はるかぜ型護衛艦。 はるかぜ型護衛艦 (はるかぜがた)とは【ピクシブ百科事典】

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はるかぜ型護衛艦

護衛艦「はるかぜ」 基本情報 種別 護衛艦 運用者 建造期間 1954年 - 1956年 就役期間 1956年 - 1985年 建造数 2隻 前級 次級 DDK DDA DD 要目 1,700 2,430トン 106. 0メートル 347. 8 ft 最大幅 10. 5メートル 34 ft 深さ 6. 4メートル 21 ft 3. 戦後初の国産護衛艦であり、(CIC)を装備運用した初の国産艦でもある。 建造費は約24億円であった。 来歴 [編集 ] (昭和26年)、大将は、に対しておよび(LSSL)を貸与することを提案した。 これを受けて(昭和27年)、内において、これら軍艦の受け皿となるとともに将来の海軍の母体となるべく、が創設された。 そして同年のの発足とともに、海上警備隊は海上保安庁の航路啓開部を吸収してに改組され、である(のちの)とともに保安庁の隷下に入り、本格的な再編制への体制が整えられることになった。 海上警備隊創設の呼び水となったフリゲート等の貸与は政治上の問題から遅延していたことから、まず整備を完了した船艇を「保管引受け」として借用し、基幹要員の教育訓練が急ピッチで進められることとなった。 警備隊の発足時に保有していた船舶は、「保管引受け」中のPF 4隻とLSSL 2隻、および海保から所管換された等76隻であった(参照)。 貸与軍艦の引き渡しは1月14日より開始され、PFは「」、LSSLは「」として就役した。 警備隊発足年度である昭和27年度予算では、これらの警備船の運用基盤を整備するための支援船(水船や重油船など)の建造が優先され、戦闘艦艇の建造は行われなかった。 続く度予算でも、当初は小型掃海船2隻が要求されたのみであったが、1952年12月末、大蔵省より、防衛分担金の枠内で130億円を艦船建造費に振り向ける旨の内示があったことから、では、急遽、戦闘艦艇の国産新造計画を立案した。 本計画では、甲型警備船(DD)2隻と乙型警備船(DE)3隻のほか合計16隻の建造が決定された。 この甲型警備船がはるかぜ型であり、乙型警備船は護衛艦「」(装備)と(装備)である。 設計 [編集 ] 本型では、や対潜哨戒の他に、漁業保護、救難作業への対応、設備の保持も求められた。 基本設計は財団法人船舶設計協会に委託して行われた。 船体 [編集 ] 船舶設計協会では、旧海軍のとをタイプシップとし、のの長所を取り入れる形で設計を進めており、船型はアメリカ海軍の駆逐艦が多用していた平甲板型が採用された。 また船体構造も、縦構造を主に、一部を横構造としている。 一方、復原性能および旋回性能は日本海軍の基準が採用された。 縦強度部材以外の部分については、工作の容易性と工費節約を優先して、若干の重量増加を覚悟のうえで、旧海軍の慣行よりも一般に厚くなっている。 これを補うため、上部構造物には軽合金(舶用耐食アルミニウム)を採用し、重量を10トン以上節約している。 また電気溶接およびが初めて採用された。 造波抵抗の低減を図るため、艦首の下部はとされている。 また、当時のはまだよりが多く、を海面に露出して浅深度で航行する敵潜を体当たりで撃沈する状況も対潜戦闘において発生しうる、とされていたため、船首材(ステム)は強化されており、このバルバス・バウの先端部は対潜用のとして用いる状況が想定されていた。 旧海軍では余り考慮されていなかった乗組員の居住性の改善も企てられており、例えば寝台は、旧海軍時代のハンモックを廃止、米海軍式の3段吊パイプバースとされた。 ただし艦隊司令部施設を急遽追加したことで、当初の目論見よりも居住性は悪化しており、例えば科員区画のスペースは1人あたり1. 8平方メートルと、海軍時代の1. 6平方メートルからの大幅な改善は実現しなかった。 この設計変更はの発足前後に行なわれたとみられており、司令公室や幕僚室などが士官居住区に割り込む形で設置され、機銃応急弾薬庫を廃止して司令部庶務室が設置された。 このほか、砲の運用人員の当初見積もりが過少だったこともあり、乗員定数は、計画当初の200名から250名まで増加し、居住性は大きく低下した。 また旗艦設備をさらに充実させた2番艦「ゆきかぜ」では、士官居住区はさらに10縮小されている。 機関 [編集 ] 本型では、主機関には方式が採用された。 