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般若心経歌詞

仏説・摩訶般若波羅蜜多心経 ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時 かんじざいぼさつぎょうじんはんにゃはらみったじ 照見五蘊皆空 しょうけんごうんかいくう 度一切苦厄 どいっさいくやく 舎利子。 しゃりし 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。 しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき 受・想・行・識・亦復如是。 じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ 舎利子。 しゃりし 是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。 ぜしょほうくうそう、ふしょうふめつ、ふくふじょう、ふぞうふげん 是故空中、無色、無受・想・行・識、 ぜこくうちゅう、むしき、むじゅそうぎょうしき 無眼・耳・鼻・舌・身・意、 むげんにびぜっしんに 無色・声・香・味・触・法。 むしきしょうこうみそくほう 無眼界、乃至、無意識界。 むげんかい、ないし、むいしきかい 無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。 むむみょう、やくむむみょうじん、ないし、むろうし、やくむろうしじん 無苦・集・滅・道。 無智、亦無得。 むくしゅうめつどう、むちやくむとく 以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、 いむしょとっこ、ぼだいさった、えはんにゃはらみったこ 心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖 しんむけげ、むけげこ、むうくふ、 遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。 おんりいっさい、てんどうむそう、くきょうねはん 三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。 さんぜしょうぶつ、えはんにゃはらみったこ、とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、 こち、はんにゃはらみった、ぜだいじんしゅ、ぜだいみょうしゅ、ぜむじょうしゅ 是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。 ぜむとうどうしゅ、のうじょいっさいく、しんじつふこ 故説、般若波羅蜜多呪。 こせつ、はんにゃはらみったしゅ 即説呪曰、 そくせつしゅわつ 羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。 ぎゃていぎゃてい、はらぎゃてい、はらそうぎゃてい、ぼじそわか 般若心経 はんにゃしんぎょう 1300年前に生まれた般若心経ですが、その賞味期限はなく、いつの世でも新しい刺激と安らぎを人々に与え続けています。 現在の日本でも、本屋さんで般若心経の解説本をいくつも見かけますし、流行りの朝活でチョイスされることも多いお写経でも、お題となるお経は般若心経です。 また、般若心経をロックテイストな歌詞にして歌った動画が注目されたこともあります。 生活から仏教が遠退いた今でも、般若心経の魅力は衰えていないのです。 また、深みのある内容が故に読んだ人が受け取る印象も千差万別です。 誰にとっても人生の芯について問いかけてくる般若心経は、たとえ時代が移り変わっても頼られる存在なのかもしれません。 悟れましたか? そうかな……人生も、般若心経も、そんな単純じゃないでしょ…… というお声が聞こえてきそうです。。。 ですよね。。。 その通りです。。。 10秒ではなくちゃんと訳したバージョンもあるよ!を見てね 般若心経は、「悟り」について語っておきながら、肝心の「 HOW」については具体的には教えてくれません。 教えてくれるのは、「悟り」の仕組みとその根拠です。 そして、「 HOW」については、「教えた仕組みを踏まえて各自の方法で頑張ってね!」ということなんだと思います。 そこが一番難しいのに。。。 ということは、10秒の中では端折られてしまった「悟り」の仕組みと根拠について、丁寧に読んでいく必要がありますね。 そして、どんな環境下で、どんな時代背景で、般若心経が生まれ、必要とされてきたのかについて考えてみることで、もう少し深めて理解できるのではないかとも思います。 