ポ ソ 戦争。 POSOとは (ポソとは) [単語記事]

宗教戦争?

ポ ソ 戦争

第1次〜第3次の3回に渡って起き、特に第3次紛争は最大の犠牲者を出した。 紛争全体で1000〜2000人もの双方住民が死亡、約10万人もの避難民が発生したとされる。 インドネシア・中スラウェシ州ポソ県。 キリスト教プロテスタントやムスリム イスラム教徒 、ヒンドゥー教徒等といった、 多種多少な民族と宗教が混在している街である。 だが、それぞれの住民は平和的な関係を築いて平穏に暮らしていた。 紛争の発端は1998年12月24日、キリスト教徒が多いポソ県コタ郡のロンボギア村に住む若者が、 イスラム教徒の多いカヤマニャ村に住む若者を刃物で切り付けたことから起こったとされる。 両者の衝突でおもにキリスト教徒の住宅約400軒が焼き討ちの被害にあった。 これを第1次ポソ紛争と呼ぶ。 00年4月には再びロンボギアとカヤマニャの青年集団が衝突を起こした(第2次ポソ紛争) 00年5月から01年12月までの第3次ポソ紛争は、もっとも激しい衝突となった。 キリスト教は「赤グループ」、イスラム教徒は「白グループ」と呼ばれる民兵集団を組織し、互いの村を襲撃しあう事態となる。 00年5月にはポソ県ラゲ郡のシントゥウレンバ村にあるイスラム寄宿学校が襲撃を受け、200人あまりが殺害された。 虐殺の被害者はヤシの木に目隠しをされて縛り付けられ、パランと呼ばれる山刀で首を切断されたうえ、川に遺棄されたという。 01年7月にもムスリムが多く住むセベ村で、多数のイスラム系住民が虐殺される事件が発生する。 これに対し、イスラム教徒を支援する目的で、ジャワからムスリムのジハード(聖戦)部隊がポソに送り込まれ、 キリスト教徒の多い地区を襲撃し、事態は悪化の一途をたどった。 暴力の応酬が繰り広げられる中、州警察の治安部隊が投入され治安維持にあたるが、 治安部隊は事態を鎮静化させるどころか、多くは積極的に介入せず紛争を放置し、 一部の部隊においては紛争に積極的に関与していたことが分かっている。 一例として、01年12月に起きたトヤド事件がある。 当時、ラゲ郡バトゲンチュ村・セペ村を守備していた部隊が襲撃され負傷者を出した。 部隊は襲撃側としてトヤド村を捜索しムスリムの村住民8人を誘拐、キリスト教徒の住む村までトラックで運び、キリスト教徒の群衆に引き渡した。 この8人は逃げ出した2人を除いて群衆にリンチの上殺害され、ゴミ捨て穴に遺棄されたという。 事態が深刻化してようやく政府が紛争に介入する。 政府の仲介でキリスト教徒・イスラム教徒側双方が出席して、 南スラウェシ州ゴア県マリノで会合が開かれ、紛争の停止などを定めた「マリノ宣言」が調印され大規模な紛争は終息に向かう。 しかしその後も両者の緊張状態は続き、03年にはポソ周辺で覆面をした武装集団により、13人のキリスト教徒が殺害される事件が発生。 また、05年5月28日にはテンテナの市場で爆弾事件が起き22人が死亡、70人以上が重軽傷を負う。 10月29日にはキリスト教徒で15歳〜17歳の女子高生3人の頭部が、イスラム教徒によって切断される事件、 数日後の11月8日にはキリスト教徒の女子高生2人が狙撃され殺害される事件がそれぞれ起きている。 この事件の犯人は逮捕されているが、この犯人も紛争によって親族を多数殺害されており、 その報復の為に事件を起こしたと供述している。 今まで平和的な関係を築いてきたキリスト教徒とイスラム教徒との間に大規模な衝突が起きた原因は、 根源的には開発に取り残されたキリスト教系住民の不満があるとされる。 だが、第1次紛争では県知事選挙での再選を目指すムスリムの現職県知事と、キリスト教徒の書記との政治対立が 住民間の争いにつながったことが明らかになっている。 特にムスリムの県知事パタンガは住民を動員・扇動するためにキリスト教徒を非難する 「ポソ県治安攪乱分子リスト」というビラを撒いたことで紛争扇動の罪で逮捕され、有罪判決を受けている。 00年のシントゥウレンバ村大虐殺では、首謀者とされる男3人が逮捕され死刑判決・執行を受けてるが、 宗教的にはプロテスタントという少数派で、貧しい移民労働者でしかない男達が襲撃を主導できたとは考えにくく、 スケープゴートにされたものと思われる。 この虐殺の黒幕には、国軍退役軍人や先にあげた県書記の名前があがっているが、真相は闇につつまれたままである。

