600 こちら 情報 部。 NHK「600こちら情報部」の情報部員バッジと情報手帳【深夜の文具店ノウト#74】

『600こちら情報部』懐かしのコールも!

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キャスターは鹿野浩四郎さんと帯淳子さん。 帯さんは2017年5月25日に出演した『ひるまえほっと』で、「この番組は子ども番組というのはまったく意識せずに、とにかく情報を提供することを第一に考えていました。 政治経済にスポーツ、芸能まで幅広くなんでも出してしまおうというコンセプトだったんですね。 今思うと、そんな番組をNHKの生放送で、僕ら2人にしゃべらせてくれたことはNHKの方の度量がすごいと思います 笑。 『ひるまえほっと』に出演した鹿野浩四郎さんと帯淳子さん(2017年5月25日) 番組2年目からは田畑彦右衛門さん(NHK報道局記者)がご意見番的役割で登場した。 そのほか9人のリポーターがいて、今や女優としても大活躍の戸田恵子さんや高田文夫さんなどもリポートしていた。 初期のリポーターのみなさん• 福村 恵 「大きな包容力のありそうな…」• 小林かおり「やさしい顔でシンは強い」• 黒部幸英 「若さあふれる19歳」• 戸田恵子 「やっとはたちになりました」• 中田ひろみ「事前の勉強も積極的」• 高田文夫 「ペン持つ手をマイクにかえて」• 麻里もも子「外国生活が長く英語で実力発揮」• 紺谷昌代 「落ち着いたおねえさんという感じ」• 星野みどり「まだニキビの花咲く」 (グラフNHK1978年6月号より) 高田文夫さんは当時、ビートたけしさんとラジオをやっていて大人気。 ビートたけしさんはツービートで「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というネタをはやらせ、漫才ブームをけん引していた。 ブラックユーモアにあふれたビートたけしさんがゲストで来たときは、鹿野さんも帯さんもいつもとは違う緊張感があったという。 鹿野「生放送でインタビューするので、こっちはハラハラしてすごかったですよ。 帯「そうしたらすごく発言を抑えてくださったんです」• 鹿野「しかもインタビューではものすごく冷静で知的」• 帯「紳士でしたね」• 鹿野「頭の回転がめちゃくちゃ速いんですよ。 僕ら2人は顔を見合わせて、今までの心配はなんだったんだろうなって思いました。 この人はすごい人だなと思っていましたが、本当にそのあと、どんどんすごい人になっていきましたね」 このようにお笑い芸人のゲストもいれば、大平正芳総理大臣といった政治家、マラドーナなどのスポーツ選手など、今では考えられないほど幅広い人たちが出演した。 それもそのはず。 番組が扱うテーマは、「人気タレントから難民問題まで」と幅広く、ニュース・音楽・スポーツ・時事などテーマは多岐に渡っていたからだ。 また、毎週金曜日は、各ジャンルの専門家がゲストで出演し、子どもたちの質問に答える「なんでも相談」が人気だった。 答える先生は、樋口清之(歴史学者)、塚田茂(放送作家)、松平康隆(ミュンヘンオリンピック・男子バレーボール監督)、餌取章男(月刊サイエンス編集長)、山口規容子、田村英子(医師)。 全国の子どもたちから情報も募集。 採用した人は情報部員に認定し、「情報バッチ」と「情報手帳」を送った。 最終的に、情報部員は1万2000人となった。 ちなみにこの「情報バッチ」には違う使い方があったと言う。 番組が始まった当初、鹿野さんと帯さんは私服で出演していた。 しかし、週5日放送があるため、次第に着るものに困ってきた。 「洋服代が大変でした。 しかもブランドのマークがついてるものは絶対にダメなので、手持ちのブランドロゴが入ったポロシャツなどは、情報バッチで隠すようにしていました」と鹿野。 ようやく決まった衣装ができたのは一年ほど後だった。 リポーターが多くなり、外に取材に出たときに背中に番組名が書いてあるほうがインタビューしやすいということがあったという。 リポーターはTシャツ、キャスターはポロシャツ(外に出るときはTシャツ)というふうに変わっていったそうだ。 