ですから、まずは般若心経が生まれたときのことについて少しお話して、それから中身を丁寧に読み解いていきたいと思います。 般若心経の歴史・誕生の経緯 般若心経とはいったい誰が生み出した言葉なのでしょうか。 昔々、唐の国(7~10世紀の中国)に陳褘というお坊さんがいました。 今では戒名の「 玄奘 げんしょう 」と呼ばれていますが、「 三蔵法師 さんぞうほうし 」という名前の方がより親しまれています。 『 西遊記』の主人公ですね。 三蔵法師は、西遊記ではインドまで個性的なお供と一緒に旅をする冒険記のように描かれますが、彼の実際のお仕事は「訳経僧」、つまり仏教のオリジナルのお経をインドの昔の言葉であるサンスクリット語から漢訳するというものでした。 三蔵法師は非常に優れた訳経僧として名を馳せ、「訳聖」と称されるほど敬われるお坊さんです。 彼はお経の翻訳のみならず、西遊記のモデルにもなったように自らインドに出向いて仏教を学ぶ素晴らしい研究家でもありました。 そのようなストイックに突き詰めた姿勢が実を結び、それまでの翻訳されたお経の誤りを訂正し、正しい仏教思想を唐に持ち帰ることができたのです。 そして、彼が唐に持ち帰った 657部のお経の中にあり、中心的な位置を占めた 「 般若経」を 漢訳し、さらにそのエッセンスを取り出して300字足らずに凝縮したものが、般若心経なのです。 般若心経の素となった般若経とは、「般若波羅蜜」について説かれた膨大なお経の総称です。 「 般若」とは、仏教において迷い多きこの世界(此岸)から、悟りの世界(彼岸)に到達するため、つまり悟りに至るための「智慧」を意味します。 また、「般若波羅蜜」とは、その智慧を得るためにすべきこと。 そして、心経の「心」には、般若波羅蜜の「 核心」を意味するという説と、仏様を奉るための言葉である「心真言」を意味するという説があります。 ですから、般若心経とは、 「 悟りの世界に赴くために必要なことの核心を説くお経」 または、 「 悟りの世界に赴くために必要なことを教えてくださる仏様を奉る言葉の書かれたお経」 ということになるでしょう。 ちなみに、「般若」と聞くと、角の生えた怖い能面を思い出す方もいらっしゃるでしょう。 しかし、あのお面やあの表情を「般若」というわけではありません。 とある説では、般若坊というお坊さんが作ったお面だから、とか、物語の中で般若のお面のモデルになった女性の生霊がお坊さんの読む般若経によって退治されたから、とか…… いずれにしても「悟りに至るための智慧」と般若のお面は、意味の上ではあまり関係はないようです。 皆さんは仏教の考え方は、どのような時代背景から生まれたと思いますか? 死や病、人間関係の不和や階級制度……昔、インドで、お釈迦様は人々が直面する数多くの「苦しみ」をご覧になられました。 科学技術や社会制度が発達した現在では対処の方法がある問題でも、当時はただ指を咥えて苦しみに耐える他はありませんでした。 そんな時に、お釈迦様は数多くの苦しみから「解き放たれる方法」、それも誰もがその気になれば「実践できる方法」を発明するのです。 仏教における空 くう とは その一つが「 空(くう)」という捉え方。 仏教では、「 この世に存在している物事はすべて人が認識しているから存在しているのであって、自分自身の心で思っていること以外に存在するものは何もない」と、衝撃的なことを言うのです。 私たちが生きる今では科学技術や社会制度が発達し、当時の苦しみのうちのいくつかは解消させることができるようになりました。 なぜ天災が起こるのか。 なぜ病気になるのか。 なぜ争いが起きるのか。 そのメカニズムを知ることができます。 しかし、生きることの「苦しみ」が無くなったわけではありません。 「苦しみ」から解き放たれる術を昔の人々より知っている私たちだからこそ、持てる術を駆使しても逃れ難い「苦しみ」にはより臆病になりがちかもしれません。 現代でも般若心経や仏教の思想が人々の琴線に触れるのは、お釈迦様が発明し優秀なお弟子さんたちがまとめ上げた数々の「発明品」がいかにオールマイティーであるかということを示しているのかもしれません。 宗派による般若心経の違いはある? オールマイティーがゆえ、どんな宗派にも愛された般若心経。 今の日本には様々な仏教宗派があります。 皆さんのお家の宗派では、般若心経はお読みになりますか?各宗派の般若心経をざっくりと見渡していきましょう。 こちらにざっくりとまとめてみました。 般若心経の意味を現代語でわかりやすく解説してみる(部分解説編) それでは、般若心経の中身を見ていくことにしましょう。 ただここに書いてしまうととってーーも長くなってしまうので、別のエントリーで分けてご紹介しています。 