例えば、ほぼ同時期にが建造していたでは圧力42. 主蒸気タービンに関しては、「はるかぜ」は旧海軍の駆逐艦用に類似した構成の4胴衝動型を、「ゆきかぜ」は2胴衝動・反動型を採用した。 特に後者は、その後の護衛艦に少なからぬ影響を与えている。 機関配置はシフト配置とされており、前側の機関が左軸、後側の機関が右軸を駆動している。 これは化以後も含めた護衛艦において標準的な配置となっており、に至るまで踏襲されている。 装備 [編集 ] 本型の搭載装備のほとんどは、に基づきアメリカから供与された。 センサー [編集 ] 海上戦闘における情報処理の概念が旧態依然としていた当時にあって、(CIC)を装備運用したのは特筆すべきであろう。 これは国産艦としては日本初であった。 ただし国産艦でなければ、既にくす型警備船でCICを装備運用していた。 本型のCICは「船務室」の名称で、艦橋構造物内の01甲板、操舵室の後方に設置されている。 また上述の通り、本型は計画途中で設計変更し、旗艦設備を設置した。 この設計変更は、(昭和29年)の発足前後に行なわれたとみられている。 時代の保有艦船は、(PF; )が最大であり、自衛艦隊や船隊群の旗艦とされた艦では適宜に改修して旗艦設備を追加していたが、やはり司令部能力は不十分であり、初の国産DDである本型では、より充実した旗艦設備が求められるようになった。 「はるかぜ」は群旗艦としての設備を有するものとされたのに対し、「ゆきかぜ」はさらに拡張して自衛艦隊旗艦としての設備を有するものとされており、司令部区画の床面積は、「はるかぜ」では52. 0平方メートル、「ゆきかぜ」では62. 3平方メートルとされている。 としては、対空捜索用として、対水上捜索用としてを搭載した。 一方、としては国産開発のOLR-3が装備されたが、資料・技術ともに乏しかったことから、性能的には非常に限定的なものであった。 特別改装の際に、OLR-3は改良型のOLR-4に換装された。 はいずれも戦後世代とされており、スキャニング方式のを捜索用として、サーチライト方式のQDAを攻撃用として搭載しており、艦底には2種のソナー・ドームを持つ。 また、のちに捜索用ソナーは、さらにによって更新された。 武器システム [編集 ] 兵装類は、殆どをアメリカに頼っていたため、第二次世界大戦中に開発されたものが多く搭載された。 としては、を前部に1基、後部に2基の計3基を搭載する。 としては、日本側はレーダー方位盤を備え自動追尾可能なを要望したが、は逆にを推薦し、交渉の結果、くす型護衛艦に搭載されていたを元に、照準器を新型化するとともに風力修正装置を付加するなど改良を加えたMk. 51 mod. 3が搭載されることとなった。 またとしてはを前後に1基ずつの計2基搭載しており、これらは GFCSによる射撃指揮を受けていた。 しかし、特にMk. 51は、本来はや40mm機銃の射撃指揮のものであり、5インチ砲の射撃指揮には性能的に不足であった。 このことからMk. 51は後の特別改装の際に換装され、「はるかぜ」ではのが開発したヤベルクGFCS、「ゆきかぜ」ではMk. 63の直視型版といえるMk. 57とされた。 とくにヤベルクは非常に先進的な機種であったこともあり、当初は故障が続出するなどの困難が絶えなかったが、方位盤の機械的安定化やレーダー追尾方式など、その後、などの国産FCSを開発するにあたって土台となる知見が多く得られた。 対潜兵装としては、固定式のMk. 10(あるいはその国産化版である54式対潜弾発射機)2基、投射機(K砲)両舷各4基、爆雷投下軌条2条を装備していた。 後の特別改装の際に、K砲と爆雷投下軌条は半分に削減され、かわってMk. 2短魚雷落射機2基および各4発が搭載された。 その他、スペース面以外では、貸与されたアメリカ海軍の艦艇に劣らない装備を搭載していた。 ただし当時の日本には、戦後の武器システムに伴う電子機器などのデータが乏しかったため、のちにスペースや空調の不足を来たすこととなった。 同型艦 [編集 ] 一覧表 [編集 ] 艦番号 艦名 建造 起工 進水 竣工 特務艦への 艦種変更 除籍 DD-101 ASU-7002 1954年 (昭和29年) 12月15日 1955年 (昭和30年) 9月20日 1956年 (昭和31年) 4月26日 1981年 (昭和56年) 3月27日 1985年 (昭和60年) 3月5日 DD-102 ASU-7003 1954年 (昭和29年) 12月17日 1955年 (昭和30年) 8月20日 1956年 (昭和31年) 7月31日 1981年 (昭和56年) 3月27日 1985年 (昭和60年) 3月27日 運用史 [編集 ] 「はるかぜ」は(昭和31年)4月26日にで、「ゆきかぜ」は同年7月31日にでそれぞれ竣工した。 