トゥール スレン 博物館。 忘れられない!プノンペンのトゥールスレン博物館

トゥールスレン虐殺犯罪博物館 【カンボジア】

トゥール スレン 博物館

1,596,860アクセス• トゥール・スレン刑務所は、元高等学校の校舎だった。 ポルポト派が実権を握ったあと、革命の敵を殲滅するため、アメリカのスパイを洗い出すために創り出した、特務機関S21(セキュリティ21)本部=拷問して白状させ、スパイのレッテルを貼って、キリングフィールドに囚人を送り込む、世にもおぞましい、装置だったのです。 ここに来る前に日本で、200万人とも言われる「大量虐殺=ジェノサイド」に関する本を数冊読みました。 ジャーナリストの書いたS21に関する本、虐殺された側のヒト(生き残り)が書いた詳細なノンフィクション、が印象に残っています。 映画=キリングフィールド、はどこかで見ました。 ざっくり言えば、総人口1000万人のうち、2割の200万人のジェノサイドです。 日本で言えば、2000万人以上が虐殺されたことになるのです。 殺した側は同民族なのです。 史上、稀なるジェノサイドです。 ショッキングな写真が多く出てきますが、国家機密でも何でもありませんので、公開致します。 まあ、きょうび、ウィキ・リークやYou Tubeでいくらでもショッキングな映像がオン・エアしていますので、コレくらいは許してください。 霊感が強い訳ではないのですがここだけは恐ろしく霊気が感じられて入る気がしませんでした。 ポルポトは最期の頃には「毛沢東に騙された」と言っていたそうです。 毛沢東はカンボジア人の若い娘を500人中国に送らせて中国人の子を産ませ、自分に忠実な洗脳されたカンボジア人を製造して、一方で国家を運営する力のある政治家、官僚、学者、文化人などを根絶やしにして運営不能にしておいてカンボジア人と中国人の混血児の配下を送り込みカンボジアを中国の実質一部にする計画だったと言われています ポルポトはまさか国境を接していないのでチベットや西双版納のように中国に飲み込まれるとは思っていなかったようですが甘かったようです。 事実このやり方はチベットで洗脳したチベット人をスパイとして送り込んでいる事を見れば同じことをやっているんですね。 毛沢東からの指示の栄養量は3年目に栄養失調で死ぬように指示されていて残虐さを感じます。 目的は1年に3度も収穫できる豊かなカンボジアの農地だったそうです。

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静かな恐怖が漂うトゥールスレン虐殺博物館でカンボジアの現代史を学ぼう|海外旅行情報 エイビーロード