繰り返しにはなってしまいますが、超ざっくり言うと この世の物事は全部一人ひとりの頭の中であれこれ思うことで存在するので、あれこれ思わなければ全てのものは存在しない。 ということは、いくら生きることが苦しくても、その苦しみも存在しないし、気持ちは平穏そのものなんだ。 それが悟りってもんだよ。 みんな悟ろうぜ。 …です。 しつこい! 完璧に般若心経を理解したい!深いところまで般若心経を理解したい!という人はこちらのエントリーを読んでくださいね。 写経を実践することで 心がすっきりする効果があると老若男女幅広い年代で手軽に写経を行う人が増えています。 般若心経を書き写す写経はもともとインドでお釈迦様のありがたい教えを多くの人に広めようとお釈迦様のお経を書き写していたことから発展していき、日本には奈良時代の頃から仏教の布教とともに盛んに写経が始まってきました。 最初はお寺や仏教の専門家だけによって親しまれてきましたが、次第に貴族や豪族そして江戸時代になると一般大衆にも写経を行う文化が広がっていきました。 現代においては写経セットが市販されたり、日本全国の多く寺院でも写経体験が開催されていたり、身近な存在になってきました。 筆先に全身全霊を注いで、般若心経の文字を一文字一文字丁寧に書いていくことで般若心経を書き写すことで精神修行をすることができます。 で詳しく書いていますのでご参考ください。 般若心経を読む時はできるだけ声を整えて読もう! 般若心経はお経を唱えることこそが大事なことであって読み上げる声はなんでも大丈夫!ただそれはその通りなのですが、どんな声でもいいかといえば、そうでもありません。 お経を読むのに、嘆き悲しむような声や、調子はずれの声、弱々しくか細い声、怒ったり叫んだりするような声は、ふさわしくないとされています。 もっともなことです。 背筋を伸ばし、首や肩の力を抜いて、喉を開くようにして声を整え、適度な大きさで読んでみましょう。 そして、できればお腹に力を入れてください。 お経を唱える時になぜ木魚を叩く? 般若心経に限らず、お坊さんがお経を唱えているときには、木魚を叩いている姿をイメージする人も多いと思います。 なぜ木魚や鐘、太鼓などをたたいてお唱えするのでしょうか? お坊さんもはじめは師匠の後について少しずつ唱えながら、全文を覚えるということをしています。 その際に弟子となる僧侶は大勢で唱えますから、リズムをとる打ち物の音が入ると、そろいやすいということがあります。 打ち物とは、今でいう打楽器のことです。 とくに般若心経は、祈祷のための読経や修験道では、大太鼓などをドンドンと叩きながら唱えるということがよく行われます。 修験道とは山にこもって修行し、霊験(ご利益)を得る日本独特の宗教のこと。 現代の祈祷では、たとえばスポーツ選手の滝修行や護摩行などがわかりやすい例かもしれませんね。 護摩行の火を前に祈祷師、煩悩を焼き払おうとつとめる行などのことです。 現代の般若心経カルチャー You Tube動画ライブラリ 現在では様々な解釈で般若心経が描かれています。 般若心経をひとつの歌詞として捉え、様々なクリエイターたちが般若心経を楽しんでいます。 youtubeにアップされた動画から厳選して面白いなと思ったものをご紹介したいと思います。 【MV】般若心経 cho ver. 動画も京都・天龍寺で撮影され、静寂の中に響き渡る般若心経の唱えるお坊さんであるボーカルと、それにあわせてコンテンポラリーダンスを踊るダンサーさんがまたすばらしく、般若心経っていいなぁと思わせてくれる映像です。 万人におすすめ。 さいごに とても長くなってしまいましたが、般若心経の現代日本語訳を試みてきました。 たった300字足らずの原文ですが、そこには仏教が積み上げてきた数多くの知識が盛りだくさんで、読み解こうとこんなに紙幅を要してしまうのですね。 私自身も改めてしっかりと読み直してみて、三蔵法師が心の底から、人々のために仏教の良い所を余すことなく伝えたかったんだなと実感することができました。 般若心経は、読む人によって、その読み解き方や感じ取るもの、そして活かし方が十人十色であることが、良いところなんじゃないかなと、勝手ながら思います。 みんな、それぞれ置かれている時間や場所や状況が異なります。 学んできたことも、糧にしてきたこともそれぞれ異なります。 でも、みんな大なり小なり悩み、不安に陥り、立ち止まります。 そんな時に般若心経に触れてみて、いつでも自由な学びが得られること、それが、このお経が1300年に渡って人々に寄り添い続けてこられた所以なのかもしれません。 あなたは、どんな「般若心経」を読みましたか。

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般若心経の全文と意味、効果と仏教における位置づけとは?