就役後、「はるかぜ」と「ゆきかぜ」の両艦は護衛隊群の旗艦を務め、「はるかぜ」は1958年(昭和33年)1月にはハワイまで往復する2ヶ月にわたる遠洋航海にも派遣された。 遠洋航海で得られた経験を活かし、1959年(昭和34年)1月から約3ヶ月にわたって特別改装が行われ、上記のとおり電装・兵装の換装が行なわれた。 これにより、特に対潜兵装は、新造時の(30DDK)に匹敵するレベルまで強化された。 「はるかぜ」「ゆきかぜ」共に、上記の特別改装など度々改装を受けつつ第一線にあったが、(昭和48年)に「はるかぜ」は、「ゆきかぜ」は実用実験隊に配属され第一線を退いた。 「ゆきかぜ」はの実験など数々の実験に従事し、(昭和56年)3月に特務艦に変更され、(昭和60年)に除籍された。 「はるかぜ」も1981年(昭和56年)3月に特務艦に変更された後、1985年(昭和60年)に除籍された。 「はるかぜ」は除籍後もで教育資料及び桟橋として係留保管されていたが、塩害による傷みが著しく進行したため、(平成13年)11月に売却、解体された。 当時、の艦船設計能力が未整備であったことから、暫定措置として、技術大佐を中核として、時代の技術者達によって財団法人船舶設計協会が組織され、艦船設計に当たっていた。 この点に関し、「対潜体当たり戦術用の衝角が装備されていた」と解説されていることがあるが、あくまで「そのような状況を想定して船首水線下部分の構造強度が強化されていた」ということであり、船首から大きく突き出した形の「衝角」が装備されていたわけではない。 なお一部の居住区には、予備の設備として、ハンモック用吊り金具も備えられていた。 出典 [編集 ]• , p. 24-35. 12-23. , p. , pp. 50-53. 参考文献 [編集 ]• 海人社, 編纂. 「海上自衛隊最初のDD「はるかぜ」」『』第636号、、2005年1月、 120-122頁、。 海人社, 編纂. 「護衛艦の技術的特徴 - 1. 船体デザイン」『世界の艦船』第742号、海人社、2011年6月、 100-105頁、。 阿部, 安雄「海上自衛隊護衛艦隊旗艦の系譜」『世界の艦船』第422号、海人社、1990年6月、 78-81頁。 阿部, 安雄「海上自衛隊護衛艦整備の歩み 海上自衛隊護衛艦史1953-2000 」『世界の艦船』第571号、海人社、2000年7月、。 阿部, 安雄「2. 機関 アメリカ護衛艦の技術的特徴 」『世界の艦船』第653号、海人社、2006年1月、 124-129頁、。 阿部, 安雄「護衛艦の技術的特徴 - 2. 推進システム」『世界の艦船』第742号、、2011年6月、 106-111頁、。 石橋, 孝夫「船体 技術面から見た日本駆逐艦の発達 」『世界の艦船』第453号、海人社、1994年2月、 160-165頁、 978-4905551478。 勝山, 拓「オールドセーラーの思い出話 第4話 一皮剥けたか?」『世界の艦船』第688号、海人社、2008年4月、 106-109頁、。 「国産護衛艦建造の歩み」『世界の艦船』第827号、海人社、2015年12月、。 坂田, 秀雄「海上自衛隊FCSの歩み」『世界の艦船』第493号、海人社、1995年3月、 70-75頁。 佐々木, 司 2012年. 2018年1月13日閲覧。 高須, 廣一「兵装 海上自衛隊護衛艦史1953-2000 -- 海上自衛隊護衛艦の技術的特徴 」『世界の艦船』第571号、海人社、2000年7月、 188-195頁、。 多田, 智彦「3. 兵装 自衛艦の技術的特徴 」『世界の艦船』第630号、海人社、2004年8月、 246-253頁、。 森, 恒英『艦船メカニズム図鑑』、1989年、58-59頁。 978-4906189878。 吉原, 栄一「船体 海上自衛隊護衛艦史1953-2000 -- 海上自衛隊護衛艦の技術的特徴 」『世界の艦船』第571号、海人社、2000年7月、 176-181頁、。 関連項目 [編集 ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 初の国産駆逐艦• - 初の国産駆逐艦.