私服だった期間について帯は「着る服の打ち合わせはしなかったけど、ちぐはぐになることは1度もなかったんです」と話してくれた。 さすが、息の合ったキャスター2人である。 情報バッチ、ポロシャツ、関連本などのグッズ 【アカイさんの一言】 番組の人気コーナーに、「スターインタビュー」というコーナーがあって、そのゲストがとにかくすごい。 当時、人気絶頂の阪神・掛布雅之選手や大相撲の蔵間関、アイドルとして超人気だった榊原郁恵ちゃんが出演した時は、なぜかスタジオがいつもより人が多かった。 それだけではない、ワールドワイドな番組だったので、なんとクイーンも出演したから、すごい!「女王様の国イギリスから、ロックグループ『クイーン』がやって来ました~~!」というナレーションから番組が始まった(1979年4月19日放送)。 当時、NHKの『ニュースセンター9時』など、報道番組が高い視聴率をとっていた。 スタッフも、子どものための本格的なニュースショーを作ろうと燃えていたようだ。 次第に、子どもだけではなく、おとなにも支持され、「親子の対話に一役」と言われたのも懐かしく、その系譜は、『週刊こどもニュース』にも受け継がれたと言っていい。 ところで、全国12000人の「元」情報部員のみんな。 ひょっとして「情報バッチ」と「情報手帳」はまだお持ち?.

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帯淳子

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キャスターは鹿野浩四郎さんと帯淳子さん。 帯さんは2017年5月25日に出演した『ひるまえほっと』で、「この番組は子ども番組というのはまったく意識せずに、とにかく情報を提供することを第一に考えていました。 政治経済にスポーツ、芸能まで幅広くなんでも出してしまおうというコンセプトだったんですね。 今思うと、そんな番組をNHKの生放送で、僕ら2人にしゃべらせてくれたことはNHKの方の度量がすごいと思います 笑。 『ひるまえほっと』に出演した鹿野浩四郎さんと帯淳子さん(2017年5月25日) 番組2年目からは田畑彦右衛門さん(NHK報道局記者)がご意見番的役割で登場した。 そのほか9人のリポーターがいて、今や女優としても大活躍の戸田恵子さんや高田文夫さんなどもリポートしていた。 初期のリポーターのみなさん• 福村 恵 「大きな包容力のありそうな…」• 小林かおり「やさしい顔でシンは強い」• 黒部幸英 「若さあふれる19歳」• 戸田恵子 「やっとはたちになりました」• 中田ひろみ「事前の勉強も積極的」• 高田文夫 「ペン持つ手をマイクにかえて」• 麻里もも子「外国生活が長く英語で実力発揮」• 紺谷昌代 「落ち着いたおねえさんという感じ」• 星野みどり「まだニキビの花咲く」 (グラフNHK1978年6月号より) 高田文夫さんは当時、ビートたけしさんとラジオをやっていて大人気。 ビートたけしさんはツービートで「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というネタをはやらせ、漫才ブームをけん引していた。 ブラックユーモアにあふれたビートたけしさんがゲストで来たときは、鹿野さんも帯さんもいつもとは違う緊張感があったという。 鹿野「生放送でインタビューするので、こっちはハラハラしてすごかったですよ。 帯「そうしたらすごく発言を抑えてくださったんです」• 鹿野「しかもインタビューではものすごく冷静で知的」• 帯「紳士でしたね」• 鹿野「頭の回転がめちゃくちゃ速いんですよ。 僕ら2人は顔を見合わせて、今までの心配はなんだったんだろうなって思いました。 この人はすごい人だなと思っていましたが、本当にそのあと、どんどんすごい人になっていきましたね」 このようにお笑い芸人のゲストもいれば、大平正芳総理大臣といった政治家、マラドーナなどのスポーツ選手など、今では考えられないほど幅広い人たちが出演した。 それもそのはず。 番組が扱うテーマは、「人気タレントから難民問題まで」と幅広く、ニュース・音楽・スポーツ・時事などテーマは多岐に渡っていたからだ。 