トゥール スレン 博物館

罪のない人が拷問された地「トゥール・スレン」 カンボジア・プノンペン市内にあるトゥールスレン虐殺博物館。 プノンペン郊外にあるが虐殺を実行する場所ならば、ここトゥールスレンは拷問を行う場所です。 建物内部の撮影はほとんど禁止されていて写真は少ないですが、本記事でトゥールスレン虐殺博物館の雰囲気について少しでもお伝えできればと思います。 トゥール・スレン虐殺博物館とは(概要・入場料など) トゥールスレンは、原始共産主義者ポル・ポトが率いるクメール・ルージュによって革命が達成されたあと、反革命分子とされた人たちが収監されていた場所です。 ここはもともと高校でしたが、クメール・ルージュの支配下において学問は禁忌だったため、S21という暗号で呼ばれる秘密の政治犯収容施設として使われていました。 1976年〜79年の間にトゥールスレンに収容された人は約2万人にも上り、生存者はたったの8人しかいなかったそうです。 現在は「トゥール・スレン虐殺博物館」という名前で一般公開されています。 内部は当時の状態のまま残されているものが多くあり、とにかく生々しい展示が印象的です。 トゥールスレン虐殺博物館の基本情報 営業時間 8:00 〜 17:00 休館日 なし 入場料 5ドル (音声ガイド:3ドル) 住所 Tuol Sleng Genocide Museum St. 113, Boeung Keng Kang III, Chamkarmorn Phnom Penh, Cambodia 公式サイト トゥールスレンの内部の様子 ここからはトゥール・スレン虐殺博物館の施設内の様子をお届けします。 施設発見時に残されていた人たちの慰霊碑 まず最初に目に入ってきたのが、このお墓のようにならべられた石たち。 トゥールスレンが発見された時に遺体で残されていた14人のための慰霊碑だそうです。 ベトナム軍によって制圧される直前に殺害されていたことから、トゥールスレンにおける最後の犠牲者ともいえますね。 撮影禁止の建物内 もともと校舎として使われていた建物の内部では、当時の状態のままにされた部屋や、写真などの資料を見ることができます。 犠牲者の方の写真• クメールルージュの看守の写真• 人型に凹んだ鉄製のベッド• 細すぎる足枷や手錠• 大量の血の痕が残った拷問部屋 などが展示されており、そのほとんどが撮影禁止でした。 3階の廊下の様子。 写真だけ見ればただの古びた学校に見えますね。 現に部屋の壁には黒板が貼ったままだったり、校舎の名残も多くありました。 トゥールスレンで看守として拷問を行なっていたのは、ほとんどが10代の子供たち。 拷問に使われていた遊具 もともと子供たちが運動をするために建てられていた遊具。 クメールルージュはこれを拷問に使っていました。 まず両腕を背中で結んでロープで吊るし上げ、気を失うまで上下に揺さぶる。 そして気を失うと肥料(汚物)入りのかめの中に頭を突っ込んで意識を回復させ、ふたたび吊るし上げるということを繰り返していたそうです。 なにもやっていないと正直に話せば永遠に拷問を受け、なにか作り話をして自白をすれば拷問は止められるが死刑になる。 これが自国民に対して行われてたんだから、もうめちゃくちゃな話ですよね。 毎日いわれのない罪のために続く尋問と拷問。 医者は殺してしまったため、拷問による傷も治療されることはなく、傷口には塩水をかけられ、薬のかわりに野菜を食べさせられるだけ。 衛生状態が最悪な部屋の中にしきつめられる生活。 あまりにも空腹すぎて、部屋の中に飛んできた虫を捕まえて食べる人もいたそうです。 こんな状況では死んだほうがマシだと思うのも無理のない話かもしれません。 校庭に掲げられた慰霊碑 元々は高校の校庭だったであろう場所に、大きな慰霊碑が建てられていました。 この慰霊碑の周りにはベンチも置かれているので、犠牲者の方々にお祈りをして、数多くの悲惨な展示を見たあとの気持ちを少し落ち着かせるのもいいと思います。 「民主カンプチア時代に犯した罪を、我々は絶対に忘れない。 」 忘れないのはもちろんのこと、特に若い世代や国外の人たちなど、少しでも多くの人にこの事実を伝えつづけることが大切ですね。 トゥールスレン虐殺博物館を見学する際のポイント• オーディオガイドは必須• 滞在時間は十分に確保しておきましょう• 心の準備をしていきましょう トゥールスレン虐殺博物館はオーディオガイド前提で展示がされているので、必ず入り口で借りることをおすすめします。 (日本語あり) オーディオガイドでは、部屋や展示に関する詳しいエピソードや、クメールルージュに関する説明などを聞くことができます。 なおこのオーディオガイドを全て聞くと3時間ほどかかるので、見学にかける時間はかなり多めに見積もっておきましょう。 また、トゥールスレン内の展示物は本当に生々しく、普通の心の持ち主ならほとんどの人が胸をえぐられるような気持ちになると思うので、しっかりと事前知識を入れるなど、心の準備をしてから行くことをおすすめします。 敷地内にはベンチも多く設置されているので、拷問部屋や写真などを見て気分が悪くなってしまった場合は、休憩をはさみながらゆっくりと見学するようにしましょう。 そういった意味でも、時間には余裕をもって訪れるといいですね。 ただの遺産にしてはいけない場所 トゥールスレンとキリングフィールドを合わせて見学したことで、人間に本来眠っている悪(という表現が正しいのかわかりませんが…)の部分をこれでもかと見せつけられる体験となりました。 これをただの過去の出来事としてとらえるのは簡単ですが、二度と同じことがおきないように全ての人が関心を持って次に繋げていくことが必要であり、また難しいことでもありますね。 カンボジアを訪れた際はアンコールワットだけじゃなく、こういった負の遺産にも訪れて、少し考えを巡らせてみるのもいいと思います。