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はるかぜ型護衛艦とは

はるかぜ型護衛艦

護衛艦「はるかぜ」 基本情報 種別 護衛艦 運用者 建造期間 1954年 - 1956年 就役期間 1956年 - 1985年 建造数 2隻 前級 次級 DDK DDA DD 要目 1,700 2,430トン 106. 0メートル 347. 8 ft 最大幅 10. 5メートル 34 ft 深さ 6. 4メートル 21 ft 3. 戦後初の国産護衛艦であり、(CIC)を装備運用した初の国産艦でもある。 建造費は約24億円であった。 来歴 [ ] (昭和26年)、大将は、に対しておよび(LSSL)を貸与することを提案した。 これを受けて(昭和27年)、内において、これら軍艦の受け皿となるとともに将来の海軍の母体となるべく、が創設された。 そして同年のの発足とともに、海上警備隊は海上保安庁の航路啓開部を吸収してに改組され、である(のちの)とともに保安庁の隷下に入り、本格的な再編制への体制が整えられることになった。 海上警備隊創設の呼び水となったフリゲート等の貸与は政治上の問題から遅延していたことから、まず整備を完了した船艇を「保管引受け」として借用し、基幹要員の教育訓練が急ピッチで進められることとなった。 警備隊の発足時に保有していた船舶は、「保管引受け」中のPF 4隻とLSSL 2隻、および海保から所管換された等76隻であった(参照)。 貸与軍艦の引き渡しは1月14日より開始され、PFは「」、LSSLは「」として就役した。 警備隊発足年度である昭和27年度予算では、これらの警備船の運用基盤を整備するための支援船(水船や重油船など)の建造が優先され、戦闘艦艇の建造は行われなかった。 続く度予算でも、当初は小型掃海船2隻が要求されたのみであったが、1952年12月末、大蔵省より、防衛分担金の枠内で130億円を艦船建造費に振り向ける旨の内示があったことから、では、急遽、戦闘艦艇の国産新造計画を立案した。 本計画では、甲型警備船(DD)2隻と乙型警備船(DE)3隻のほか合計16隻の建造が決定された。 この甲型警備船がはるかぜ型であり、乙型警備船は護衛艦「」(装備)と(装備)である。 設計 [ ] 本型では、や対潜哨戒の他に、漁業保護、救難作業への対応、設備の保持も求められた。 基本設計は財団法人船舶設計協会に委託して行われた。 船体 [ ] 船舶設計協会では、旧海軍のとをタイプシップとし、のの長所を取り入れる形で設計を進めており、船型はアメリカ海軍の駆逐艦が多用していた平甲板型が採用された。 また船体構造も、縦構造を主に、一部を横構造としている。 一方、復原性能および旋回性能は日本海軍の基準が採用された。 縦強度部材以外の部分については、工作の容易性と工費節約を優先して、若干の重量増加を覚悟のうえで、旧海軍の慣行よりも一般に厚くなっている。 これを補うため、上部構造物には軽合金(舶用耐食アルミニウム)を採用し、重量を10トン以上節約している。 また電気溶接およびが初めて採用された。 造波抵抗の低減を図るため、艦首の下部はとされている。 また、当時のはまだよりが多く、を海面に露出して浅深度で航行する敵潜を体当たりで撃沈する状況も対潜戦闘において発生しうる、とされていたため、船首材(ステム)は強化されており、このバルバス・バウの先端部は対潜用のとして用いる状況が想定されていた。 旧海軍では余り考慮されていなかった乗組員の居住性の改善も企てられており、例えば寝台は、旧海軍時代のハンモックを廃止、米海軍式の3段吊パイプバースとされた。 ただし艦隊司令部施設を急遽追加したことで、当初の目論見よりも居住性は悪化しており、例えば科員区画のスペースは1人あたり1. 8平方メートルと、海軍時代の1. 