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般若心経 般若心経 全文と訳 この訳は、故花山勝友氏によるものです。 般若心経は古くから困ったとき日本人のお守りとして使われてきました。 あの耳なし芳一も亡霊に連れて行かれるところを、和尚さんが芳一の全身に このお経を書いて守ってもらったのでした。 (耳にだけ書くのを忘れてしまった) ちびまる子も困ったとき般若心経を唱えていましたね。 般若心経 (三蔵法師玄奘訳) かんじざいぼさつ 観自在菩薩 (観音菩薩が、) ぎょうじんはんにゃはらみったじ 行深般若波羅蜜多時 (深遠な知恵を完成するための実践をされている時、) しょうけんごうんかいくう 照見五蘊皆空 (人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本 質的なものではないと見極めて、) どいっさいくやく 度一切苦厄 (すべての苦しみを取り除かれたのである。 ) しゃりし 舎利子 (そして舎利子に向かい、次のように述べた。 舎利子 よ、) しきふいくう 色不異空 (形あるものは実体がないことと同じことであり、) くうふいしき 空不異色 (実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在 するものである。 ) しきそくぜくう 色即是空 (したがって、形あるものはそのままで実体なきもの であり、) くうそくぜしき 空即是色 (実体がないことがそのまま形あるものとなっている のだ。 ) じゅそうぎょうしき 受想行識 (残りの、心の四つの働きの場合も、) やくぶにょぜ 亦復如是 (まったく同じことなのである。 ) しゃりし 舎利子 (舎利子よ、) ぜしょほうくうそう 是諸法空想 (この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、 という性質があるから、) ふしょうふめつ 不生不滅 (もともと、生じたということもなく、滅したという こともなく、) ふくふじょう 不垢不浄 (よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、) ふぞうふげん 不増不減 (増えることもなく、減ることもないのである。 ) ぜこくうちゅうむしき 是故空中無色 (したがって、実体がないということの中には、形あ るものはなく、) むじゅそうぎょうしき 無受想行識 (感覚も念想も意志も知識もないし、) むげんにびぜつしんに 無限耳鼻舌身意 (眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もない し、) むしきしょうこうみそくほう 無色声香味触法 (形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞ れの器官に対する対象もないし、) むげんかいないしむいしきかい 無限界乃至無意識界 (それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる 分野もないのである。 ) むむみょう 無無明 (さらに、悟りに対する無知もないし、) やくむむみょうじん 亦無無明尽 (無知がなくなることもない、) ないしむろうし 乃至無老死 (ということからはじまって、ついには老と死もなく) やくむろうしじん 亦無老死尽 (老と死がなくなることもないことになる。 ) むくしゅうめつどう 無苦集滅道 (苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そし てその方法もない。 ) むちやくむとく 無知亦無得 (知ることもなければ、得ることもない。 ) いむしょとくこ 以無所得故 (かくて、得ることもないのだから、) ぼだいさった 菩提薩垂 (悟りを求めている者は、) えはんにゃはらみった 依般若波羅蜜多 (知恵の完成に住する。 ) こしんむけいげ 故心無圭礙 (かくて心には何のさまたげもなく、) むけいげこむうくふ 無圭礙故無有恐怖 (さまたげがないから恐れがなく、) おんりいっさいてんどうむそう 遠離一切転倒夢想 (あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、) くきょうねはん 究境涅槃 (永遠にしずかな境地に安住しているのである。 ) こち 故知 (したがって次のように知るがよい。 ) はんにゃはらみった 般若波羅蜜多 (知恵の完成こそが) ぜだいじんしゅ 是大神呪 (偉大な真言であり、) ぜだいみょうしゅ 是大明呪 (悟りのための真言であり、) ぜむじょうしゅ 是無上呪 (この上なき真言であり、) ぜむとうどうしゅ 是無等等呪 (比較するものがない真言なのである。 ) のうじょいっさいく 能除一切苦 (これこそが、あらゆる苦しみを除き、) しんじつふこ 真実不虚 (真実そのものであって虚妄ではないのである、と。 ) こせつはんにゃはらみつたしゅ 故説般若波羅蜜多呪 (そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。 ) そくせつしゅわつ 即説呪曰 (すなわち次のような真言である。 ) ぎゃていぎゃていはらぎゃてい 羯帝羯帝波羅羯帝 (往き往きて、彼岸に往き、) はらそうぎゃてい 波羅僧羯帝 (完全に彼岸に到達した者こそ、) ぼうじ 菩提 (悟りそのものである。 ) そわか 僧莎訶 (めでたし。 ) はんにゃしんぎょう 般若心経 (知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける 経典。 ) 私が最初に中国の西安に旅立つ時、中国側と出発前に打合せをしていたら、 慈恩寺大雁塔を見学することになっていた。 三蔵法師は長いインドまでの旅を終えて持ち帰った経典を、慈恩寺で 中国語に翻訳する作業をしたのです。 それではと私も この訳をワープロに打って旅に持参して行った。 この和訳を手にして、大雁塔の上へと登ったものだった。

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キッサコ(薬師寺寛邦)の般若心経の覚え方は?歌詞や息継ぎと歌い方まとめ

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般若心経の意味とは? 般若心経の読み方は 「はんにゃしんぎょう」です。 般若心経とは、 大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の神髄(しんずい・本質のこと)を説いた経典です。 「大乗仏教」とは、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派のひとつで、自分ひとりの悟りのためではなく、すべての生き物たちを救いたいという考え方です。 唐の時代(618年~907年)、中国の僧侶であった 玄奘三蔵(げんじょうさんぞう・西遊記などで有名な三蔵法師のこと)は、仏典の研究のためには原典を学ぶ必要があると考え、インドへ旅立ち、多くの経典を持ち帰りました。 帰国した玄奘三蔵は、その後の生涯を持ち帰った経典のサンスクリット語を漢語に訳すことに捧げ、600巻ほどにまとめました。 そして、その中から大乗仏教の神髄とも言うべき部分を抜粋しまとめあげたのが「般若心経」といわれています。 般若心経の文字数は、本文だけなら266文字、経典のタイトルである「摩訶般若波羅蜜多心経」を加えると276文字になります。 般若心経の全文 般若心経の全文は以下のようになっています。 摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多 故心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切苦 真実 不虚故 説般若波羅蜜多咒 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧莎訶 般若心経 般若心経の現代語訳(読み方と意味) ではそれぞれの読み方とその意味を解説していきます。 この此岸にある者が修行をすることで煩悩や悩みの海を渡って辿り着く悟りの世界を「彼岸(ひがん)」といいます。 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 (かんじざいぼさつ きょうじんはんにゃはらみたじ) 観音菩薩が、「自分が存在するとはどういうことなのか」という問いについて深く瞑想していた時、 照見五蘊皆空 度一切苦厄 (しょうけんごおんかいくう どいっさいくやく) 人間という存在を構成している五つの要素(形(身体)、受(感覚)、想(知覚)、行(意思)、識(認識))がどれも実体を持たないことを見極め、あらゆる苦しみと災いを克服しました。 舎利子 色不異空 空不異色 (しゃりし しきふいくう くうふいしき) ブッダの弟子であるシャーリプトラよ、形あるものは実体がないことと同じことであり、実体がないからこそ形あるものとして存在するのです。 色即是空 空即是色 (しきそくぜくう くうそくぜしき) したがって、形あるものはすべて実体がなく、実体がないものはすべて形あるものなのです。 受想行識亦復如是 (じゅそうぎょうしきやくふにょぜ) それは、人間という存在を構成している感覚、知覚、意思、認識の働きの場合も全く同じことです。 舎利子 是諸法空相 (しゃりし ぜしょほうくうそう) ブッダの弟子であるシャーリプトラよ、このようにあらゆる存在には、実体がないものなのです。 不生不滅 不垢不浄 不増不減 (ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん) 生じることもなければ滅することもありません。 汚いとか、綺麗かということもありません。 増えることもなく、減ることもないのです。 是故空中 無色 無受想行識 (ぜこくうちゅう むしき むじゅうそうぎょうしき) 物事すべてには実体というものは存在しません。 形あるものはなく、感覚、知覚、意思、認識もないのです。 