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忘れられない!プノンペンのトゥールスレン博物館

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サイト引越し中。 新ブログのです。 こんにちはー。 シェムリアップでのアンコールワットマラソン完走した翌朝5時。 シンガポールへ帰るみゆきさんと涙のお別れをし(泣いてないけど!) 私もそのあと8時前にはプノンペンに向かうバンに乗車して、 グッバイシェムリアップ!! シェムリアップからプノンペンまでは休憩を一度挟み7〜8時間で到着。 14:20頃にはプノンペンのセントラルマーケット付近に到着。 有名なキャピトルゲストハウスにチェックインし、すぐ近くのバスオフィスに チケットを取りに行くと丁度タイに向かうバスが翌日とのことで.... タイに帰るチケットを17ドルで購入。 そうと決まれば時間がない。 プノンペンに来たら絶対に行こうと思っていた場所がありました。 それは 「トゥール・スレン虐殺博物館」。 1976年、クメール・ルージュが「革命に学問は不必要」という理由で 医者や弁護士などの知識人をはじめ罪のない人々を次々と捕まえ、 当時無人だったリセ(学校)を尋問・拷問する場所に転用。 2 年 9 ヶ月の間 14000 〜 20000 人の人々が収容されたとされる。 驚くべき事にその中から生還したのは 8 名。 詳しくは 」を参照ください 1976年といったら(私自身は生まれていませんが)つい最近のことです。 トゥールスレンのことを知った時、最近までそんな残虐な行為が ここカンボジアで行われていたことに衝撃を受けたものでした。 知識人が率先して処刑されたことによりそれが今も カンボジアの発展を遅らせている原因となっていると言われています。 宿からトゥクトゥクで1ドル。 トゥールスレンは宿からそう遠くはなく、街中に突然現れます。 でもそれも驚くことではなく、元々は学校だったのですから、当然なんですけど.... 見た目は普通の学校。 門の前に立っていると肩をとんとんと叩かれました。 振り向くと、目の前にバッ!と差し出される手。 ぎょっとしたのは手をいきなり差し出されたからではなく、その男性の見た目。 髪の毛が全くない頭の皮は所々引きつっており、 両目は顔の変形した肉に埋もれてしまっていて、見えているのかいないのか。 その時、びっくりした衝撃でリクシャのお兄さんから受けとった 小額のおつりを渡してしまいました。 病気か、地雷か、アジアではこういうひどい怪我をした人にたまに会います。 トゥールスレン内に入ると、2ドルの入場料と3ドルの冊子で「5ドルだ」と 言われ、支払い入場。 (冊子は購入しなくてもいいのかも?) 中に入ると、本当にここは学校だったんだという構造。 中は奇麗なのですが..... 一歩足を踏み入れるとどこか空気が違うのがわかります。 クメールルージュが撤退し、施設が暴かれたとき 拷問を受け亡くなった人の死体がそのままになっていたそうです。 拷問に使われたベッドとその写真。 当時のままの床のしみ。 何で罪のない人達が意味の分からない理由の元に殺されなければいけなかったのか ただただ恐ろしい。 残された当時の拷問器具の数々。 学校の地図か このあたりから、施設の持つ異常な空気に少し腹痛が。 上の階などは、一人では歩くのは恐ろしいくらい。 長い廊下。 ひんやりとした無機質な鉄のベッド。 ここで殺された人はこの窓から光を浴びることはあったのだろうか? 外に出たかっただろうなあ.... 生々しいほどの当時の様子を伝える写真。 いくつもの部屋があります。 いつ付いたものか、ひっかき傷 これだけ見ると普通の学校なのに... これは血の染みだろうか 可愛らしいタイルがこの部屋の荒廃した雰囲気を逆に際立たせている 階段の踊り場。 ブーゲンビリアの花が奇麗に咲いている。 傷の数々。 ここでは会話禁止。 有刺鉄線の張り巡らされた校舎。 独房の部屋番号か 撮影はしましたが、ここには恐ろしくて長くはいられない こんな狭いところに閉じ込められたら気が狂ってしまう 壁の文字に恐怖を感じる 当時のものか ここに落ちる光は美しいのに 木造の独房。 中は、暗い。 中に入るのもためらわれる程の空間。 目を逸らしてはいけないんだけど ここのコーナーには亡くなられた方のおびただしい程の写真と 本物の大量の頭蓋骨と、生存者の話を元に当時の拷問の様子の絵が 展示されており、バシャバシャ写真を撮っている人もいましたが.... さすがにここは撮れませんでした..... ぐるっと回って1〜2時間ほど見たのですが、 ただひたすら「何で彼らは死ななきゃいけなかったんだろう?」と そればかりが頭の中に。 よく整頓された芝生の広場にはブーゲンビリアが奇麗に咲いた樹と、 夕焼けの柔らかい光を浴びながらバドミンドンをしているカップルがいたりして、 ここで沢山の人が亡くなったなんて本当に信じられない。 歴史は残酷.....。 のどかに見えるカンボジアの風景も、こんな悲しい歴史が背景にあることがわかると 見る目が変わってきますね。 こんな歴史が二度と繰り返されないことを祈ります....。 なんとも言えない気持ちになりましたが、行って良かったです。 さて、次はまた カムバック・タイ! まさかの半日滞在でしたプノンペン....。

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