6平方メートルからの大幅な改善は実現しなかった。 この設計変更はの発足前後に行なわれたとみられており、司令公室や幕僚室などが士官居住区に割り込む形で設置され、機銃応急弾薬庫を廃止して司令部庶務室が設置された。 このほか、砲の運用人員の当初見積もりが過少だったこともあり、乗員定数は、計画当初の200名から250名まで増加し、居住性は大きく低下した。 また旗艦設備をさらに充実させた2番艦「ゆきかぜ」では、士官居住区はさらに10縮小されている。 機関 [ ] 本型では、主機関には方式が採用された。 例えば、ほぼ同時期にが建造していたでは圧力42. 主蒸気タービンに関しては、「はるかぜ」は旧海軍の駆逐艦用に類似した構成の4胴衝動型を、「ゆきかぜ」は2胴衝動・反動型を採用した。 特に後者は、その後の護衛艦に少なからぬ影響を与えている。 機関配置はシフト配置とされており、前側の機関が左軸、後側の機関が右軸を駆動している。 これは化以後も含めた護衛艦において標準的な配置となっており、に至るまで踏襲されている。 装備 [ ] 本型の搭載装備のほとんどは、に基づきアメリカから供与された。 センサー [ ] 海上戦闘における情報処理の概念が旧態依然としていた当時にあって、(CIC)を装備運用したのは特筆すべきであろう。 これは国産艦としては日本初であった。 ただし国産艦でなければ、既にくす型警備船でCICを装備運用していた。 本型のCICは「船務室」の名称で、艦橋構造物内の01甲板、操舵室の後方に設置されている。 また上述の通り、本型は計画途中で設計変更し、旗艦設備を設置した。 この設計変更は、(昭和29年)の発足前後に行なわれたとみられている。 時代の保有艦船は、(PF; )が最大であり、自衛艦隊や船隊群の旗艦とされた艦では適宜に改修して旗艦設備を追加していたが、やはり司令部能力は不十分であり、初の国産DDである本型では、より充実した旗艦設備が求められるようになった。 「はるかぜ」は群旗艦としての設備を有するものとされたのに対し、「ゆきかぜ」はさらに拡張して自衛艦隊旗艦としての設備を有するものとされており、司令部区画の床面積は、「はるかぜ」では52. 0平方メートル、「ゆきかぜ」では62. 3平方メートルとされている。 としては、対空捜索用として、対水上捜索用としてを搭載した。 一方、としては国産開発のOLR-3が装備されたが、資料・技術ともに乏しかったことから、性能的には非常に限定的なものであった。 特別改装の際に、OLR-3は改良型のOLR-4に換装された。 はいずれも戦後世代とされており、スキャニング方式のを捜索用として、サーチライト方式のQDAを攻撃用として搭載しており、艦底には2種のソナー・ドームを持つ。 また、のちに捜索用ソナーは、さらにによって更新された。 武器システム [ ] 兵装類は、殆どをアメリカに頼っていたため、第二次世界大戦中に開発されたものが多く搭載された。 としては、を前部に1基、後部に2基の計3基を搭載する。 としては、日本側はレーダー方位盤を備え自動追尾可能なを要望したが、は逆にを推薦し、交渉の結果、くす型護衛艦に搭載されていたを元に、照準器を新型化するとともに風力修正装置を付加するなど改良を加えたMk. 51 mod. 3が搭載されることとなった。 またとしてはを前後に1基ずつの計2基搭載しており、これらは GFCSによる射撃指揮を受けていた。 しかし、特にMk. 51は、本来はや40mm機銃の射撃指揮のものであり、5インチ砲の射撃指揮には性能的に不足であった。 このことからMk. 51は後の特別改装の際に換装され、「はるかぜ」ではのが開発したヤベルクGFCS、「ゆきかぜ」ではMk. 63の直視型版といえるMk. 57とされた。 