また、毎週金曜日は、各ジャンルの専門家がゲストで出演し、子どもたちの質問に答える「なんでも相談」が人気だった。 答える先生は、樋口清之(歴史学者)、塚田茂(放送作家)、松平康隆(ミュンヘンオリンピック・男子バレーボール監督)、餌取章男(月刊サイエンス編集長)、山口規容子、田村英子(医師)。 全国の子どもたちから情報も募集。 採用した人は情報部員に認定し、「情報バッチ」と「情報手帳」を送った。 最終的に、情報部員は1万2000人となった。 ちなみにこの「情報バッチ」には違う使い方があったと言う。 番組が始まった当初、鹿野さんと帯さんは私服で出演していた。 しかし、週5日放送があるため、次第に着るものに困ってきた。 「洋服代が大変でした。 しかもブランドのマークがついてるものは絶対にダメなので、手持ちのブランドロゴが入ったポロシャツなどは、情報バッチで隠すようにしていました」と鹿野。 ようやく決まった衣装ができたのは一年ほど後だった。 リポーターが多くなり、外に取材に出たときに背中に番組名が書いてあるほうがインタビューしやすいということがあったという。 リポーターはTシャツ、キャスターはポロシャツ(外に出るときはTシャツ)というふうに変わっていったそうだ。 私服だった期間について帯は「着る服の打ち合わせはしなかったけど、ちぐはぐになることは1度もなかったんです」と話してくれた。 さすが、息の合ったキャスター2人である。 情報バッチ、ポロシャツ、関連本などのグッズ 【アカイさんの一言】 番組の人気コーナーに、「スターインタビュー」というコーナーがあって、そのゲストがとにかくすごい。 当時、人気絶頂の阪神・掛布雅之選手や大相撲の蔵間関、アイドルとして超人気だった榊原郁恵ちゃんが出演した時は、なぜかスタジオがいつもより人が多かった。 それだけではない、ワールドワイドな番組だったので、なんとクイーンも出演したから、すごい!「女王様の国イギリスから、ロックグループ『クイーン』がやって来ました~~!」というナレーションから番組が始まった(1979年4月19日放送)。 当時、NHKの『ニュースセンター9時』など、報道番組が高い視聴率をとっていた。 スタッフも、子どものための本格的なニュースショーを作ろうと燃えていたようだ。 次第に、子どもだけではなく、おとなにも支持され、「親子の対話に一役」と言われたのも懐かしく、その系譜は、『週刊こどもニュース』にも受け継がれたと言っていい。 ところで、全国12000人の「元」情報部員のみんな。 ひょっとして「情報バッチ」と「情報手帳」はまだお持ち?.

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概要 [ ] NHK初の生え抜き会長であるの下で1978年に実施された抜本的な改編の際、生活科学番組『』とともに目玉番組と位置づけられて始められた番組である。 この改編以前のNHKは「国営放送」的体質が強く、総合テレビの児童向け番組も娯楽性に欠けるとされがちだった。 総合テレビの平日18時台は従前から児童向け枠として放送されていたが、『こどもニュース』、、『』、『』といった比較的硬めの番組が当てられていた。 この改編では、この放送枠から『こどもニュース』と『少年ドラマシリーズ』を廃し、また児童向け科学番組の『レンズはさぐる』を19時台の成人も対象とした生活科学番組の『ウルトラアイ』が引き継いだ。 『少年ドラマシリーズ』は帯番組としてではなく、夏休みや冬休みの特番として残されたが、ドラマ性の強い児童向けの番組枠としては、『』に始まる火曜19時30分から20時までのアニメーション枠に引き継がれた。 こうして平日18時台の児童番組枠には従前からの番組は人形劇のみが残され、新たに児童向けの情報バラエティ番組であるこの番組が据えられた。 この番組は、児童向けの情報番組としては『こどもニュース』の路線を、児童向けのバラエティ番組としては前年度に土曜18時台にとの司会で1年間放送された『』の路線を引き継いだが、平日の月曜日から金曜日までと大幅に放送枠を拡大した。 それまでのNHKの番組のスタイルを打ち破り、最近のトレンド情報をある意味では民放以上に追求し、娯楽性も強かった。 