅針盤(らしんばん)となる指針や指導を数多く送られてきました。 それらの指導や励ましは、現実生活に即した「実践の教学」を基盤としたものであり、世界宗教として飛翔(ひしょう)する創価学会の思想や哲学を端的に表すものです。 新連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に紹介。 併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。 第1回のテーマは「誓願(せいがん)」です。 小説「新・人間革命」第24巻「厳護」の章 【あらすじ】1977年(昭和52年)を、創価学会は「教学の年」と定めて前進を開始しました。 これは、山本伸一会長の提案によるものであり、「広宣流布の新章節を迎えた学会が、さらに大飛躍を期すためには、これまで以上に、全同志が、御書を心肝に染めなければならない」と考えたからです。 さらに、「聖教新聞」の同年元日付から4回にわたって、山本会長による「諸法実相抄(しょほうじっそうしょう)」講義が掲載。 山本伸一は御書を拝して、「地涌の菩薩の本領」という点について語ります。 伸一は、地涌の菩薩の本領(ほんりょう)とは何かについて、掘り下げていった。 「菩薩の本領は、『誓願(せいがん)』ということにあります。 そして、地涌の菩薩の誓願とは、『法華弘通(ほっくぐつう)』にあります。 ゆえに、心から周囲の人びとを幸せにしきっていく、広宣流布への『誓願』の唱題が大切です。 厳しく言えば、『誓願』なき唱題は、地涌の菩薩の唱題ではないのであります」 「誓願」には、魔に打ち勝ちゆく、仏の生命のほとばしりがある。 伸一は、全同志が、一人も漏れなく、大功徳に浴してほしかった。 病苦、経済苦など、すべてを乗り越えて、幸せになってほしかった。 そのための祈りの要諦こそ、「広宣流布への誓願」なのである。 皆、それぞれに、さまざまな問題や苦悩をかかえていよう。 題目を唱えれば、もちろん功徳はある。 広宣流布を誓願し、唱題に励む時、自身の胸中に、地涌の菩薩の大生命が涌現し、日蓮大聖人の御命が脈動して、己心の仏界が開かれるのである。 そこに、境涯革命があり、宿命の劇的な転換も可能になるのだ。 また、弘教(ぐきょう)など、広宣流布のための挑戦課題を成就(じょうじゅ)せんと悩み、唱題すること自体、既に地涌の菩薩の生命である。 ゆえに、その実践のなかで、個々人のさまざまな苦悩も、乗り越え、解決していくことができるのだ。 「誓願」とは、仏や菩薩が民衆を幸福にしたいと誓い、その成就を願うことです。 仏教の創始者である釈尊(しゃくそん)の願いは、法華経方便品に「如我等無異(にょがとうむい)」(我が如く等しくして異なること無からしめん=法華経130ページ)と説かれています。 法華経の如来神力品(にょらいじんりきぼん)では、地涌の菩薩の上首(じょうしゅ)である上行菩薩が、滅後の弘通(ぐきょう)を勧める釈尊(しゃくそん)に応えて、成仏の肝要(かんよう)の法を人々に教え弘めていくことを誓願し、釈尊から滅後悪世(めつごあくせ)の弘通を託(たく)されるのです(付嘱)。 末法である鎌倉時代に誕生された日蓮大聖人は、全ての人々を仏にする方途として、南無妙法蓮華経の大法を顕(あらわ)され、弘(ひろ)められました。 大聖人は「日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(御書1558ページ)と仰せです。 また、他の御書には「大願(だいがん)とは法華弘通(ほっけぐつう)なり」(736ページ)ともあります。 苦悩にあえぐ人々を救い、広宣流布を進めることが大聖人御自身の最大の願いであったのです。 日蓮大聖人はこの御文で、御自身と同じ心で広布に戦う弟子は「地涌の菩薩」であると教えられています。 地涌の菩薩は、法華経従地涌出品(ほけきょうじゅうじゆじゅっぽん)に登場する菩薩であり、釈尊が、滅後の弘通(ぐつう)を託(たく)すために大地の下から呼び出した無数の菩薩です。 この答えの中で釈尊が語ったのが、「我久遠より来かた是等の衆を教化す」との言葉です。 釈尊が久遠の昔から、地涌の菩薩を教化してきたとの意味です。 この経文を通して大聖人は、仏法の師弟の絆が久遠の昔から結ばれていることを明かされています。 そして弟子たちに、「日蓮と同意」の心で、広宣流布に生き抜くよう、呼び掛けられているのです。

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