次の

ペレポネソス戦争

ポ ソ 戦争

概要 [ ] との住民対立が原因で1998年12月末、がポソで勃発し、約1,000人が死亡(実数不明)、数万人(実数不明)が避難民となった。 紛争の発端は、ムスリムの少女がキリスト教徒にレイプされたという噂が原因だったという。 この抗争により、数千人ものムスリムとキリスト教徒が死亡し、60,000世帯以上が避難したとも伝わっているが 、正確な死者数、避難民の数は未だに不明である。 この紛争を記録した映像がに、何者かによってアップロードされたことにより、紛争の残虐性を世界中に知らしめることとなった。 映像には対立する宗教の住民の生首を掲げる民兵や、激しく損壊した遺体、遺体を抱き泣き叫ぶ人々、を振りかざす男性、一方的なを受けた住民などが映し出されており、紛争が如何に残虐で凄惨なものであったかを印象づけている。 なお映像の初出は、後に組織のによるものと判明する。 映像には異教徒に対する一方的な殺戮しか映っていない。 特に女性や子供も容赦なく虐殺されているため、本来人々を幸福に導くべき宗教の対立がもたらす悲劇や、通常の戦争・紛争とは違う宗教間対立の持つ異質な争いであったことが伺える。 2001年12月、政府の調停で、ムスリムとキリスト教徒の和平合意(マリノ合意)が結ばれ、宗教紛争は沈静化に向かうかに見られたが、近年組織やスラウェシ州の人間ではない外部の組織が住民を煽っていることが解ったため 、単なる宗教紛争で片付けられない様相を呈している。 内容 [ ] ポソ宗教紛争を記録した6分43秒の映像 実際は14分53秒であるがカット編集した6分あたりの物が有名 がイスラーム主義組織ジェマ・イスラミアによって動画共有サイトに投稿された。 映像公開の理由は、宗教戦争の雰囲気を醸成するためであったとされる。 映像は、戦場となったポソの住民が女子供関係なく惨殺されている凄惨な様子が記録されている。 猟奇的な内容から視聴上、を引き起こす可能性があり興味本位での視聴には十分注意されたい。 なおオリジナル映像にはモザイクやぼかしが一切無い。 以下は、この「POSO」に記録されていた内容である。 額の皮がめくられる。 最初は顔のアップ、そして担架で運ばれる。 遺体の脚。 遺体に新聞紙が被せられる。 男性は警察にトラックの荷台に投げ込まれ、どこかに連れて行かれる。 参考文献 [ ]• 関連項目 [ ]• 脚注 [ ]• Dan McDougall, , ,• 2007年3月7日. 2014年3月6日閲覧。 [ ].

次の

POSO

ポ ソ 戦争

概説 [ ] 、との間で抗争が勃発し、約1,000人が死亡、数万人が避難民となった。 抗争の発端は、ムスリムの少女がキリスト教徒に性的暴行を受けたという噂が原因だった。 この抗争により、数千人ものムスリムとキリスト教徒が死亡し、60,000世帯以上が避難したとも報告された。 死者数、避難民の数は正確には分かっていない。 12月、政府の調停で、ムスリムとキリスト教徒の和平合意「マリノ合意」が結ばれ、宗教抗争は急速に沈静化に向かったが、依然として緊張状態や組織的攻撃は続いている。 には、ポソ地区で覆面をした武装集団により13人のキリスト教徒が殺害された。 5月には、近くのの街で爆発があり、22人が死亡、30人以上が負傷した。 その数日後、同地区で2人の17歳の少女が銃撃され、殺害される。 には15歳の少女2人と17歳の少女が首を切断されるという事件が発生した。 この事件では2006年と2007年に3人の男が逮捕され、有罪判決を受けている。 影響 [ ] インターネットのにポソ宗教戦争の凄惨な様子を撮影した「 」という動画がアップロードされた。 動画には対立する宗教の住民の生首を掲げる民兵や、犠牲者の激しく損壊された遺体、リンチを受ける住民などが映し出されており、紛争がいかに凄惨なものであったかを住民に印象づけるものとされていたが、後に捜査が進展すると、が宗教戦争の雰囲気を醸成する目的で公開したことが明らかにされた。 関連項目 [ ]• () 1999年 -• 脚注 [ ]• Dan McDougall, , ,• , ,• 2008年1月12日, at the. 参考文献 [ ]•

次の