特に小・中・高校生を視聴ターゲットにし、トレンド情報以外にもゲストを交えてのトークコーナーなどを放送していた。 特集コーナーに入ると、そのVTRなどの前ふりとして「きょうのビッグ情報はこれだ!! 」と画面に人差し指を指して口上していた。 その特集の例として、解散、アニメのらとのインタビュー、、、のインタビューとスタジオライブ、来日時のインタビューなどが挙げられる。 ほかに、イラストの紹介、金曜日には「なんでも相談」と題した質問コーナーが放送された。 先行番組の『こども面白館』はマスコットキャラクターとしてゴリラの『ドンゴリゴ』を置いていたが、本番組でも同様に、犬の『ロクジロー』というマスコットキャラクターが置かれた。 ゲストを含む出演者は必ず、「600」の文字の入った映画を模したと思しきデザインのワッペンを付けて出演していた。 当時のNHK放送センターの売店では、この600ワッペンや600ロゴ入りメモ帳が販売されており、好評だった。 (通し番号の入ったバッジは ハガキが採用された視聴者に贈られた。 なお、スタジオ出演者用バッジには番号は付いていなかった) には特別番組として皇太子ととの結婚式の中継が17:35 - 18:40に放送されたが、本番組の放送時間と一部重複していたため司会は本番組のキャスターが担当し、リポーターとして本番組からがに派遣された。 また、1983年5月26日放送分では、当日昼に発生した関連の情報を中心に放送した。 前述のとおり、平日18時台の児童番組枠には改編後も人形劇は残されており、この番組に続いて18:25 - 18:40には『』が、次いで『』が放送されていた。 1982年3月に『プリンプリン物語』が終了した後は夕方のローカルニュースを拡充することになり、本番組は放送枠を5分拡大して30分番組にするとともにローカルニュースを18:30からの放送に変更した。 人形劇の放送枠は土曜18時台(『』)に移され 、番組はそれから2年後の1984年3月に終了したが、同時間帯ではその後も様々な子供向け番組が放送された。 当番組の終了から33年後の、関東広域圏で放送の昼前の情報番組『』のコーナー「発掘! お宝番組」にて当番組が紹介され、スタジオに鹿野と帯が生出演した。 当日は番組開始当時のにインタビューした映像などが放送されたほか、人気コーナーだった質問、イラストのコーナーも紹介され、『ひるまえほっと』のスタジオにはイラストのコーナーで使用されたボードが再現された。 このボードには多くの視聴者投稿に混じって、鹿野の孫2人と帯の愛娘が描いたイラストも掲示され、それらとともに帯の愛娘からの手紙も紹介された。 番組枠のその後 [ ] しかし、第2次による放送時間の短縮が当番組終了とともに終わったことに加え、NHKが衛星放送をスタートさせ、全体の編成に余裕が生じるようになったことから、総合テレビでの子供向け番組は1986年に17時台と教育テレビに移された。 また、民放が大型報道番組を次々とスタートさせたことなどもあり、この枠は一般向け情報番組『』に変更された。 最後まで総合テレビで残っていた番組も、平成時代に入ると全て教育テレビと衛星放送に移され、総合テレビ夕方の子供向け番組は姿を消した。 放送時間 [ ]• 月曜 - 金曜 18:00 - 18:25 (1978年度 - 1981年度)• 月曜 - 金曜 18:00 - 18:30 (1982年度 - 1983年度) 出演者 [ ] 司会 [ ]• (ニュースキャスター兼解説者) リポーター [ ]• 福村恵• 中田ひろみ• 麻里もも子• 紺谷昌代• (原江梨子)• 橋本美砂子(元「」のキャプテン)• (出演当時はに在学)• (天莉亜) - 英語通訳リポーター 「なんでも相談」回答者 [ ]• - 科学担当• - 国語担当• - 歴史・社会風俗担当• - ノンセクション(学校生活、友人関係、家族関係、進路など)• - スポーツ・体育担当• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ].

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