とくにヤベルクは非常に先進的な機種であったこともあり、当初は故障が続出するなどの困難が絶えなかったが、方位盤の機械的安定化やレーダー追尾方式など、その後、などの国産FCSを開発するにあたって土台となる知見が多く得られた。 対潜兵装としては、固定式のMk. 10(あるいはその国産化版である54式対潜弾発射機)2基、投射機(K砲)両舷各4基、爆雷投下軌条2条を装備していた。 後の特別改装の際に、K砲と爆雷投下軌条は半分に削減され、かわってMk. 2短魚雷落射機2基および各4発が搭載された。 その他、スペース面以外では、貸与されたアメリカ海軍の艦艇に劣らない装備を搭載していた。 ただし当時の日本には、戦後の武器システムに伴う電子機器などのデータが乏しかったため、のちにスペースや空調の不足を来たすこととなった。 同型艦 [ ] 一覧表 [ ] 艦番号 艦名 建造 起工 進水 竣工 特務艦への 艦種変更 除籍 DD-101 ASU-7002 1954年 (昭和29年) 12月15日 1955年 (昭和30年) 9月20日 1956年 (昭和31年) 4月26日 1981年 (昭和56年) 3月27日 1985年 (昭和60年) 3月5日 DD-102 ASU-7003 1954年 (昭和29年) 12月17日 1955年 (昭和30年) 8月20日 1956年 (昭和31年) 7月31日 1981年 (昭和56年) 3月27日 1985年 (昭和60年) 3月27日 運用史 [ ] 「はるかぜ」は(昭和31年)4月26日にで、「ゆきかぜ」は同年7月31日にでそれぞれ竣工した。 就役後、「はるかぜ」と「ゆきかぜ」の両艦は護衛隊群の旗艦を務め、「はるかぜ」は1958年(昭和33年)1月にはハワイまで往復する2ヶ月にわたる遠洋航海にも派遣された。 遠洋航海で得られた経験を活かし、1959年(昭和34年)1月から約3ヶ月にわたって特別改装が行われ、上記のとおり電装・兵装の換装が行なわれた。 これにより、特に対潜兵装は、新造時の(30DDK)に匹敵するレベルまで強化された。 「はるかぜ」「ゆきかぜ」共に、上記の特別改装など度々改装を受けつつ第一線にあったが、(昭和48年)に「はるかぜ」は、「ゆきかぜ」は実用実験隊に配属され第一線を退いた。 「ゆきかぜ」はの実験など数々の実験に従事し、(昭和56年)3月に特務艦に変更され、(昭和60年)に除籍された。 「はるかぜ」も1981年(昭和56年)3月に特務艦に変更された後、1985年(昭和60年)に除籍された。 「はるかぜ」は除籍後もで教育資料及び桟橋として係留保管されていたが、塩害による傷みが著しく進行したため、(平成13年)11月に売却、解体された。 当時、の艦船設計能力が未整備であったことから、暫定措置として、技術大佐を中核として、時代の技術者達によって財団法人船舶設計協会が組織され、艦船設計に当たっていた。 この点に関し、「対潜体当たり戦術用の衝角が装備されていた」と解説されていることがあるが、あくまで「そのような状況を想定して船首水線下部分の構造強度が強化されていた」ということであり、船首から大きく突き出した形の「衝角」が装備されていたわけではない。 なお一部の居住区には、予備の設備として、ハンモック用吊り金具も備えられていた。 出典 [ ]• , p. 24-35. 12-23. , p. , pp. 50-53. 参考文献 [ ]• 海人社, 編纂. 「海上自衛隊最初のDD「はるかぜ」」『』第636号、、2005年1月、 120-122頁、。 海人社, 編纂. 「護衛艦の技術的特徴 - 1. 船体デザイン」『世界の艦船』第742号、海人社、2011年6月、 100-105頁、。 阿部, 安雄「海上自衛隊護衛艦隊旗艦の系譜」『世界の艦船』第422号、海人社、1990年6月、 78-81頁。 阿部, 安雄「海上自衛隊護衛艦整備の歩み 海上自衛隊護衛艦史1953-2000 」『世界の艦船』第571号、海人社、2000年7月、。 