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 (むげんにびぜっしんに むしきしょうこうみそくほう) 目、耳、鼻、舌、体、心といった感覚器官とそれぞれの感覚器官に対する形、音、香、味、触覚、心の対象というものもないのです。 無眼界 乃至無意識界 (むげんかい ないしむいしきかい) 私たちは感覚器官で周囲の世界を感じ取りますが、私たちが理解できる世界とは、自分の感覚器官が感じた世界であって、世界そのものを感じているわけではありません。 無無明 亦無無明尽 (むむみょう やくむむみょうじん) 悟りに対する無知はありませんし、悟りに対する無知がなくなることもないのです。 乃至無老死 亦無老死尽 (ないしむろうし やくむろうしじん) 老いや死というものも存在しておらず、老いや死がなくなることもないのです。 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 (むくしゅうめつどう むちやくむとく いむしょとくこ) 苦しみもないし、苦しみをなくす方法もありません。 知ることもなければ、得ることもありません。 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 (ぼだいさった えはんにゃはらみたこ しんむけいげ) 悟りを求める者は、彼岸に至る本質的な智慧によって、心には何の妨げもありません。 無罣礙故 無有恐怖 (むけいげこ むうくふ) 何の妨げもありませんから、恐怖も存在しません。 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 (おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん) あらゆる誤った考え方を超越し、どのようなことにも揺らぐことのない心の境地に行きつくのです。 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 (さんぜしょぶつ えはんにゃはらみた とくあのくたらさんみゃくさんぼだい) 過去、現在、未来、多くの仏様がおり、彼岸に至る智慧を得た仏様たちは悟りを開くことができたのです。 故知般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 (こちはんにゃはらみた ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ) したがって、彼岸に至る智慧はあらゆる人に平等にもたらされるこれ以上ない尊いものなのです。 能除一切苦 真実 不虚 (のうじょいっさいく しんじつ ふこ) あらゆる苦しみを取り除くのですから、苦しみから逃れようとして苦しむことなどありません。 故説般若波羅蜜多咒 即説呪曰 (こせつはんにゃはらみたしゅ そくせつしゅわく) ここで、彼岸に至る本質的な智慧に目覚める呪文。 それは即ち、 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧莎訶 (ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか) 往き往きて、彼岸に往き、彼岸に到達した者こそ悟りそのものである。 幸あれ! 般若心経 (はんにゃしんきょう) 般若心経をここに終える。 唱えるとどのような効果があるの? 般若心経を唱えることで、般若心経のことを理解できるだけでなく、心身がリラックスしたり脳が活性化するなど、さまざまな効果があるといわれています。 自然と般若心経を理解できる 般若心経を何度も唱えることで、自然とその意味が理解できるようになるといわれています。 心身を落ち着かせる 一心に唱えることで、仏様が教えを説いてくださっているように感じ、心身が落ち着きます。 また、長時間集中することで悩み事やストレスから切り離され、リラックスできます。 功徳が積める 功徳(くどく)とは、人が行うべき行動、善行のことで、唱えることで功徳が積まれるといわれています。 脳が活性化される 難しい漢字を読むことで、長時間集中するので脳が活性化され、認知症予防や思考が冴えるなどの効果があります。 集中力や忍耐力が身につく わずか300文字足らずの文字数ですが、すべて漢字です。 それらを唱える時には集中しなければなりませんし、最後まで続けるには忍耐力も必要です。 繰り返すことで自然と集中力や忍耐力が身につきます。 また、般若心経を唱えるだけではなく、 「写経(しゃきょう)」をすることでも同じような効果が得られます。 写経とは、お経を書き写すことで、どのお経でも良いのですが般若心経が最も有名です。 般若心経がどういうものかわかりましたか? 仏教の神髄ですから、簡単に理解できるものではありませんが、他のお経に比べると短く簡潔にまとめられた般若心経は、昔から人々の心のよりどころとなっていたようです。 ここでご紹介した般若心経の意味は現代訳された一般的なものです。 宗派によって解釈が異なることもありますので、ご自身の宗派ではどのように解釈されているのか調べてみるといいかもしれませんね。 関連: 関連: -.

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