阿部, 安雄「2. 機関 アメリカ護衛艦の技術的特徴 」『世界の艦船』第653号、海人社、2006年1月、 124-129頁、。 阿部, 安雄「護衛艦の技術的特徴 - 2. 推進システム」『世界の艦船』第742号、、2011年6月、 106-111頁、。 石橋, 孝夫「船体 技術面から見た日本駆逐艦の発達 」『世界の艦船』第453号、海人社、1994年2月、 160-165頁、。 勝山, 拓「オールドセーラーの思い出話 第4話 一皮剥けたか?」『世界の艦船』第688号、海人社、2008年4月、 106-109頁、。 「国産護衛艦建造の歩み」『世界の艦船』第827号、海人社、2015年12月、。 坂田, 秀雄「海上自衛隊FCSの歩み」『世界の艦船』第493号、海人社、1995年3月、 70-75頁。 佐々木, 司 2012年. 2018年1月13日閲覧。 高須, 廣一「兵装 海上自衛隊護衛艦史1953-2000 -- 海上自衛隊護衛艦の技術的特徴 」『世界の艦船』第571号、海人社、2000年7月、 188-195頁、。 多田, 智彦「3. 兵装 自衛艦の技術的特徴 」『世界の艦船』第630号、海人社、2004年8月、 246-253頁、。 森, 恒英『艦船メカニズム図鑑』、1989年、58-59頁。 吉原, 栄一「船体 海上自衛隊護衛艦史1953-2000 -- 海上自衛隊護衛艦の技術的特徴 」『世界の艦船』第571号、海人社、2000年7月、 176-181頁、。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 初の国産駆逐艦• - 初の国産駆逐艦.

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海上自衛隊 護衛艦・潜水艦の寝室事情 2段ベッド上段は上官です 改善進みコンセントも(乗りものニュース)

はるかぜ型護衛艦

また建造に際して、緊急時の護衛艦大量建造を目的としたブロック式建造法が行われた。 主機には蒸気タービン方式を採用しており、おおむねはるかぜ型護衛艦のものを踏襲している。 そこで、国産艦艇の建造が計画され甲型警備艦が2隻、乙型警備艦が3隻建造されることとなった。 こうして建造された甲型警備艦がはるかぜ型護衛艦であり、乙型警備艦は、「あけぼの」といかづち型護衛艦が建造された。 乙型警備艦は有事の際の量産性やタービン機関とディーゼル機関の比較のため、タービン主機を搭載した「あけぼの」を1隻、ディーゼル主機を搭載したいかづち型を2隻建造する事となった。 電波探知装置は電子戦支援を担当するシステムであり、NOLRの名称を付与される。 なお、NOLRシリーズに先行してOLRシリーズも開発され、戦後日本初の国産戦闘艦であるはるかぜ型護衛艦にはOLR-3が搭載されたが、資料・技術ともに乏しかったことから、性能的には非常に限定的なものであった。 彼の作品『駆逐艦魂』に出て来る駆逐艦「旋風」は、あきらかに寺内艦長時代の「雪風」である。 「雪風」の武勲は戦後も高く評価され、戦後国産護衛艦「はるかぜ型護衛艦」の2番艦は「ゆきかぜ」と命名されるなど、海上自衛隊でも伝承されている。 機関配置もはるかぜ型と同様、前側の機関が左軸、後側の機関が右軸を駆動するというシフト配置とされている。 レーダーは、基本的にむらさめ型のものを踏襲しており、対空捜索用にOPS-1、対水上捜索用にOPS-5と、いずれも国産化されている。 本型の搭載レーダーは、対空捜索用にはいかづち型と同じOPS-2が、対水上捜索用としては新型のOPS-16が初めて搭載された。

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